杉江松恋不善閑居 玉川奈々福の目からウロコの浪曲講座その2

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浪曲は蘇る:玉川福太郎と伝統話芸の栄枯盛衰

某月某日

今抱えている仕事。レギュラー原稿×2。イレギュラー原稿×4(エッセイ、文庫解説×3)、ProjectTY書き下ろし。

やらなければならないこと。主催する会の準備×1。

連絡をいただいて、書かなければいけない文庫解説は三本であることに気づく。別件と勘違いしていて、そちらの〆切はまだだと思っていたのだ。平謝りをしていついつまでに仕上げると約束、調整する。とりあえずは手元にある難物の原稿を上げなければいけない。

夜になって高田馬場・ばばん場へ。玉川奈々福さんの「目からウロコの浪曲講座」第2回を受講する。前回で明治末までの浪曲史が終わり、今回は昭和の大家たちについて。木村重勝・重松・重友師弟に始まり、重友を含む昭和の四天王へと話は進む。重友、三代目鼈甲斎虎丸、東家楽燕、初代天中軒雲月の聴き比べ。そして戦前から活躍する女流大家で初代春野百合子と富士月子の百貨店とも言うべき声質の変化に圧倒された。講義終了後は奈々福さんによる浪曲口演で、この日は「天保六花撰 河内山と直侍」である。いつもと趣きを変え、この日は重友に敬意を表して、節をすべて純粋な関東節のみで演じるという。歯切れよく、ぽんぽんという節を味わってご参会。急いで帰宅してコロナ罹患の岡田圭右不在の「クイズ脳ベルSHOW」を観る。終わって、さあ、寝ようか、と支度しているところに揺れが来た。東北地方では震度六のところもあったそうだ。拙宅は特に被害はなく、五十音順に並べている本棚の最上段から、阿佐田哲也が色川武大を連れて落ちてきたくらい。震源地に近い地域のご無事を祈りつつ、就眠した。

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