杉江松恋不善閑居 木馬亭十一月定席四日目&人はコンテンツだけで作られるものではない

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某月某日

今抱えている仕事。レギュラー原稿×3、イレギュラー原稿×2(インタビュー構成×2)。やらなければならないこと。の・ようなものの準備×1。

ぎりぎりまで原稿を書いて木馬亭へ。三日目は行けなかったから、四日目は意地でも行くのである。モタレの天光軒満月さん、トリの天中軒雲月さんだけ間に合う。至宝沢村豊子と雲月さんとのコンビは聴かないわけにいかないだろう。最近弱気だという豊子さんを思いやっていろいろ雲月さんが舞台で声をかける。浪曲さながらで、聴いていて涙が出た。帰路の途中で神保町、愛書会開催中の東京古書会館と手塚書房に寄る。琵琶関連の資料を探しているのだが見つからず。

帰ったら小学館から『ビッグコミックオリジナル』が届いていた。〈オリジナリズム〉に『うる星やつら』のことを書いたのである。再アニメ化を機にどこかで書ければいいと思っていたのだが、小学館の媒体でよかった。

そこに書いたので繰り返さないが、私の中のかなりの部分はアニメ『うる星やつら』でできている。他にもいろいろなものをサブカルチャーから貰った。小説、まんが、映画、テレビドラマなどなど。よく、大事なことはみんな〇〇から教わった、というような言い方をするが、あれにはちょっと疑問がある。サブカルチャーのコンテンツから受け取れるものはたくさんある。そこでの感動は後々の人格形成に影響を与えるだろう。しかし、コンテンツはコンテンツで、それを深く理解するためには別の何かが必要ではないかという気がする。私の場合は大学の人間関係学科で人文科学について自分なりに勉強したことが非常に役に立った。それ抜きでは現在の自分はありえないと思っている。『うる星やつら』抜きには考えられないのと同様に。だからこう書く。

人生で大切にしたいことはサブカルチャーのコンテンツから吸収した。同時に、人間として大事にしなければならないことは大学の講義で学んだ。その二つが合わさったところに今の自分がある。どちらも欠くことはできなかった。共に深く感謝している。

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