翻訳ミステリーマストリード補遺(37/100) ドナルド・E・ウェストレイク『ホット・ロック』

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翻訳ミステリー大賞シンジケートの人気企画「必読!ミステリー塾」が最終コーナーを回ったのを記念して、勧進元である杉江松恋の「ひとこと」をこちらにも再掲する。興味を持っていただけたら、ぜひ「必読!ミステリー塾」の畠山志津佳・加藤篁両氏の読解もお試しあれ。

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ドナルド・E・ウエストレイクは一口で言うならば「アメリカ犯罪小説を変えた作家」です。1960年に発表した長篇デビュー作の『やとわれた男』からしばらくはハメット式犯罪小説の衣鉢を継ぐ乾いた筆致の作品が続きましたが、1964年の『憐れみはあとに』以降は次第に喜劇的な状況を作り出してその中で犯罪者を活躍させるという方向へと転換、1967年の詐欺小説『我輩はカモである』で最初のMWA賞を獲得しました。1970年に発表した本書、『ホット・ロック』で世界一不運な泥棒ドートマンダーを登場させ、以降ウエストレイクの看板作品となります。本来この作品は、リチャード・スターク名義で1962年の『悪党パーカー/人狩り』から始まった非常な強盗のシリーズとして書かれるはずだったのですが、同じ獲物を何度も盗むことになる、という状況からドートマンダーという新しい主人公が生まれてきたのだと作者は語っています。いわば両者は兄弟関係にあり、デビュー時に期待されたハメット式の正式な継承者としての顔はスターク名義で、喜劇要素を加味することで犯罪小説のプロットを広げていく開拓者の役割はウエストレイク名義で、と分業が行われていった感があります。ドートマンダー・シリーズの第3長篇『ジミー・ザ・キッド』の中に『悪党パーカー/誘拐』という架空の本が出てきて、主人公たちがそれを教科書にして犯行計画を立てるのは有名で、ウエストレイクにはそうした遊びの感覚もあり、他の作家とキャラクターを交換してカメオ出演させあう、というようなこともしています。

ウエストレイクにはもう一つ重要なタッカー・コウという筆名もあります。〈刑事くずれ〉とシリーズ邦題をつけられた長篇は、1970年代から80年代に多く書かれた、主人公の造形描写に重きを置く私立探偵小説、いわゆるネオ・ハードボイルドの嚆矢というべき作品であり、同時に一人称犯罪小説と謎解き小説を合体させるという魅力的な試みを行った実験作でもあります(マニア向きには、ハヤカワ・ミステリ文庫の作家別ナンバーの欠番がこのタッカー・コウに振り当てられていたことでも知られています)。このように、犯罪小説のすべての領域において後進の道標となる足跡を残しており、これほどまでに巨匠の称号がふさわしい作家は他にいません。「これはミステリーなの?」どころではなく、「ウエストレイクこそが現代ミステリーそのものなんだよ」と胸を張って宣言すべきでしょう。残念なのは著書の多くが現在では品切状態になっていることで、ウエストレイクがいつでも気軽に新刊書店で買える未来の到来を心から願っております。

『ホット・ロック』を畠山・加藤両氏はこう読んだ。

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