小説の問題vol.43「食欲の秋にモテモテ」 東海林さだお『昼メシのまるかじり』・芦辺拓『十三番目の陪審員』

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「問題小説」連載のバックナンバーを再掲しているのだが、2001年4~9月号の原稿ファイルが見当たらないことに気づいた。半年分だから結構な期間である。どうしたのだろう。2001年9月に父が亡くなっているので、もしかするとそのどたばたが原因かもしれない。欠けている分は、いずれまたファイルが見つかったら補完しようと思う。悪しからずご了解ください。

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昼メシの丸かじり (文春文庫)

十三番目の陪審員 (角川文庫)

〇〇の秋デスネ! の〇〇には、人によってそれぞれいろいろな文字が入ると思う。運動の秋、恋愛の秋、芸術の秋、その他もろもろ。

私の場合、食欲の秋、かな。

あれ、書評家のくせに読書の秋じゃないの、なんてツッコミも聞こえて来そうだけど、読書は季節に関係なく年がら年中やっているのです。

さて、食欲の秋。これからの季節においしくなってくるものに、おでんがありますね。もうなくなってしまったけど、新宿南口にあった「五十鈴」という店のおでんは好きだったな。カウンターだけの店で、元気のいいおばちゃんたちが小鍋もってうろうろしながら、店を仕切ってました。あの店のおでんが好きだった。

おでんというと思い出すのが、昔なつかし東海林さだおの「ショージ君」の一話である。ショージ君というのは、金にも女にも出世にも縁のない、まことに愛すべき独身男なのだが、その彼が寒風吹きすさぶ中、屋台のおでん屋にやって来る。当然金のない彼はそうそう贅沢をするわけにはいかず、チクワを一本だけ頼むわけです。しかしここからが彼の偉いところで、とっさに天才的なひらめきを見せる。屋台のオヤジが店を離れた隙に、チクワの穴の中にソーセージを押し込んでしまうのですね。

即席ソーセージ巻きの出来あがり!

オヤジに見られないように、急いでそのソーセージ巻きを口中におさめんとするショージ君。しかしながら、ツユから出したばかりのおでんは熱い。

アヂアヂアヂアヂ。アグアグアグアグ。

この、アグアグアグアグという必死の擬音がおかしい。こんなみみっちいことに生死をかけたような表情になっているショージ君に読者は大いに共感するのである。好きだったなあ、ショージ君。

私は東海林さだお作品には特別な思い入れがあって(誕生日がいっしょなのです)、代表作はほとんど読んでいる。『タンマ君』『アサッテ君』、それから『グヤジイマン』なんてのもあった。忘れてはいけないのが『新漫画文学全集』。毎回文学作品の題名を頂いて短篇漫画を描くというのが楽しい趣向だった。ナンセンス漫画の最高傑作ではないだろうか。

東海林さだおのエッセイももちろん楽しい。「オール讀物」に連載している「男の分別学」。あれは日本のエッセイ史に残る名作です。いつだったか「本の雑誌」で中島梓が、東海林さだおのエッセイは読んだ後になにも残らなくて何回でも再読できるのがいい、という主旨のことを書いていたことがあるが、本当にその通り。ほんとうに軽妙洒脱で、何回でも読み返したくなる味がある。読んでない人は今すぐ本屋に走って、『ショージ君のにっぽん拝見』(文春文庫)から全巻揃えて一気読みするべきですね。特に、プロ漫画家としてデビューするまでの半生記である『ショージ君の青春記』(同)なんて、おかしい上に切なくて、本当におもしろい。今から社会に出る若い読者は、ぜひともこれを読んでおくべきである。

さてさて。遠回りして本題に入るが、読書の秋にふさわしく刊行されたのが、週刊朝日に連載されている「あれも食いたい、これも食いたい」をまとめた『昼メシのまるかじり』だ。もちろん私がここで紹介するまでもなく、すでに、「待ってました」とばかり本屋で手に取った読者も多いことだろう。

私も「待ってました」のクチで、本を購入して家に帰り、まずはビールを冷蔵庫に入れて冷やしました。なんでかといえば、この本をつまみにしてお酒を飲むためだ。これはしゃっちょこばって書斎で読むべき本ではなく、「今度は昼メシをまるかじりするのか」なんていいながら、まずはプシーと缶ビールを開け、「『磯辺巻きのクラクラ』、そう、飲んだ後にあの匂い嗅ぐと、ついついフラフラと買っちゃうんだよねー、磯辺巻き」なんていいながら、ビールをングングと飲む、というのが正しい読書方法なのである。

