杉江松恋不善閑居 旧聞・森小路「千賀書房」のこと

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某月某日

今抱えている仕事。レギュラー原稿×4。イレギュラー原稿×2(エッセイ、評論)、ProjectTY書き下ろし。

やらなければならないこと。主催する会の準備×1。

午前中は書き下ろしに集中して、なんとか1章を終わらせる。あと1章書いて、全体の手直しをしたら、今できることは終わり。あとは残っているインタビュー分を入れたら本文は揃うので、入れる写真を決めるなどの別の作業である。午後からは通常原稿のお仕事。終わらなかったのだけどなんとか前進はした。

1月の大阪行について書き終えてしまわなければ。京橋で古本屋くまに行ったあと、京阪電鉄の森小路駅まで移動した。ここで2軒回らなければならない。駅に近いKeats and Companyは開いていなかった。アンティークや骨董なども置いた趣味のいい店と聞いているのだが、仕方ない。諦めてもう一軒の千賀書房へ。金箔書房に入れなかったからには、ここで何か発見をして帰らない日には先祖の助六に申し訳が立たない。

駅前商店街を抜けてきて大きな道を渡ったところにお店はある。横に広いごく普通の店構えなのだが看板に「古本探偵局通信部」「遊び心のある品目増加中」などと書かれていて、いかにも好奇心をそそるではないか。

中に入った瞬間に衝撃を覚えた。広い。そして奥深い。長い通路の両脇には専門書が細かく分類された上で並べられている。入口すぐのところに芸能棚があったが、上方歌舞伎を中心にまったく遺漏のない品ぞろえで、ごく普通の古書店では大きな顔をしそうな本が肩身狭そうに隅のほうへ追いやられている。それを圧倒するような珍しい本が並んでいるからだ。一冊抜いて手にとってみたが、文句のない値付けである。わかって置いているんだぞ、という店主の意気込みを感じる。すぐ左にあった帳場にお願いして背負っていた荷物を置かせていただく。本の山を崩さずに通るのはまず不可能だからだ。綺麗に並べられた棚の前には私の腹ぐらいの高さの文庫棚があり、その上にもうずたかく本が積まれている。積まれた本も決して半端ものではなくて、やがて一軍に昇格しようという実力者ばかりだ。一歩前に進むと景色が代わり、別の世界が拓ける。これは時間がいくらあっても足りないぞ、と再訪を期して早歩きモードで見ることにした。なんとか奥までたどり着いたが、正面にも当たり前のように棚。そして同じような通路が左右に広がる。最も右はアダルト系だが、新旧の写真集がこれでもかと並べられおり、その圧力に眩暈がしてきた。あっという間に時間切れ。結局購入できたのは一冊きりで、「上方芸能」編集長の木津川計『編集長のボロ鞄』(日本機関紙出版センター)を購入した。

「領収書をもらえますか」と頼むと、「ちょっと待ってもらえますか」と言われた。内線電話で何事か話している。聞けば奥にも帳場があって、領収書はそこにしかないとのこと。申し訳ない手間をかけさせてしまった。その奥からもう一人の男性が本をかき分けかき分けやってくる。「はい、お待たせしました。あの、お寺の方ですか」と聞かれた。坊主頭にしてはいるが、そんなことを訊ねられたのは初めてだ。この店によく来るお寺の関係者がやはり領収書をもらって帰るらしい。なるほど。

店を出て、京阪電鉄で来た道を戻る。この日は大阪某所で有栖川有栖氏と対談の予定なのである。『論理仕掛の奇談』の巻末に収録するためのものである。本が詰まっているせいでたぶん重さが20kgくらいになっている荷物を背負って環状線へ。無事にお仕事場へと着いた。

今月も更新されました。「ミステリちゃん」2022年3月号・その3。

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