幽の書評vol.2 つり人出版部編『水辺の怪談2』・小池真理子『夜は満ちる』
先般、KADOKAWAから刊行されている日本で唯一の怪談専門文芸誌「幽」が休刊し、同社の妖怪専門誌「怪」と合併して「怪と幽」として再出発することが発表された。30号をもって幕を閉じた同誌には、私は創刊以来ずっと書評を寄稿していたのである。多くの雑誌で連載を持ってきたが、創刊から休刊まで通してというのはたぶん「幽」が初めてだ。思い入れの強い雑誌でもあり、これか...
街てくてく~古本屋と銭湯、ときどきビール 北新宿「ピノキオ書房」の思い出
ここが伝説の地である。 新宿区百人町、南北に延びる小滝橋通りと、東西に走る税務署通りとが、JR総武線の大久保駅の西側で交差する。その交差点の南東角近くに一軒の寿司屋がある。 近辺の歴史に関心のない人には単なる寿司屋にしか見えないだろう。 だが私の目には一つの幻影が浮かび上がっている。 寿司屋の隣に時代から取り残されたような古い...
芸人本書く派列伝returns vol.13 三遊亭円丈『師匠、御乱心』
2017年2月の「水道橋博士のメルマ旬報」原稿である。約2年前のこの回をもってreturnsの毎日更新をいったん止め、月曜日のみの更新とする。明日からはまた別の過去連載原稿を再録していくことにするので、よかったらまた読んでみてください。 ============================= 2016年の演芸・落語本の補遺として『円丈...
芸人本書く派列伝returns vol.12 三遊亭円丈『円丈落語全集1』
2016年に刊行された「本書く派」芸人の著書を整理していて大事なものが抜けていたことに気づいた。新作派落語家の頭領というべき三遊亭円丈の『円丈落語全集1』である。 この本が抜けてしまった一つの理由は、円丈の自費出版だったからだ。発行元は円丈全集委員会になっており、販売元を映像作品メーカーのクエストが務めている。といっても本にはISBNコードが入...
芸人本書く派列伝returns vol.11 『成金本』
以下は2017年最初の「メルマ旬報」原稿だった。2019年もインフルエンザに罹患したが、この年もやられていたらしい。このときはまだ自分が成金メンバーの一人の聞き書き本を担当することになるなど、知る由もない。 ======================== あけましておめでとうございます。元旦早々インフルエンザに罹患したことが発覚し、強制寝正月と...
芸人本書く派列伝returns vol.10 広瀬和生『僕らの落語 本音を語る! 噺家×噺家の対談集』
これを書いている日の夜(注:2016年12月9日)、新宿五丁目BIRIBIRI寄席改めマイクロシアター電撃座は初めて女性落語家の会を開催する。落語芸術協会に所属する三遊亭遊かりさんの会だ。これまでも前座で女性落語家が上がったことはあったのだが、メインになるというのは初めてなのである。初めて尽くしではもう一つあって、遊かりさんは電撃座の「売り込み第一号...
芸人本書く派列伝returns vol.9 立川談四楼『そこでだ、若旦那!』
先月の30日(注:2016年9月)、何の気なしにtwitterを覗いたら、本マガジンの編集長である水道橋博士が、明らかに私に宛てたと思われる引用付きリツイートをしていて驚いた。「メルマ旬報」には真打・立川談慶と談笑門下の二ツ目である立川吉笑のお二人が連載を持っているのはご存じのとおり。談慶さんは私と同じ「め」組だが、吉笑さんの連載「現在落語論~落語立...
芸人本書く派列伝returns vol.8 立川談四楼『シャレのち曇り』『石油ポンプの女』『談志が死んだ』ほか
「すばる」2016年9月号に、頼まれて落語の演目ガイドを書いた。 といっても個々の演目のストーリーにはそれほど意味がなく、どちらかといえばそれをどのような演出で客に提示するかを問われるのが落語という演芸である。なので自身の落語経験を踏まえ、ストーリーを追っていた聴き手がどのように変化したか、その見本として読んでいただくこととした。題名を...
芸人本書く派列伝returns vol.7 番外篇・『桃月庵白酒と落語十三夜』
今回は番外篇。いろいろ落ち着かない時期に書いた原稿だということでお含みおき願いたい。落語会のことも書いているが、すべて終了しているのでご注意ください。 ================================= つい先日、懇意にしていた翻訳者の横山啓明氏が亡くなった。癌で闘病中ということは知っていたが、堪える訃報だったのである。 そ...
芸人本書く派列伝returns vol.6 山本晋也『カントク記』たこ八郎『たこでーす』
前回に続いて山本晋也『カントク記』(双葉社)のことを書いておきたい。 この本で興味深いのは、1970年代の面白グループについて触れられた箇所だ。面白グループ最大の功績はタモリを世に出すのに貢献したことだが、フジオプロ主義者からすれば少年誌の連載が先細りになっていった70年代後半に、サロン的な憩いの場を赤塚不二夫に提供してくれたという意義...