芸人本書く派列伝returns vol.8 立川談四楼『シャレのち曇り』『石油ポンプの女』『談志が死んだ』ほか

Share

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存

すばる 2016年9月号[雑誌]

桃月庵白酒と落語十三夜

「すばる」2016年9月号に、頼まれて落語の演目ガイドを書いた。

といっても個々の演目のストーリーにはそれほど意味がなく、どちらかといえばそれをどのような演出で客に提示するかを問われるのが落語という演芸である。なので自身の落語経験を踏まえ、ストーリーを追っていた聴き手がどのように変化したか、その見本として読んでいただくこととした。題名を「ずいぶん遠くに来た、カムチャッカぐらい」としたのはそのためである。

また、かねてから手掛けていた『桃月庵白酒と落語十三夜』(KADOKAWA)も9月2日に無事に刊行された。こちらは当代トップクラスの人気落語家に「落語は何がおもしろいのか」「落語を演じるというのはどういうことか」という質問を、手を変え品を変えてぶつけた一種の入門書である。入門書といってもお勉強の匂いは一切せず、「おもしろい人からおもしろい話を聞かせてもらっている」雰囲気でずっと進んでいく内容なので、ぜひ気楽に手に取っていただきたい。なんなら、寝そべって読んでいただいたり、ラーメンを食べながら読んでページに汁の跡などを残していただいたりすると著者としては本望でございます。

というわけで、ここにきて落語関係の書き仕事が若干増え、さらに勉強しなければ、と思っているところなのでございます。2016年は私にとっての落語仕事元年。

そして、2016年は立川談四楼の出版ラッシュ年でもある。

シャレのち曇り (PHP文芸文庫)

まず5月にデビュー作「屈折十三年」を第一章とする『シャレのち曇り』がPHP文芸文庫から復刊された。「屈折十三年」は立川談志一門の落語協会退会と落語立川流創設の顛末を描いた内容で資料性も高い一冊なのだが、単なるドキュメンタリーではなく、そこには立川談四楼という芸人の気持ちが詰まっている。「屈折十三年」という題名には、入門して13年、年功序列を飛び越し、なんと36人抜きという大抜擢で自分を抜いていった春風亭小朝という存在への鬱屈した思いが籠められている。さらには同門弟弟子の立川ぜん馬(当時・朝寝坊のらく)までが自分を追い越して先に真打に昇進した。憤懣も溜まるであろう。

そうした中で有名な落語協会の真打昇進試験という事件が起きるのだ。ここでは詳細は繰り返さないが、協会が導入した真打昇進試験において、納得のいかない形で談四楼と兄弟子の小談志を含む者が落とされた。受験者10人のうち合格者はたったの4人、それを談四楼は芸の力ではなく情実によるものと判断し、師である談志も同じ考えをとったのである。それが、以前から協会に対する不満と不信をくすぶらせていた談志に立川流創設を決意させる直接の引き金となる。

かねてより小説執筆に挑戦したいとの意を抱いていた談四楼は本作にて「別冊文藝春秋」誌上でのデビューを果たした。「落語もできる小説家」の誕生である。

ただし、こうして書くと落語立川流創設という一事件に寄りかかった小説というように思われてしまいそうだが、そうではない。「屈折十三年」に続く「前座の恋の物語」「二ツ目小僧」「借金真打」の各章では、前座・二ツ目・真打と昇進しながらも、やはり自身の居場所に納得できず、煩悶を繰り返す落語家・談四楼の姿が描かれる。歴史的事実を添え木にしながら、そこに自身の心情を絡める形で話は進行していくのであり、この語り方はやはり小説のものだ。エッセイ的な読み物を発表した芸人は過去から現在まで多数存在するが、それと『シャレのち曇り』の談四楼を分けるものは、内容を要素に還元していくと、芸と芸人という生き方に向き合う自身の気持ちにすべて集約されるという点だろう。

本書が単行本にまとまったのが1990年、以降談四楼は自身と同じ芸人を主人公とした作短篇を多く発表していく。第二短篇集『石油ポンプの女』(新潮文庫)は1995年に刊行された。ここに収録されている5篇の主人公たちは、すべて談四楼本人と同じ1970年に入門を果たした落語家たちだ。当時はまだ昭和の名人と謳われた落語家の多くが健在であり、何よりも落語自体が大衆芸能として大いに人気を保っていた。テレビの演芸に浸食される以前の時代に、青雲の志を抱いて斯界に飛び込んできた男たちの、「こんなはずではなかった」という呟きを集めた作品集ともいえる。収録作のうち「寿限無ズ」は、前座名を立川寸志といった談四楼が、林家種平、林家公平(現・らぶ平)、柳家ほたる(現・権太楼)と共にアイドルグループ「少女ふれんど」を結成したことをモデルにしている。林家の落語家が2人も入っていることからわかるとおり、これは海老名家の肝煎りで、作詞が漫画家の福地泡介(故人)、作曲が本名の海老名泰葉という豪華版である。泰葉は当時まだ十代の学生で、芸能界デビューは果たしていない。このデビュー盤「僕の新しい日曜日」(B面は「さよならとんでいけ」。マキシムレコード)は今手元にある。グループサウンズ風というかフォーク風というか、なんというかアイドル歌謡曲だ。

