世界がすべてヤフー化される前に語っておきたいこと 斎藤文彦『昭和プロレス正史(上)』刊行記念トーク(下)

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2016年末に新宿5丁目のトークイベント会場HIGH VOLTAGE CAFEで行われた斎藤文彦『昭和プロレス正史(上)』刊行記念トーク・レポート。最終回は、脈々と受け継がれる「プロレスの所作」の関心から、プロレスという文化を語るため、歴史を無機質なものにさせないために必要なある大事なこととは何かという話に広がっていきます。斎藤さんのプロレスに寄せる愛情の深さが伝わってきたトークだったと改めて感じました。

『昭和プロレス正史(下)』も間もなく発売開始されます。お見逃しなく。

斎藤文彦『昭和プロレス正史(上)』刊行記念トーク(上) 活字プロレスの歴史にちゃんと向き合おう

斎藤文彦『昭和プロレス正史(上)』刊行記念トーク(中) フミ・サイトーの原典はあのコラムニストだった

■脈々と受け継がれていく「プロレス所作」

斎藤 この前藁谷さんとしゃべったんですけど、プロレスラーだけが身につけているフィジカルな中の動きとして、プロレスの伝統的な所作というのがあるんですね。、「何々流」というのは他の芸術にもあるんでしょうけど、ちゃんとしたプロレスのレッスンを最初に教わると世界共通の所作が身に着くんです。だから、それをすっ飛ばすととっても自己流になっちゃうんですね。なので、少なくとも180年ぐらい続いてきたプロレスの所作をちゃんと今も受け継いでいるレスラーを目撃すると「おおー」という感じなんです。

杉江 踊りを習うと落語家の所作が綺麗になると言いますが、それと同じですね。

斎藤 いくらギターがうまくてもアマチュアはアマチュアというところがあったりするのと一緒。左手で左手を持つというのがあったり、左回りの所作っていうのは、やっぱりちゃんとした先生に教わった人だけが身につけているもので、ずっと引き継がれています。その所作を身につけている人たちがずっと続いていってほしいなと僕は思います。

杉江 観客としては、どの程度それに対する知識を共有しうるものなんでしょうか。

斎藤 たぶんそれを論じるのに一番わかりやすい例はDDTというプロレスだと思うんですね。DDTはある程度の人気をいま持っていて、両国国技館でも興行が打てます。でも僕の解釈で言うと、DDTってどんなに人気が出てもオルタナティブ、本流にはならないものなんです。それは所作を身につけた選手がほとんどいないからで、何かをすっ飛ばしてそこまで来てるんです。もちろんうまいんですよ。人気もあるしかっこいい選手がいたりもするんですけど、伝統的な所作を学んだ流派とは違う。ですから、プロレス業界の一番上に立つ団体にはならないだろうし、それはやっぱり新日本プロレスです。だから棚橋選手はHARASHIMA戦であんなコメントをしたんじゃないかと思います。

杉江 真意は「所作が違うんだ」ということだった、と。

斎藤 ロープに走って帰ってくるのも、あれはビデオをさんざん見て自分たちでやってるんだろうけれど、「本当の先生に習ったらロープを持ってるところが違うんだよ」みたいなところがたくさんあるんです。でも、それは観る側には関係ないことなので、ある程度は支持されるだろうと僕は思います。厭な言い方をすれば、本物と偽物というのがあるとしたら、今のオーディエンスは本物・偽物は関係なく見るでしょうから。

杉江 それは解釈の問題ですから、観客にゆだねられてしかるべきなんですよね。

斎藤 はい。別に「所作がどうだ」なんて言わなくてもプロレスは楽しめます。それに、伝統的な所作を守っているのにDDTよりも人気がないところはいくつもあるわけですから。否定するものではありません。ただ、伝統的な所作というのはとっても大切なので「それを身につけている人たちと身につけていない人たちのちがいはある」という風には思ってます。たとえば、全日本プロレスが今そんなに人気がないと言っても、秋山準という人がそこにいるんでハードルが上がるんですよ。すごくハードルの高いことをやっています。

杉江 受け身ひとつとっても違うと言いますね。

斎藤 ヘッドロックの持ち方ひとつもそうだし。秋山選手のお眼鏡にかなわないと全日本には上がれない。全員が「秋山準」という基準にかなった選手たちで、伝統的な形はまったく失われていません。

