この原稿は2017年10月10日発行の「水道橋博士のメルマ旬報」のために書いたものである。「休載のお詫び」原稿なのだが、お読みいただくとわかるとおり、小松政夫の著書に詳しく降れており、次回の原稿に続く内容になっている。お詫びの再録というのも変な話だが、例外的に次回原稿と共に載せておくことにする。
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杉江松恋です。
本来でしたら「め組」の一員として原稿をお送りしなければならないのですが、あいにくと大きな仕事が終わらず、間に合わせることができませんでした。お詫び申し上げます。次号また、お会いできればと思っております。
と、これだけではあまりにそっけないので、最近の仕事や気になっている本などをご紹介しておきます。
まず仕事のほうですが、先月末に『十八番の噺』という本が刊行されました。映画関連の書籍を扱うフィルム・アート社が今後は古典芸能にも力を入れていくということで、初心者向けに、演者の考える十八番とは何か、つまりどういう噺を演じれば自分の得意領域を表現できるか、という考えについてインタビューした本なのです。こちらでは春風亭昇太、桃月庵白酒、柳家喬太郎、立川生志、当代林家正蔵(以上、登場順)という5人の真打が、インタビューに応えて普段は明かさない手の内を語っています。このうち私は、桃月庵白酒の聞き手を務めました。ご存じの方がいらっしゃるかもしれませんが、昨年『桃月庵白酒と落語十三夜』(KADOKAWA)という本を共著で出した、私のお気に入りの落語家です。白酒ならではのシニカルな視線も交えつつ、寄席で聴かせる落語の醍醐味について触れてくれています。いわゆる落語ブームに対するカウンター的な視点が白酒談話の中にはあるような気がしました。それは私にとって、とても重要なものですので、できればさらに追及していきたいと思っています。
そして今月末、『“絶滅危惧職”講談師を生きる』(新潮社)が刊行されます。こちらは日本講談協会の二ツ目・神田松之丞の聞書き本です。ここしばらくの東京講談界は、女性絶対優位の状態がずっと続いていました。松之丞は昨今ではたいへん珍しくなった若手「男性」講談師であり、師匠・神田松鯉の豊富な持ちネタを我がものにすべく、日々精進しています。松之丞の人気が急上昇し始めたのは2015年ぐらいからで、サンキュータツオ・プロデュースの「渋谷らくご」で新しいファンを獲得したのが直接のきっかけでした。そのとき彼は「グレーゾーン」などの新作講談の演者として脚光を浴びたのですが、本人は実は新作に思い入れがなく、連続物と呼ばれる古典的な読み物を愛する古風な講談師です。形成されつつあるパブリック・イメージと彼本人の間にある大きな違い、古いファンから「この男に講談界を任せて大丈夫なのか」という不安の声が上がっていること、そして講談自体がまだまだ現代においてはマイナーなジャンルであることなど、神田松之丞を取り巻く状況について本人の口から存分に語ってもらいました。もちろん未来の展望についても。
この本の元は。先ごろ電子化した新潮社「yomyom」に連載されました(その後cakesに二次掲載)。そちらの内容を底本として、単行本ではエピソードを大幅に加筆しました。また、松之丞をよく知る人の証言を加え、彼の半生を立体的に構成できたと自負しております。どうぞ発売開始の折は書店その他でお買い求めいただきたく、お願い申し上げる次第です。
さて、自分の仕事以外の話題ですが、今は小松政夫が気になって仕方ありません。NHKで彼と師・植木等の関係を描いた連続ドラマが放映中なので、世間でも時ならぬ小松政夫ブームが持ち上がっているようです。ずんずんずんずん、ずんずんずんずん、よっ、小松の親分さん!
