芸人本書く派列伝returns vol.3 瀧口雅仁『落語の達人』(続)

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落語の達人: この噺家を忘れてはいけない!

前回に続いて瀧口雅仁『落語の達人』(彩流社)の話である。先に書いておくとこの本、平成に入ってから立川談志が死ぬまで、つまり23年分の物故した落語家の名鑑が巻末に付いている。点鬼簿としても資料価値があるので、そういうものに関心がある人は買ったほうがいい。

このあいだも書いたとおり、本書の第一章は立川談志の兄弟弟子で夭折した、新作落語家の五代目柳家つばめについてのものである。談志はどちらかというと陰のイメージがある落語家だが、それは陽そのものである古今亭志ん朝という人が対称軸の向こうにいたからで、他の芸人と並ぶとやはり光輝を帯びる。つばめはその談志と比較される機会もあっただろうし、兄弟弟子が時代の寵児として持て囃されるのに対して自分がマイナーな存在であることについても深く考えざるを得なかったはずだ。新作によって落語を現代に合った形に進化させる、という芸の方向性は決して間違ってはいなかったはずなのに(現に、後に三遊亭圓丈が踏襲している)、つばめはそれを成し遂げる前に鬼籍に入ってしまったのだった。

それはなぜかと考え始めると、一人つばめだけではなく、芸人全般に共通する課題に普遍化できるような気がしてくる。つまり芸人は売れなければいけないのか否か、という問題である。しかし、安易にそこに踏み込むのは危険である。それはあくまで芸の世界にいる人が自身の選択としてとらえるべきことであり、鑑賞者がどうこういう問題ではないからだ。「あの芸人はこうだから売れる(売れた)、ああだから売れない(売れなかった)」というような第三者の物言いが虚しいのは、当事者として場を経験しなければわからないことにつまらない憶測をしているからだ。若手の芸人を追いかけ始めるとすぐに「あの芸人は売れる」というような目利きをしたくなるものだが、そこにも同様の嫌らしさがある。そのレベルの「売れる/売れない」評は、競馬場でのパドック見物であれこれ言うに等しく、馬及び騎手にはなんの影響も与えないのである。

『十代目金原亭馬生』の石井徹也と寺脇研の対談で二人が強調していた、「馬生は何になろうともしなかった人だ」ということと、「寄席とは何かを求めていくのではなく、そこに座っていること自体を楽しむ場所だ」ということは、演者と観客で立場は違うものの、一つの現象に両面から着目した発言だ。「売れること=特別な存在になろうとすること」と「演芸の場の中で突出した一部だけに着目すること」と考えると、二人は「あらゆる突出に対して、それを特別扱いしないだけの視野の広さ、分母の大きさを持つのが望ましい」と考えている。もっと言えば「寄席はさまざまな特異点が現れるのが当然な、可能性を秘めた場所だ」ということだ。

これをさらに簡略化して「芸人の世界はなんでもあり」という風に言い表してみるとようやく、私がなぜ芸人(の書く本)に注目し続けてきたのか、という問題意識に近づいてくるのだ。

『落語の達人』であと二人採り上げられているのは、三代目三遊亭右女助と橘家文蔵だ。三遊亭右女助は、現在も残っている音源では「出札口」が有名である。国鉄(現・JR)の駅名を次々に言っていくところにおかしみのある噺で、初代紙切り林家正蔵が書き残した原稿によればオリジナルは大正初期に色物で寄席に出演した桜家駒之助という人であるらしい(新倉典生『正楽三代』dZERO)。

あまりに「出札口」の印象が強いために寄席ではそればかりやっていたように記憶の書き換えが行われてしまっているが、右女助に可愛がられていた桂平治(現・十一代目桂文治)の発言を見ると、それ以外にも豊富なネタがあったことがわかる。当時を知る人の証言で思い込みを否定するというのも芸人本の重要な役割である。