■馬場・猪木の時代以降の「正史」

杉江 いずれ刊行されることになる『昭和プロレス正史』の下巻では、田鶴浜・鈴木・櫻井というナラティブは誰かと交代するのだと思いますが。

斎藤 昭和でいうところの58年。1983年に月刊プロレスが週刊プロレスになり、半年遅れで月刊ゴングが週刊ゴングになると、活字プロレスとそのニュースも週刊サイクルになっていきました。田鶴浜さんはまだご存命だったんですけれども、日本テレビのプロレスの解説者からもご勇退されました。山田さんという東スポ的な価値観の方は残ったんですが、いみじくも長州力がよく言うように「プロレスのマスコミなんて東スポさえあればいいんだよ」という、つまり宣伝媒体としての東スポが浮き上がるわけですね。僕が週刊プロレスにいたから言うわけじゃないですけど週刊プロレスと週刊ゴングがあったことで、東スポ一党独裁の時代に比べれば週プロとゴングでのおかげで活字プロレスは少しはジャーナリズムになったと思います。つまり、団体が「こうしてね」と言うことじゃないことも活字になっていく。東スポと月刊プロレス・月刊ゴングしかない時代だとすると、タイガーマスクを辞めた佐山聡は取材しないし、できないんです。もちろん業界誌ではあるんですけれども、「新日本プロレスとか全日本プロレスのご機嫌をあまりうかがうことなく、メディアの判断として佐山聡の素顔が載る」ということだけでも、よりジャーナリズムに近づいたかなと思っています。それが、「(ターザン)山本ナラティブ」というかたちで出てきますし。自慢話になっちゃいますけど、下巻には自分でも「文彦ナラティブ」というのを入れていっています。

杉江 当時の証言としてですね。

斎藤 はい。死ぬ前のブルーザー・ブロディとか、ブロディの死についてスタン・ハンセンがしゃべったこととか、世田谷にあったUWF道場に僕が若手記者としてさんざん通ったころの、25歳だった前田日明の証言とかをちゃんと活字にして。それだって今のファンにとっては30年前の出来事ですから(笑)。

杉江 それは生まれる前だった、という人にも読んでほしいですね。

斎藤 はい、そうですね。UWFの前田日明、高田延彦、パンクラスをつくった船木誠勝。その人たちがたどった道は今のプロレスにつながってますから、それはちゃんと精査して差し上げたほうがいいかなとは思います。

杉江 いろんな証言を配すると、それぞれが乱反射して見にくくなるようなイメージがありますが、実はそうするしか書けないことってあるんだと思うんですね。特に1983年以降と言いますか、東スポ史観みたいなものができた後になると、さっきの長州力さんの言葉を借りるようですが、中心に事実があって、それを報道してればいいみたいな意識が強くなったのではないかと思います。

斎藤 「このシリーズはこうだ」みたいなことですね。

杉江 ええ。でもそれは、先ほどからうかがっているプロレスという文化の構成要素という見地から言いますと、中心にあるのは「こういう試合があった」「選手がこういう行動をとった」という現象、パフォーマンスであって、それをただ並べていくだけでは歴史、もっと言うと正史は成立しないと思うんです。その周りにいるいろいろな立場の人が何かをするでしょうから、「こういう角度からこんな発言があった」と併記していくことによって、その現象を多面的に描写して、立体化させる手順が必要なのではないでしょうか。

斎藤 マスコミの立場からすると、併記することによって読者に判断をゆだねる、じゃないですけど、現在進行形の情報とか事実、それはやがて史実になるんでしょうけど、「事実でさえいくつもあるよ」というのを見せるというのが重要なのだと思います。たとえば、ブッチャーが全日本から新日本に来て、タイガー・ジェット・シンが新日本から全日本に行っちゃう。で、最終的にはスタン・ハンセンまで全日本に行っちゃうというのは、見方の問題ではなくて本当に起こったことなので。それはちゃんと追う必要がある。

