杉江松恋不善閑居 流行には乗らなくていい、悪口さえ言わなければ

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某月某日

昨日いっぱいかかって取り組んだ原稿は夜になっても終わらず。朝日カルチャーセンターの講師仕事があるのでいったん手を止め、そちらに専念した。90分話すとぐったりしてしまうのでその晩は結局何もできず。早起きしてやろうと寝てしまう。目が覚めたら午前2時で、そこからなんとか9時までかかって終わらせることができた。睡眠も浅く、ほぼ眠れていない状態だったが、背に腹は代えられない。これにて6月末までの目標金額●●万円に対し、進捗率は42.4%。こんなにきついのに、まだ半分まで行ってないのか。私に対して仕事の依頼が入ったので、昨日の勤務評定は1.0である。

気が付いたら周囲の人たちがみなおもしろいことをやっていて、そんなことがあるのか、と驚いた一日だった。気が散って仕方ないのでSNSは見ないようにするのだけど、つい目が行ってしまう。その中には、なるほどそれが令和の潮流か、と思うようなこともあって、正直焦りを感じるのである。自分のやっていることは間違いなくそこに載らないからだ。つまり時代遅れになっている可能性がある。アナクロニズムなのか、単に的外れなのかは知らないが。しかし、価値観というものは一様ではないのだから、私のやっていることに需要がないわけではないだろう。令和の多数派が求めていなくとも、どこかにそれを欲している人はいるはずである。いや、いなくても私にはそれしかできないわけなのだが。

結局は、流行っているんだな、それが、と呟くぐらいしかできないということである。流行りには乗っておけ、囃されたら踊れ、という生き方もあるだろう。だが、現時点で囃されてもいないところに乗り込んでいって踊るわけにはいかない。つまり神輿に乗り遅れたということで、別の線を行くさだめである。興味がないわけではないが、そっちに行く暇がなかったのだから、後の祭りである。しょうがない、しょうがない。

こういうときにいちばん大事なのは、流行りものに対してケチをつけないことである。向こうが多数派でこっちが少数派だから、どちらかといえば世の中で間違っているのはこっちのほうなのだ。それなのに相手をけなすような行為をするのは惨めだし、イソップ童話に出てくる酸っぱい葡萄の狐のようだ。黙っていれば、もしかするとあっちとこっちで道が合流することだってあるかもしれない。悪口を言ってしまったら、その可能性もなくなるだろう。ここでも沈黙は金なりという言葉は正しい。

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