翻訳ミステリーマストリード補遺(53/100) ケン・フォレット『針の眼』

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翻訳ミステリー大賞シンジケートの人気企画「必読!ミステリー塾」が最終コーナーを回ったのを記念して、勧進元である杉江松恋の「ひとこと」をこちらにも再掲する。興味を持っていただけたら、ぜひ「必読!ミステリー塾」の畠山志津佳・加藤篁両氏の読解もお試しあれ。

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かつて作家の典厩五郎は、「いわばフォレットは女と男の愛の物語、またはロマンス小説を書いているのであって、歴史的情景は単なる借景にすぎないのである」と書きました(「ハーレクイン系冒険小説の行方」、ハヤカワ文庫NV『冒険・スパイ小説ハンドブック』所収)。同文によれば、ケン・フォレットを「冒険小説作家ではなくハーレクイン作家」と定義づけたのは評論家の関口苑生であったとのことです。

もう少し言葉を補って書けば、ケン・フォレットは一九六〇年代的な束縛から離れ、冒険小説の原点の一つであるロマンス小説への本家帰りをいち早く果たした作家ということになるでしょう。ここでいうロマンス小説とは狭義の恋愛小説に限らず、広義の空想物語を指します。「一九六〇年代的な束縛」とは北上次郎が『冒険小説論』で「一九六〇年代にすぐれた冒険小説を書いた作家ほど、七〇年代の壁にはげしくぶつかったとも言える気がする」としたことを受けたもので、一九六〇年代から七〇年代にかけて冒険小説というジャンルが情報小説に向けて大きく舵を切ったことに由来します。それによって冒険小説の主人公は闘うべき敵を見失ったのであり、人間性不在の諜報戦に活劇は取って代わられたのが一九七〇年代の特色でした。「いかに闘うべきか」という主題は「いかに生き残るべきか」に変わっていくのですが、その敵不在の状況は結局変わることがなく現在に至ります。

さまざまな仮想敵を作ることで適応しようとした書き手が多かった中で、フォレットはそうした流れとは無縁に、変転する状況と対峙する個人がどう生きていくかを描くロマンス小説に我が道を見出しました。一九八八年に発表された『大聖堂』は十二世紀が舞台となる大作ですが、これが爆発的なヒットとなり、以降のフォレットの方向性を決定づけます。二〇一〇年代に発表した『巨人たちの落日』『凍てつく世界』『永遠の始まり』の〈百年三部作〉は、三作で二十世紀を描き切ることを目的とした歴史小説で、すでにミステリーの要素は希薄です。冒険小説もその一部に含むミステリーは、さまざまなジャンルの小説に隣接しています。逆に言えば謎やスリル、サスペンスといった要素を作品の中に見出した読者によってミステリーは発見されてきたのであり、その源流を辿ればロマンス、諷刺小説、怪奇小説などの大河へと行き着きます。フォレットはジャンルにこだわらず、むしろ源流へと遡行することで自身を確立させようとしました。実質的なデビュー作である『針の眼』は、ミステリーとそれ以外の要素が奇跡的な均衡を保つことに成功した稀有な作品です。ミステリーというジャンルについて考える上でも一読をお薦めします。

『針の眼』を畠山・加藤両氏はこう読んだ。

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