杉江松恋不善閑居 おもしろいことだけやっていきたいが売れるものを作る必要もある

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某月某日

午前中いっぱいかかって、このところずっと取り組んでいた某仕事を終わらせる。ちょっと大物だったのでほっとした気持ちになった。さっそく送稿して出かける準備をする。大物だけに金額が大きく、6月末までに稼がなければいけない額への進捗率は85.73%に到達した。ほぼ見えてきた感じになる。この進捗率を記録していても別に収入が増えるわけではなくて、ああ、まだそれだけしか稼いでいないんだな、と自覚して身を引き締めるだけの効果しかないのだが、漫然と日々を過ごすよりはましだろう。100%に到達したら、努力目標としてさらに上を設定してもいいかもしれない。

午後いちばんで面談の予定があって外出する。これは営業というより、すでに確定している単行本化についての相談なのだが、ついでに今手持ちの企画書も送って、読んでもらうことにした。相手からすれば予期せぬおまけがついてきて迷惑かもしれないが、長い付き合いなのでそれくらいは許してくれるのではないか、という甘えである。

某社会議室にて面談する。単行本化のスケジュールは自分が思っていたよりも早かった。2024年の下期がけっこう大変になるのだが、これはやらなければならないことだし、お声がかかる内に本は出してしまうべきだろう。出版界の厳しい現状などについて改めて教えてもらい、その上で現実的な商品企画の落としどころについて話した。自分の考えていることと向こうの想定が大きくは外れていなかったので安心する。

持ち込んだ企画について、向こうは答える義理もないのに親切に話してくれて助かった。出版界の現状を考えると、以前ほどに遊ぶ余裕はなく、まずは商品として確実なものでないと採用は難しい、というのがどこの出版社でも本音だろうと思う。おもしろいけど無理、これはそんなにおもしろくないけど売れるから出せる、というのがこういうときの現実解か。やりたいのはおもしろいもので、売れるものはおもしろくない限り別にやりたくない、というのが私の考えなので、どこかで妥協しなければならなくなる。その難しさを改めて思った。

おもしろくないけど売れるだろうな、あ、やっぱり売れた、というものが世の中に出ていくのをこの10年ぐらいずっと見てきた。自分がおもしろくないと思うものでも他人がおもしろいと感じることはあるはずなので、何も反応しないようにしてきたが、自分が世間から外れてきたということでもある。そこをどう判断するかで今後の渡世は変わってくる。後から見て、あそこが運命の分かれ目だった、という局面に来ているのだろう。ここで判断を誤らないようにしなければならない。

おもしろくないけど売れるものに舵を切るというのが商売を考えたら正しい。ただ、売れるものだけを目指すというのは、自分の性格上長続きしないような気がするのである。それは気持ちに嘘をつくことになる。破綻するだろう。かといって、おもしろいけどそんなに売れないものばかりをやっていくことにも限界がある。売れない、という評判ばかりがついてまわると、そのうち貧乏神みたいな扱いをされることになりかねない。企画は通らなくなるだろう。難しい。ここは体力の続く限り両天秤をかけるべきなのだと思う。自分の気持ちが許す範囲で売れる商品を作り続け、並行しておもしろいと感じることをやる。これは二足の草鞋を履くようなものだから非常に疲れるはずだ。体力は今以上に削られるだろう。しかし、売れ筋商品ばかり追い求めていった場合、精神は疲弊するはずなので、それと比べてどっちがましかという判断になる。少しでもおもしろいことをやってないと娑婆がもたない。ならば結論は見えている。そういうことだ。

面談をしている間にそんなことを考えた。だから実際に人には会ってみるものなのだ。このあとも、無駄かもしれないが企画の持ち込み営業は続けていかなければいけない。

某社を出て東京某所に。賑やかな繁華街の真ん中で場所を借りてもらっていて、アレの収録である。1本録りのところ、興が乗って2本になった。終わると天候が目に見えて悪化しており、ひどくならないうちに退散。行きたい場所があったのだが諦める。帰る間にいろいろと処理しなければならないメールが届いた。帰って正解だったのである。

本日の勤務評定、原稿を送って1.0、仕事は決まったが既にわかっていたものなので、その分の加点はなし。まあまあの一日だった。

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