翻訳ミステリーマストリード補遺(54/100) グレアム・グリーン『ヒューマン・ファクター』

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翻訳ミステリー大賞シンジケートの人気企画「必読!ミステリー塾」が最終コーナーを回ったのを記念して、勧進元である杉江松恋の「ひとこと」をこちらにも再掲する。興味を持っていただけたら、ぜひ「必読!ミステリー塾」の畠山志津佳・加藤篁両氏の読解もお試しあれ。

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グリーンが著したスパイ小説中で、個人的なお気に入りは1958年の『ハバナの男』です。政治信条や愛国心といったものとは無縁なところで情報が生み出されて消費されるメカニズムを描いたこの作品には、グリーンの姿勢がよく表れています。『ヒューマン・ファクター』が発表されたのは作家生活としては最後期にあたる1978年で、グリーンにとって忘れがたい人物であったキム・フィルビーの影が全篇を覆っており、その存在が彼にとってはいかに大きなものだったかを認識させられます。

ただしグリーンは、キム・フィルビーの亡命よりもずっと以前から、自身も関わっていた諜報戦争という国家ぐるみの超法規的な行為について書き続けていた作家であります。そこが後続の作家とは決定的に異なる点で、彼はキム・フィルビーという灰色地帯にいる人間を横目で見ながら、奇妙な行動をとるスパイという人種を描いていたのでした。フィルビーの亡命はグリーンの内部にあるものを変えたかもしれませんが、あるいは以前から抱いていた疑念が確信に変わっただけという可能性もあります。フィルビーの行為という結果ではなく、彼を衝き動かすことになったメカニズムにグリーンの関心はありました。だからこそ元上司を非難する言葉を一切口にしなかったのであり、スキャンダリズムによって自作の評価が左右されなくなるまで本作の発表を控えたのではないかと思われます。本質的には人間喜劇の書き手であったグリーンが、人生の終わりに差し掛かって(本作発表の翌年、彼はがんの手術を受けます)自己を解放して書いた作品であり、恰好の作家入門書でもあります。また、スパイ小説が文学の一ジャンルとしてなぜ書き続けられてきたのかということを考える上でも『ヒューマン・ファクター』は重要な作品と言えるでしょう。

『ヒューマン・ファクター』を畠山・加藤両氏はこう読んだ。

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