中島らもがよく、「本来食欲というのは性欲と同じくらい剥き出しで恥ずかしいことなのに、気取って行きつけの店のことを書いているグルメ文化人は本当に恥ずかしい」という主旨のことを書いているが、その通りである。食は本質的に恥ずかしい。恥ずかしいのだが、どうしてもそれに背けない魅力がある欲求なのだ。それを端的に現すのが、ショージ君の、

アグアグアグアグ

のおでんなのである。東海林さだおは、その恥ずべきだけどたまらない食の魅力を書くことにかけて当代一の名家だろう。

例えば「ヤキソバパンの悦楽」。「人間には“堕ちていく快感”があるとわたくしは信じているのだが、この快感はヤキソバパンによって簡単に味わうことができる」なんて、サラリと書いてしまうのだからねえ。ヤキソバとパンという二つの主食が合体したヤキソバパンを、「本来は皿を一つにしてはいけない仲である。同衾してはいけない仲なのである。(中略)同性愛というか、近親相姦というか、そういうことをしてしまうのだ」と決め付けた時点で、もう爆笑、である。そうか、ヤキソバパンの美味とは「いとこの味は蜜の味」に共通するものがあったか、などと、頷きながらまたビールをゴクリ。

秋の夜長には、こんな大人の読物が本当にふさわしい。ちょうど旧刊『ダンゴの丸かじり』が文春文庫に入ったばかりだから、そちらと併せて味わうのも、また味わい深い楽しみ方だろう。

しかし最初に「ショージ君」の例を引いてしまってまずかったかな。ショージ君といえば、カップルに「石ぶつけるー」のモテないひがみ男で有名だが、現実のショージ君こと東海林さだおは、もちろん女性にも大モテです(いや、お会いしたことはないけど)。そして、ミステリーの世界で今モテモテの兆しがあるのが、芦辺拓の創造した探偵・森江春策弁護士なのである。

森江春策弁護士は、芦辺拓のプロデビュー作である『殺人喜劇の13人』(講談社文庫)で初登場した探偵である。この時はまだ大学生。彼がいかにして探偵になったか、また弁護士という道を歩むことになったかという背景は短篇集『探偵宣言』(講談社ノベルス)に詳しいが、ともあれこれまで長短篇合わせて十一の作品が刊行されており(この他リレー長篇『堕天使殺人事件』にも顔を出している)、人気のキャラクターだ。そのシリーズ六番目にあたる作品が、今回文庫化された『十三番目の陪審員』である。

これは極めて凝った構成の作品だ。物語は、鷹見瞭一という作家志望の男が、ある極秘計画に参加するところから始まる。鷹見の高校時代の先輩である船井信という男が持ちかけてきた話で、成功すれば大々的に脚光を浴びるはずだという。それは鷹見が、架空の殺人罪を背負って逮捕され裁判にかけられた後に無罪を勝ち取り、警察の誤認逮捕や代用監獄の非人道性、マスコミ報道の人権侵害などを告発するルポルタージュを書き上げるというものだった。そのために、鷹見は自宅を離れ、半ば監禁状態となって事件に臨む準備をするのだが……。

一方、森江春策は手形詐欺に巻きこまれたベンチャー会社の若者たちに協力し、張り込みの真っ最中だった。手形詐欺に関与した人物がとある場所に現れるはずだという連絡が入ったのだ。交替で寝ずの番を務めるうちに、森江たちは驚くべき光景を目撃してしまう。それは手形詐欺などとは全く凶行の現場だった。慌ててその場所を訪れてみると、そこには夥しい量の血液が!

鷹見のパートと森江のパートが合体したとき、物語は大きなうねりを見せ、そのまま結末に向けて怒涛のごとく流れ始める。後半は殺人事件を裁く法廷が舞台だ。おもしろいことに、芦辺はここで日本では施行されていない(導入されたが根付くには至らなかった)陪審員裁判を行わせている。試験的に導入が決まり、その第一号としてこの事件の公判が選ばれたという設定なのだ。

よって、後半部は欧米の法廷小説のような色彩を帯びることになるが、もちろんこれは単なる海外作品の模倣などではない。題名に隠された真の意味は巻末になって、初めてわかる。異色の設定・題材をやすやすと我が物にし、読者に驚きを与えた芦辺の手腕に舌を巻くばかりだ。

(初出:「問題小説」2001年9月号)

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