杉江 そういう時系列の順序を追えるものと、そうじゃないものがあるでしょうね。

斎藤 僕は外国人選手のインタビューを比較的たくさんやったんですけど、「こういうことを聞かないで」とか「こういう風にしてね」というのはあんまり言われませんでした。まあ、全日本は割とそうだったんですけどね。「こういうことでインタビューしてください」「こういうことは聞かないでください」と。新日本は意外とそのへんがスルーだったり。

杉江 管理が甘い(笑)。

■ヤフー化していく世界の中で

斎藤 新日本プロレスは京王プラザホテルにずっと外国人選手が泊まっていたんで、直接行くと割と取材できたんですね。で、そんなに怒られない。怒られるといえば、「ギブUPまで待てない!!」っていう悪名高き番組がありました。僕は「週刊プロレス」の記者をやりながら、IVS(テリー伊藤が在籍していた制作会社)というところで構成作家をやっていた時期がありました。その話も『下巻』には出てきます。

杉江 こないだ、Dropkickのインタビューで読んで「そうだったのか!」と驚きました。

斎藤 ちょっとしゃべりましたね。そのころの僕は25歳でまったく力がありませんでした。しかもプロレスに関するレクチャーを新日本プロレスは一切制作サイドにしなかったんです。「来て撮って」という感じで、試合は収録してください、けれどもプロレスの成り立ちとかに関しては一切教えません、というスタンスで番組を作らせたんです。それはおもしろいと思いました。だけど、やっぱりバラエティとスポーツ中継の融合はまだ無理でしたね。

杉江 ただ、Dropkickでもおっしゃってましたけど、試合前の煽り映像であるとか、そういった後に残る文化の種は番組でも蒔けたんじゃないですか。

斎藤 少しだけですね。あと、猪木さんがやった新旧世代抗争のとき「獲れるもんなら獲ってみろ。俺はいつでも受けてやるぜ」って言って、猪木さんとマサ斎藤と坂口(征二)がこっち側にいて、長州、藤波、前田なんかが反対側に行くという、とってもプロレス的な風景が出現したですけど、まったく知らずにテレビ局はそれを撮って。ディレクターも「これ、このまま使えば一番いいじゃない」となるわけです。彼らが考えるところのプロレス番組作りよりも、リングの上で猪木さんたちが演じた一幕のほうがよっぽどドラマチックだったっていうね。それでなんとなく、いろんな人がいろんなレベルでプロレスを理解していったんだと思います。テレビ局のほうも。

杉江 そこから結局全盛期の勢いを番組が取り戻すことはありませんでした。金曜夜8時にプロレスファンがテレビの前に陣取っていた時代というのも、考えてみたらはるか遠い昔の話になりましたね。

斎藤 僕にとっては最近のことのように感じます。どんな話をしても昭和のことをしゃべると30年以上前のことになっちゃう。『昭和プロレス正史』は読者層を40代後半から50代以上に設定しているつもりですが、50代以上の人から見て「自分と関係のある話」として読んでいただけたらいいなとは思います。

杉江 あった出来事なんですよね。その人たちの世代にとっては。そして、下の世代にとってみると、過去というか、自分と切れている歴史の出来事になっている。そこは読者によって受け止められ方も変わるでしょうね。

斎藤 物心ついたころからネットがある世代の人たちにとっては、自分が意識して読まないと活字をスルーしてしまう時代がくる、というのに僕はものすごく恐怖を感じています。だから最初にも言ったように少なくともウィキペディアがもうちょっと正確な情報になってくれればいい。もうちょっと豊かに、いろんなストーリーをいろんな風に使って、もっと濃密なページを作ってくれればいいのですが、今はただ精査されない情報を更新するだけになっていますので。

杉江 ネットに流れている言説には単一化の傾向もありますよね。先ほどおっしゃられた、田鶴浜・鈴木・櫻井ナラティブが時間軸を無視してコラージュされるというのがひとつ、あとエピソードが同一傾向になっていくという問題もあると思います。ネットに流れている言説って、いい話のものが多くなる傾向にある。「泣かせる」じゃないですけども、最終的にはいい話に落ち着く、みたいな傾向のものが増えていく。