収録作のうち最も身につまされるのは「出戻り小山遊」で、落語家として生きることに行き詰まり、廃業すべきか否かで苦悩する男の話である。立川談四楼は本書の前年、1994年に初のエッセイ集『どうせ曲がった人生さ』(毎日新聞社)を刊行している。そこに詰め込まれた本音の部分がもっとも露呈しているのがこの「出戻り小山遊」だろう。談四楼は長く夕刊紙にコラムを連載していたが、そこで書かれた心情、芸人仲間への思いが後に小説として結実したものも多い。第3作である『師匠!』(ランダムハウス講談社文庫)は、2000年の刊行であり、1990年代の状況を踏まえて1999年に執筆されたものが収録されている。

1990年代は旧来の落語界にもっとも活気がなかったころであり、その中で立川談志が孤軍奮闘し、その弟子である談春・志らくや、新作落語の若きプリンスとして注目されることになる春風亭昇太や本年師匠の名を継いで新たな看板を上げる橘家文蔵(現・橘家文左衛門)など、後の人気者たちが若いマニア層には支持されつつも、業界の体質の古さを自らの手で打破するまでには至らず、雌伏を余儀なくされた時期であった。そうした時代の澱に足をとられ、もがき苦しむ落語家たちの姿が活写されている。モデルになっているであろう落語家たちの肖像も透けて見えて、当時の落語界を知る人ならさらに楽しめる内容だ。

小説の著作としては4冊目になるのが2005年の『ファイティング寿限無』である。この本が祥伝社文庫で復刊されたのが、2016年2冊目の談四楼の著作となった。前座落語家の橘家小龍は「落語以外の方法で売れることを考えろ」という師・橘家龍太楼の教えに従い、プロボクシングの世界に飛び込む。話題作りのためではあったが、彼には天性の才能があり、周囲の声を覆してあっという間にランキングを登りつめていくのである。しかし小龍は、決して落語を、そして師匠のことを忘れたわけではなかった。この引き裂かれた自我が、物語の焦点となっていく。

「囃されたら踊れ」「とにかく売れろ」は、「伝統を現代に」と提唱して以来一貫して立川談志のモットーだった。弟子に著書を出すことを奨励したのもその一つで、談四楼は教えに忠実なのである。前述したように落語を巡る状況が最低だったためでもあり、そこでのもがきが小説の主題となっている点は『師匠!』と同様だ。ただし本書が談四楼の代表作とされ、漫画化もされるなど多くの読者に愛されているのは、ボクシング・マニアである著者が、競技の魅力を十二分に文章で表現したことが大きい。芸人小説ではあるがスポーツ小説でもある、という点が本書にあって他の著書にない特徴だ。

この後談四楼は2008年に『一回こっくり』(新潮社)を世に出す。それまでの作品が時代と切り結ぶことを一義としているのに対し、本書は少し性質が異なる。談四楼には幼いころに死別した弟があるのだが、その思慕がこめられた作品なのだ。物語は弟の死から始まり、まるで走馬燈のようにそれ以降の人生が読者の前に映写されていくのである。中心になっているのは家族への思いであるが、それが最後に「一回こっくり」という新作落語として結晶化する。つまり「一回こっくり」という落語がいかなる思いで作り出されたかという、作者の裏側を見せる小説でもあるのだ。こうした形で作中作を利用した小説はあまり類例がなく、作中で綴られた思いの純度という意味では立川談四楼作品の中でも最高のものではないかと私は考える。これがまだ文庫化されていないのが残念だが、落語「一回こっくり」自体は談四楼の夏の定番として高座にかけられる機会も多いので、未見の方はぜひ一度お試しいただきたい。近年の談四楼は「笑いのある人情噺として時代小説を書けないか」という試みに挑戦しており、2010年には『長屋の富』(筑摩書房)を上梓している。この方向の小説がまた準備されているという情報もあり、ファンとしては楽しみなところだ。

2011年は師・立川談志の没年である。それにともなって2012年に刊行された『談志が死んだ』(新潮文庫)は、自身のメモワールとして師との関係を綴るという過去の芸人小説を踏襲した形をとっているが、時間の送り方に『一回こっくり』同様の特徴がある。小説を単なるゴシップ記から峻別しているのは、この語りの技法だろう。題名に秘められた思いが読者の心に落ち着くまで、長い時間をかけて談四楼は師の思い出を綴っていく。あらゆる追悼本の中で、やはりこれが白眉だと思う所以である。

以上、駆け足で小説家としての立川談四楼の足跡をたどってきた。未知の読者にとっての道しるべになれば光栄である。また、今月末には雑誌「BURRN!」の連載をまとめた『そこでだ、若旦那!』(シンコーミュージック)も刊行される。こちらはコラム集だが、『談志が死んだ』などの小説作品と併読することで趣も高まるはずだ。また、『師匠!』などの例があるように、この本から派生して小説作品が生まれる可能性もゼロではないはずである。立川談四楼の入門書としてはもちろん、落語界そのものを知るための扉にもなってくれそうな本である。こちらもどうぞご期待ください。

本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く派列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。

「芸人本書く列伝」のバックナンバーはこちら。

Share

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存