ちなみにそのネタのうち「嫁の放屁」は「たらちね」の改作で、以下のような内容だという。

平治 [……]お嫁さんになる人のおならがすごいってんで「(嫁になる人は)ガスがもれるんだ」。[……]それで一緒になったらモジモジしているんで、「どうしたんだモジモジして。なに? 催してきた? そしたら隣の部屋へ行ってしろ」。そうするとドーン! 「こりゃあすごいね。大変なことになっちゃったね。お前さんも結婚して早々大変だね。飛んだことになったね」。「飛んだのは八五郎さんでした」という噺です(笑)。

屁のように内容がない、くだらなさがいかにも落語らしくていい。

もう一人橘家文蔵は、現在も人気のある橘家文左衛門の師匠にあたる落語家である。持ちネタの宝庫で、六代目三遊亭圓生直伝の噺も多数持っていた。寄席の看板こそ大きくはなかったが実力派として知られ、古今亭志ん朝他の同業者からも信頼は篤かった。そうした歴史の継承者に着目しているのも本書の美点だ。噺を受け継ぎ、それをしっかり持ち続けることも芸人としては重要な役割だと言えるだろう。ちなみに、本年12月に橘家文左衛門が文蔵を襲名することが決まっており、それに向けて師匠のネタを掛ける落語会を定期的に開催している。文左衛門=文蔵がよりこの名前を大きくすれば、先代の再評価にもつながるはずである。噺の継承という形で結ばれた落語家には、そうした一面がある。時間の流れの中で一部だけを取り出して云々することが無意味なのは、こうした形で後年から照射しなければわからない部分があるからでもある。

時代との齟齬に悩んだ落語家、寄席らしい軽い芸に徹した落語家、時代の結節点としての役割を十二分に果たした落語家。くり返しになるが『落語の達人』は「売れる」という側面だけをとっては決して見えない芸人の姿を活写した一冊だ。そうした芸人に着目するという態度は、現在進行形の鑑賞のありようにヒントを授けてくれるものでもある。旧刊ではあるが、お薦めをする次第。

さて、前回色川武大の「寄席はつまらないところ」という発言を紹介しておいて原典を引用し忘れたのが気になり、著書を引っ張り出してページを繰っていた。正確ではないが、おそらく以下の文章だろう。

[……]つまらないB級作品を、夜半に一人で観ていると、つくづく退屈して眠くなってくる。けれどもそんなものを作っている人たちが、どことなく捨てがたくてにこにこしてしまう。

それは寄席の味と似ている。たくさん出演者が出てきても、本当にいい高座は一夜に一つあるかなしかで、大部分は辛抱してきかなければならない。退屈な寄席というものは、相当に苦痛で、居ても立ってもいられない。なぜ自分は貴重な時間をこんなところですごしているか、と思う。ところがそこに中毒してくると、まさにその退屈を味わいに来ているので、そこが贅沢な遊びだということになるのだ。[……]

これは『寄席放浪記』(河出文庫)の序にあたる「昔、僕は席亭になるのが夢だった」という一文の、末尾近くからの引用である。内容はともかく、この題名をご覧いただきたい。色川はギャンブルをはじめとするさまざまな趣味嗜好にはまった人だが、その原点にはすべてを網羅したいというマニアックな思いがあったことをこの文章で書いている。それだけなら単なるコレクターの告白なのだが、冒頭近くに以下の一文があるために、印象は少し変わってくる。

私は、あんまり、正しい生き方なんというものに関心が向かなくてね。自分などはどうせたいした人間じゃないから、正しい生き方も、邪しまな生き方も、できないだろうと思っていた。まァ、中途半端にぶらさがっていくんだろう、とね。だから、正邪じゃなくて、幸不幸なんというものの方に関心が向く。他人が、どのくらい幸せな思いをし、また不幸な思いをしているか、というようなことが気になる。

正邪ではなく幸不幸。

この一言が深く胸に刺さるのを感じたのである。そうだ、芸人の生き方を網羅して眺めてみたいという気持ちの奥には、どこかにそうしたものがあるはずなのではないか。

正しいかどうかではなく、その芸人は幸せなのかどうか。

また色川武大に大事なことを思い出させてもらったような気がする。(つづく)

本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く派列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。

「芸人本書く列伝」のバックナンバーはこちら。

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