杉江松恋不善閑居 不可逆の変化を起こして責任を取るのは自分

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某月某日

前日の月曜が雨だったので新橋古本まつりは中止で、この日から始まる予定なのだが、ぐっと我慢をして外出せず、ひたすら家で原稿仕事。重量級の原稿を終わらせなければならないので、余裕がないのだ。その合間に軽量級の原稿が三つできてしまう。できてしまうというのも変な話だが、重量級の原稿仕事を続けていて、息抜きに書いたらできたのだ。とりあえずそれぞれの担当に送る。原稿を送ると0.5なので、これで1.5。さらに仕事の依頼が入って、1.0。合計2.5という勤務評定になった。まずまずである。

先日肚に据えかねることがあり、twitterにこんなことを書いた。

何があったのか、と思われるかもしれないが、傍から見れば些細なことである。カチンとくるというやつだ。そんな小さなことで苛々するなよ、と言われてもしかたない。でも、それを引きずると自分の中にわだかまりが残りそうなので、こうしてできるだけ漂白した形で書いて、なかったことにしようとしたわけである。

それから一週間近く経って、カチンときたときの感情はいまだ引きずっている。これは気を付けたいことだが、恨みの感情というのは消えないので、相手は一生覚えていると思ったほうがいい。一生覚えているが、それだけを抱えて生きているわけではなく、飯を食ったり、仕事をしたりして相対的に重要度が落ちていく。風化していくことによって、相手を恨まずとも生きていけるようになるだけなのだ。でも根源の恨みはずっとあって、許せないという感情も残る。相手がそれを上回る良いことをしてくれた場合のみ、まあ、差し引きで許してやるか、という折り合いがつくだけのことである。それがなければただの、あのとき嫌なことをしたやつ、のままだ。

そんなわけで恨みの感情はずっと残っているわけだが、一度吐き出したし、もうそれに拘らなくてもいい状態になったので私は元気です。

つくづく思う。あのとき怒りの感情に負けて、思ったとおりのことを吐き出さないでよかった。そのまま吐き出すというのはつまり、相手を指弾するということで、名を挙げて言えば明確な悪口になり、そうではなくても相手にわかるように言えばあてこすりである。あてこすりは、今はエアリプと言ったりするのかな。いずれにせよ悪口だ。

私もときどき、我慢できずにあてこすりに近いことまでは言ってしまうのだが、悪口にはならないように精一杯歯止めをかけている、つもりである。もしかすると相手はそう受け取っていないかもしれないので、あくまで、つもり。悪口を言ってしまうと取り返しがつかない。暴力による傷害事件が刑事罰を受けなければならないのは、相手に残る形で被害を与えてしまうからである。それは当人同士の解決では如何ともしがたく、第三者からの制裁という公平な形の幕引きをしなければならなくなる。壊れて元に戻らなくなることというのはあるのである。真っ白な壁に汚い落書きをされたら、張替えでもしない限り痕跡は残る。不可逆の変化を与えるというのは、大きなことなのだ。元に戻せないことは責任の取りようがない。

悪口はその部類に入り、それ以外のやってはいけない行為と同様、自分で責任を取りきれない。しかも制御しきれない形で拡散していく。いったん口から出てしまった悪意はそれ自体で存在するようになり、世間に認知されてしまう。そんな大事を背負いきれないので、悪口なんて言わないほうがいいのだ。人間関係は修復可能な範囲で相手とは付き合わないといけない。もう一度肝に銘じようと思う。悪口、ダメ、ゼッタイ。これは自分のためである。

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