杉江松恋不善閑居 知らない間に予選落ちしていたこと

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浪曲は蘇る:玉川福太郎と伝統話芸の栄枯盛衰

某月某日

今抱えている仕事。レギュラー原稿×2。イレギュラー原稿×3(エッセイ、文庫解説×2)、ProjectTY書き下ろし。

やらなければならないこと。主催する会の準備×1。

レギュラー原稿が1本だけかたづけられたがあとは難航中。うんうん唸って仕事をしている。唸っても別に先に進むわけではないのだけれど。

本格ミステリ作家クラブから会報が送られてきた。本格ミステリ大賞予選の経過報告が記載されており、そこで初めて『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)が評論・研究部門で予選落ちしていたことを知った。そうなのか。

書評七福神本は、せっかく原稿が溜まったのに出さないのももったいないよね、ぐらいのつもりで作ったものなので、予選落ちしたこと自体にはなんの不満もない。立ち会いの福井健太氏の選考経過によると「現代翻訳ミステリ合評の意義を認めながらも、七人居ても偏りが生じる時評の難しさを指摘する声が多かった」とのこと。評者による視点の偏りがあるということだろうか。そのへんはよくわからない。

日本ではこうした時評本が候補となったり、まして受賞することは極めて稀である。私のものではない作品が某賞の候補になった際、「あれは時評だから」という理由で落とされたのを選評で確認したことがある。時評、というか書評は純粋な評論とは異なる観点、技法で書かれるものなので、これは致し方ないことではある。ただ、書評を文芸として評価する仕組みを作っておかないと、このジャンルは疲弊するよ、とも思う。でも、難しいね。

今回はよくぞ検討するところまで持っていってくださった、という気持ちである。逆に予期していないことなので感謝の気持ちしかない。執筆者を代表して一言申し上げる次第。

あ、日本推理作家協会賞も予選落ちしていたということか。今の今まで忘れていた。

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