杉江松恋不善閑居 自粛生活40日目「古本屋にはどのくらい行きますか」

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これは最後に見た杉野書店の開いているところ。杉野の200円均一棚で本を買いたいなあ。

5月17日

本に関するアンケート、そろそろ古本屋のことを聞いてもいいかな、と思ってこの質問である。回答数は425だった。

「1週間に1回以上は行く」20.2%

「月に1回以上は行く」38.1%

「古本屋には行かない」22.8%

「リアルでは行かなくても毎日ネット店舗は見ている」18.8%

最近の私で言えば「リアルでは行かなくても毎日ネット店舗は見ている」であって、朝起きてまず開くサイトの一つが「日本の古本屋」である。その中の「古本まつりに行こう」のページを確認するのだが、開催予定がどんどん少なくなっていて非常に淋しい。ついに6月21日に予定されていた雑司が谷のみちくさ市までも中止になってしまった。3月に続き、これで半年近く開催がないことになる。溜まりに溜まった本を持って行こうと思っていたのに。

それはさておき、普段の私は「1週間に1回以上は行く」生活をしている。これは古本屋に行こうとしているのではなく、健康のために歩いていると古本屋を見かけてしまうので、仕方ないことなのだ。このサイトの、街歩きに関する記事の副題を「古本屋と銭湯、ときどきビール」としているのも、古本屋とはそれぞれの生活圏に属するものだという思いがあるからで、自分の生活圏からちょっと離れたところのそれを覗きに行く感覚が私は好きなのである。しかし銭湯と同じように古本屋は減少しつつある。生活圏の変貌に伴うものなので、これは時の流れとしてやむをえないことだ。

定期的に行かれていると思われる方のご回答をいくつか。

やきとりいさん「近所の散歩コースの一つに2軒古本屋を組み込んでいるので、そのコースを選ぶと自動的に吸い込まれることになります」

viola月の光さん「「そんなに何回も行って、品揃えは変わらないでしょ?」と言われた事もありますが、こちらの欲しい本がどんどん変わるのです」

Pan Traductiaさん「棚を眺めているだけで楽しいので、よほど関心の向きと離れていないかぎり、開いている古本屋には立ち寄ります」

おお、ご同輩。

古本屋には行かないという意見では碧野圭さん「古本屋、好きなのですが、行くとくしゃみが出て、鼻がムズムズする。30年以上前、初めて古本屋に行った頃からそうです。たぶん埃アレルギーだと思います。なので、長時間いることができません。それで足が遠ざかり、行くのはせいぜい月に一度くらい。残念です」というご回答は、他にも頷かれる方がいらっしゃるのではないかと思う。埃に気をつけて清潔にされている古本屋がほとんどなのではあるが、アレルギーの心配がないとは言い切れまい。

「古本屋は生活圏のもの」とは言いつつ、それが当てはまるのは一部の地域のみであることを、旧街道歩きを通して私は知っている。伊勢街道を南下したときは、四日市を通過時に「これから先に個人営業の古本屋はないのだ」という事実を噛みしめて愕然としたものである。古本探しがネット探訪と同意である、という方も多いことだろう。

野村弘明さん「もうこの20年、在宅のSOHOで都心にも滅多に出かけない生活。隣町の行きつけの古書店には自転車で週一くらいで行ってましたが、通販に専念すると実店舗を閉店してしまい。最近は古書を買うのはもっぱらネットになりました」

開店の報せを聞くこともあるが、閉店・ネットへの移行のほうがはるかに多い。このコロナ禍がきっかけで閉めてしまうところもあるのだろうな、と暗い思いがこみあげてくる。

自粛生活40日目。

近所に買い物に出かけたら、思いがけず多くの人出があった。咄嗟にこみ上げたのは恐怖の感情である。帰宅して考えてみたら、あのくらいの人込みは以前であれば普通だった。この40日間でこちらの感覚が変わったのだ。東日本大震災後の社会変動には倫理観を大きく揺さぶられた。このコロナ禍はそれに留まらず、生理感覚の変化を伴うことになるだろう。

昨日酒井貞道氏と若林踏氏がzoomによるリモート・イベントを開かれたそうで、残念ながら参加できなかったが、その中でコロナ後の小説観という話題について言及されたらしい。これは直感で言うのだが、ストーリー重視でわかりやすい文章の小説だけではなく、文字通り皮膚感覚で情動が受けとめられるような、表現が充実した作品が読まれるようになるのではないかと思う。長く続いた不安を癒すための、文章の慈雨が求められるはずだ。

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