ブームを牽引する形で2冊の本が出ています。1冊は『時代とフザケた男 小松政夫』(扶桑社)です。「エノケンからAKB48までを笑わせ続ける喜劇人」との副題にあるように、彼の長い芸歴と、その中で出会った役者・喜劇人について語ったという性格が強い。この本の嬉しいところは表紙画を小林信彦の喜劇本も多く手掛けた峰岸達に任せている点で、それだけでも編集者はわかっているな、という気持ちにさせてくれます。
もう1冊は『昭和と師弟愛 植木等と歩いた43年』(KADOKAWA)です。こちらは渡辺プロで付き人兼運転手を務め、「親父」と呼んで生涯敬い続けた植木等との関係を軸にした内容で、扶桑社本との重複を気にせずに読むことができます。『時代とフザけた男』が列伝形式、『昭和と師弟愛』が正史というように把握できるのではないでしょうか。
実は小松政夫にはこれ以外にも多数の著書があり、そのすべてに目を通せなかったのが原稿が間に合わなかった理由です。『のぼせもんやけん』(竹書房)他の小松本に目を通し終わった時点で、この偉大な喜劇人については連載で触れたいと思っています。
今はちょっとだけ展望を。
この2冊を通読して感じたのですが、小松政夫には小林信彦『日本の喜劇人』(新潮文庫他)からの強い影響があるように思われます。たとえば『昭和と師弟愛』におけるこんな記述。
僕は自分のギャグをギャグではなく、流行り言葉ととらえてました。ギャグというのは本来、練りに練られた台本の上に成立するものです。そうではなく、あくまで流行り言葉という意識だったから、言い放って、惜しげもなく捨ててきました。消費される前に自分から、どんどん消費していこう、と。
小林信彦が時評『笑学百科』で「ギャグとフレーズ」の違いについて書いたくだりを思い出された方も多いのではないでしょうか。こうした伝統的な喜劇人としてのギャグ観を小松に教えたのはもちろん「親父」である植木等でしょうが、もう一つ伊東四朗とコンビを組んだことで看過された面も大きいのではないかと思います。
また『時代とフザケた男』にはこういう記述が出てきます。「てなもんや三度笠」で天下をとり、その後〈必殺シリーズ〉の中村主水という当たり役を得て時代劇役者として大成した藤田まことの章です。
小松はデパートの屋上で開かれた「藤田まことショー」に客演した経験から彼を「体の動きと表情でキチンと笑いをとる、場を繋ぐ、間をもたす、一流のボードビリアン(軽演劇俳優)ですよ」と評価します。中村主水というキャラクターが陽と陰の二つの顔を持ち、その切り替えを瞬時に行うことによって観客に凄味を見せつけた背景には、このボードビルの資質があったと思うのだが、残念ながらまだ、そういう劇評論には出くわしたことがなく、「中村主水論」として書いてみたくなるほどです。私は、藤田演じる中村主水が後ろ手に賄賂を受け取った際、右手の人さし指から小指までの四本で包むようにした複数の小判をずらし、残った親指でそのへりをなぞって何枚あるかを数える仕草を何気なくするのを見て、とても理にかなった芝居だと感服したことがあります。ボードビリアンとして藤田をとらえることで、その演技の本質が見えてくるでしょう。また、必殺シリーズが変容していった要因を、そうした喜劇役者の出演が絶えたことに求める見方も有効なのではないでしょうか。
藤田について書かれた箇所でもう一つ。私のお気に入りの文章です。藤田と痛飲した後はラーメンを喰って〆るのが通例だったとかで、その場面。
その晩も二人でラーメンを食いながらまことさん、
「なあコマツ。九州で巡業があるんだけど、俺と一緒に旅しないか?」
まことさんは人にモノ頼む時は、なぜか「必殺」の中村主水が人を斬る時みたいな顔になるの。
この喩えが最高なのです。ラーメン屋で小松政夫を見つめる藤田まことが、夜泣きそば屋で仲間の仕置人を見る中村主水に重なって見える。こうした表現力もまた、小松政夫の卓越した人間観察能力ゆえのものだと思います。
というわけで今回は気になったことだけを書きましたが、小松政夫本のお話しはまた後日。そのときまでお楽しみに。ではサヨナラ、サヨナラ、サヨナラ(淀川長治調)。(つづく)