斎藤 あともうひとつは、「情報が全てヤフー化される」という風に僕は考えます。僕が大学生なんかと噺をすることがあったりすると、彼らはほとんど新聞というものを読んでないんですね。だからなのか、日本語の長文がまったく読めないというか苦手。それで、ヤフーのニュースをニュースだと思っていて、情報として4行から5行のものを、ひとつのナラティブと言っちゃあれですけど、ニュースにしてもストーリーにしても、4行か5行で済むものをひとつの情報と捉えている。それで結果的にどんどんネトウヨ化していくというかね(笑)。なんか、そういうものをすごく感じちゃってます。

杉江 僕の関心の対象である昔話について思うことがあるんですが、よくある誤解で、「地方の伝承が集まるとそれが中央でお話になる」というのがあると思います。実は逆で、「中央にあるお話が再生産されていく」んですよね。同じような昔話が日本のあちこちにあるのは、それが原因の一つです。たぶんネットで語られていることも同じで、単一の雛型から複製されているはずです。原材料に多様性があっても、一個しかない鋳型に押し込めてしまった時点で陳腐化する。そういうことがネット時代には起こりうると思います。だからこそ、原初のもの、白黒ついていないグレーなものを、ディテールを保存したまま許容するのは大事です。何かの出来事について語られている内容というのは嘘か本当か、白か黒かが問題なのではなくて、いや、それを問うことも必要ですけど、「語られた事実」が「語られて」実際に存在していること自体の意味を考えないといけないでしょう。

斎藤 画一的で唯一無二の情報だけが存在を許される、ということになりがちなんでしょうね。プロレスにはそうなってほしくないんですけど。一回活字が滅亡に向かったことで、活字として表現されたものの理解の仕方とか、いろんなものを読み比べてみる理解とか、解釈の多様性を許容するものとかがシャッフルされちゃうんじゃないかという怖さがあります。

杉江 シャッフルして、楽なほうだけが残る。

斎藤 それはよくないことですよ、本当に。でも、ネットがこれからも発展していくのなら、「こういう情報もあるよ。こういう情報もあるよ」ってもっともっとたくさん考えたり感じたりする材料が出てきて「情報ってひとつじゃないんだよ」っていう方向に行ってくれればいいですけどね。ヤフー化されるとどんどん簡略され、一義的になるだけです。そこの危惧はありますですね。

杉江 そう思います。

斎藤 まあでも、猪木さんも馬場さんももう古いですよ。力道山どころじゃなくて、ジャイアント馬場、アントニオ猪木をリアルタイムで見た人はもう若い人にはいないわけですから。

杉江 もう20代は間に合わないですよね。

斎藤 30代だって怪しいと思います。今30歳の人が1986年生まれですから。

杉江 ああ。子供のころにおぼろげに見たことがある、みたいなものですか。

斎藤 だって、猪木さんが参議院選に最初に出たのが平成元年ですよ。だからこそ馬場さん猪木さんに関しては、文化的価値があるものとして映像として勉強されるジャンルになるのかもしれないし。力道山の映像よりは馬場さんの映像、猪木さんの映像のほうがはるかにきっちりとアーカイブ化されるでしょうから、「これがプロレスの先祖だよ」みたいなことでずっと勉強して研究材料になってくれればいいかなという風には思います。

杉江 そこは意識して突出させていかないと、整理は進まないんじゃないでしょうか。

斎藤 力道山の映像も実はたくさんあって、試合で外国人選手に捕まってずーっと力道山がセールしている場面とかあるんですよ。ナラティブの刷り込みとしては、「力道山が耐えて耐えて、最後に空手チョップで反撃をする」みたいな画一的なことを言いますけども、力道山でさえアメリカンプロレスの流れを守っているんです。映像を見ると、「ああ、割と普通にプロレスやってるわ」というのを客観視できたりします。それから、ジャイアント馬場対ジン・キニスキーとかブルーノ・サンマルチノとのシングルマッチだと、動きのいい馬場さんがアメリカンプロレスやったりして、意外と今見ると「おお、馬場さんは器用なレスラーだ」みたいな感じはあったりするでしょう。そうやって映像でいろんなものを再発見できるという楽しみはすごくあります。

杉江 むしろ環境は昔より恵まれているわけですし、なるほど、情報化がいい方向に行われて、ジャンルが豊穣になるといいですね。(終)

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斎藤文彦『昭和プロレス正史(上)』刊行記念トーク(中) フミ・サイトーの原典はあのコラムニストだった

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