杉江松恋不善閑居 天中軒雲月ふるさと公演と上前津・海星堂書店

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某月某日

郡上八幡での二日目。午後から天中軒雲月ふるさと公演なので、それまでうろうろと町内を歩き回る。いちばん行きたかったのは、雲月さんの生家があったあたりで、新町通りという、町の南部を東西に走っている道からちょっと北西に入った付近である。雲月さんによればお住まいになっていたころは、原っぱが広がっていたというから八幡町の中でも比較的阿新しい住宅地なのだろう。新町通りのNTTがあるあたりの裏、十六銀行から入った道とのことだが、もちろん昭和40年代当時とはだいぶ雰囲気も変わっている。生家はもう売却してしまったということで実在しないかもしれないのだが、一応その付近を見て回った。だいたいこのへんかな、というあたりをつけたところで引き返す。

私は初めてくる町でよくやることがある。町の床屋に入って髪を切ってもらうのだ。そうすると、なんとなく町と契りを交わしたような気持ちになる。浪曲木馬亭のパーカーを着ていたからか、浪曲公演に来た、と言ったら「今から出番ですか」と聞かれた。

会場はほぼ満員で、いい雰囲気である。番組は以下の通り。

若き日の小村寿太郎 天中軒かおり・藤初雪

郡上宝暦義民伝 天中軒すみれ・虹友美

中入り

東男に京女(脚色:稲田和浩) 天中軒月子・藤初雪

決戦巌流島 天中軒雲月・虹友美

郡上音頭 天中軒雲月

「郡上宝暦義民伝」はネタおろしである。いつもは雲月さんが郡上では口演されるのだが、この日は弟子に任せて自身は別のネタを選ばれたとのこと。実は23日にすみれさんが雲月さんに稽古を見てもらっていたのを知っている。そのときからわずか3日で、よく仕上がったものである。師匠とはまた別の魅力もあり、見事な義民伝であった。

この日特筆すべきことは「東男に京女」がどっかんどっかんと受けていたことである。落語の「たらちね」を元にしたネタで笑いが多いのだが、ここまで沸かせられるとは。この一席は大事なことを教えてくれた。一つは、モタレの重要性である。モタレとはトリの前に上がる人のことで、本来は軽く、笑いの多いネタをやるべきだと言われている。客席を温めて次のトリにつなぐためだろう。木馬亭ではここで悲壮なネタがかかることも少なくないのだが、やはりモタレにはモタレの役割があるということを強く認識させられた。もう一つ、地方で初めて浪曲を聴くようなお客さんには、それに合ったネタでサービスをすることも大事だと改めて思わされた。この日は雲月さん目当てのリピーターも多かったのだが、それにしても初めてのお客さんは確実に存在したはずである。その人たちに向けての「東男に京女」、見事であった。

最後の〆は「決戦巌流島」。「郡上宝暦義民伝」がかかる以上、「宗五郎妻子別れ」はない。頭で「小村寿太郎」はかかっている。トリにふさわしい大ネタなら「巌流島」かお土地柄で「徳川家康少年時代」かと思っていたが、やはり宮本武蔵であった。天中軒のお家芸というべきネタで、素晴らしい出来。舟を漕ぐ場面では賛嘆の視線が向けられ、そこからの盛り上がりが大きかった。最後は郡上音頭でお開き。

会場には郡上八幡に移住された近藤正臣さんも来ておられた。6月15日には近藤さん肝入りで「種まき寄席」という落語会も行われる。大阪から桂吉坊さん、桂りょうばさんがやってくるという華やかなものだ。近隣の方はぜひ。

4時9分に出るバスに乗ってまた岐阜まで戻った。そこで東京組は解散状態になり、私は名古屋で上前津の海星堂書店へ。しばらくご無沙汰している間に店舗が一つ閉まってしまったのは寂しい次第だが、それでも名古屋のサブカルチャー中心地であることには変わりない。特に紙モノの多さでは他の追随を許さない店だ。1時間ほど棚を掘り返し、近隣の大須で食事をした。新幹線に乗って帰ったらほぼ12時。疲れ切って就寝する。この日は仕事関連のことを何もしていないので、勤務評定は-1.0である。

五代目雲月生地付近の街並み

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