杉江松恋不善閑居 ミステリーの剽窃騒動で思うこと

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某月某日

このところ懸案事項として引きずっていることがあった。実際にお会いして打ち合わせを、とも言っていただいていたのだが、その直前で実は条件が折り合わないということが判明し、流すことになった。お互い無駄足を踏まなくてよかった。流れたのは残念だが、どうぞがんばってください。

昼くらいまで原稿を書いて、急いで浅草木馬亭へ。一本送稿したので本日の勤務評定は0.5。

六月定席公演の初日である。天中軒雲月主任で、本日の外題は「若き日の小村寿太郎」。天中軒一門では最初に覚える外題である。しばらく末っ子弟子の天中軒かおりさんがかけていたので演じられなかったのだが、先月から「琴桜」に代わったので、それなら、ということでお客さんからリクエストをしたらしい。ひさしぶりに聞く雲月版の「小村寿太郎」。やはりいいものだ。

しばらく時間を潰してふたたび木馬亭に戻ってくる。玉川太福月例独演会である。本日は太福さんがコントをやっていた時代の仲間、ふじきみつ彦さん作の「こだま」をネタ下ろしすると予告が出ていた。コント台本の浪曲化がどういうものになるかと思ったが、会場は爆笑に包まれ、大当たりだったと思う。開演前に楽屋を訪ね、みね子さんにちょっとお願いごとをする。無理を言ったが受けていただき、安心した。終演後は人の多い浅草を避けて軽く食事をし、帰宅。

そういえば、ツイッターを見ていたら、ミステリーの盗作に関する話題が出ていた。詳細は省くが、ある演劇関係のイベントで、現代ミステリーの有名作品が盗作としか言えない形で真似られていたという話である。事が露見したときに知って、そんなわかりやすいパクり方をするものか、と驚いたぐらいだから、これは全面的に盗んだほうが悪い。盗んだというより、そういう常識を欠いた人が関与してしまったための出来事だったらしい。詳しくは各自検索。

アイデアに著作権を問うことは難しい一面があるが、今回の場合は、小説として表現されており、その作品ならではのプロットや叙述方式が用いられたものが剽窃されたものなので、明確な違反行為である。横溝正史がマザー・グース殺人は一人の作家のアイデアだと思っていたら、複数の書き手がそれをやっていたので、特定の誰かに帰属するものではないのだと判断し、自分も『悪魔の手毬唄』を書いたという話がある。アイデア自体は電子機器における集積回路のようなものだから、複数の作品で共有される。工芸品や伝統芸能における技能のようなもので、受け継がれていく中で磨かれるという側面もある。だが、だからといって、先人の財産をそのまま自分もやっていいという話ではないのである。そこに自分が作り出した何かを付け加えたときに、初めてオリジナルだと認められる。剽窃ではないと言うことができる。

この、「自分が作り出した」という部分が問題で、本人はそう思っていても前例がある場合がある。それについては、過去のデータベースを参照するしかなく、書き手個人では対応しきれないかもしれない。それゆえ、詳しい誰かに聞く、ということをミステリー作家はするのである。

私も何度か質問を受けたことがある。作家からの場合もあったし、編集者を介してのこともあった。作品名は秘すが、某新人賞の選考会場から電話をもらったことがあった。前例があれば落ちるが、ないなら受賞という非常に緊張させられる局面である。結局その作品は受賞した。こういう類似作があるが、という私の説明を聞いて、それならオリジナルと認めていいだろう、と判断されたようである。

作家から質問をされたのは、すべてオリジナルと呼んでかまわないアイデアの例だった。思いつき、作品にできると考えたが、それでも念には念を入れて確認しようと思われたのだろう。誠実な態度である。土台を踏み固めた上に、自分のオリジナルを付け加える。その土台にあやふやなものがあってはいけないのだ。

自分が作り出したものがオリジナルかどうかという判断は難しいと思う。特にミステリー作家のコミュニティ内にいなかったり、周囲に詳しい人がいない場合はなおさらだと思う。そういう場合は、ミステリー関連書を出版している編集部などに連絡し、誰か専門家に紹介してもらっではどうだろうか。これはファクトチェックと同じ作業である。何かについて書くときは裏を取るでしょう。ミステリーだってそうだよ、ということだ。

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