杉江松恋不善閑居 寿々木米若を訪ねて南伊東「岩本書店」とよねわか荘跡

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某月某日

沼津で山仲を訪ね、東海道本線の熱海行きに乗った。まっすぐ帰らず、ちょっと寄り道である。熱海から伊東線に乗り換え、伊豆急行線の南伊東まで下る。

ここには何度か来ている。駅を出て、伊東方面に戻るように歩いていくと、すぐのところにひゃくめんそうという店がある。基本的にはリサイクルショップだが、帳場脇に天井までの高さで書棚があり、ミステリーの文庫本などが詰まっている。おそらく、まとめてどこかで買い取りをしたものが元になっているのだろう。1980年代の翻訳ものが多くて、なかなか趣味がいいのである。前回来たときに比べ、少し本が動いている気がする。追加があったかもしれない。

ひゃくめんそうを出て、伊東へ向けて北上すると、すぐに岩本書店がある。ここがお目当ての店だ。店頭には文庫の均一棚があり、入ると右にガラスの陳列棚と帳場、左は雑誌やアダルトのコーナーで、雑本も積まれている。横長の店内で、入った客と相対する形で横向きに表裏の棚、入口に向いた側は郷土資料が中心で、歴史書などもある。その裏と壁に面した側の棚は文学や人文・社会科学書と文庫が半々という感じで、なかなか専門色の強い本が置いてあるのである。壁際にはレアものの本が置かれたガラスケースなどもあり、丹念に見ていると結構時間がかかるお店である。

ひととおり棚を見たあとで、帳場にいらっしゃった女性に話しかけた。ここはご夫婦の経営で、交替で帳場に立たれているのである。お聞きしたかったのは寿々木米若関係の資料がないか、ということである。

「佐渡情話」で大いに売れ、レコード・ラジオの主役が浪曲であった昭和前期から戦後にかけて四天王と呼ばれるほど人気があった。現役時代の末期にこの南伊東に高級温泉旅館よねわか荘を建て、亡くなるまで経営を続けていたのである。よねわか荘は平成に入って廃業した。米若夫人が主の座を引き継いでいたのだが、余力を残しているうちに終えたいという意図であったという。よねわか荘に泊まったことのある方に聞くと、今ではそれほど珍しくない全室が離れになった造りで、全棟に専用の温泉浴槽があったそうだ。

よねわか荘は晩年の高浜虚子が訪れて句碑が建てられたことでも知られている。晩年を伊東で過ごした尾崎士郎は浪曲ファンでもあり、必ず米若と交流があったはずだ。伊東市はちょっと旅行に来ただけの室生犀星や北原白秋は大事にするのに、まぎれもない地元の名士である米若には冷たくて、資料館などでもまったく言及してくれていないのである。

ご自身も郷土資料の編纂に携わっているというご主人が、棚の本を調べながら、ないですねえ、と苦笑いをされた。米若についての必要性はもちろん認識しておられるのだが、まだそこまで手が回っていないのだとか。伊東市はちゃんと予算を立てて地元資料館にも米若のコーナーを作ってもらいたい。

何か米若関係のものが出てきたら次に来たときに見せてくださいとお願いし、岩本書店を後にした。伊東市方面にむけてとことこと北上していく。

十分も歩かないうちに道がX字になっている交差点に出た。その角に建つマックスバリユ南伊東店こそが、かつての温泉旅館よねわか荘跡地である。源泉はまだ健在で、道を渡ったところによねわかの足湯として湧き出している。ここを訪れる人がどれだけ寿々木米若のことを知っていることか。人物について書かれた掲示物があるのがせめてもの慰めである。足湯の奥には、かつてよねわか荘内にあった高浜虚子の句碑も移設されており、その横には米若胸像が建てられていた。裏に回ってみると、門人たちの名がずらりと並んでいる。よねわか荘で働いていた人の多くがかつての弟子であったという。このうちどれだけの人が実際に浪曲の舞台を務めたことがあるであろうか。もしお話を伺えるものなら各人をまわって訪ねてみたいものである。

伊東駅まで戻る。駅前で地下に設けられた公衆浴場に入って冷えた体を温め、帰路に就いた。沼津・伊東探訪はこれでいったんおしまい。

マックスバリュ南伊東店。ここがよねわか荘だった。

よねわかの足湯

高浜虚子句碑。

寿々木米若像。

弟子たちの名が並んでいる。

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