先月の30日(注:2016年9月)、何の気なしにtwitterを覗いたら、本マガジンの編集長である水道橋博士が、明らかに私に宛てたと思われる引用付きリツイートをしていて驚いた。「メルマ旬報」には真打・立川談慶と談笑門下の二ツ目である立川吉笑のお二人が連載を持っているのはご存じのとおり。談慶さんは私と同じ「め」組だが、吉笑さんの連載「現在落語論~落語立川流2016~」は「ま」組で、ちょうどその日が発行日である。その原稿について博士が、私が喜ぶであろう内容になっている、と書いていたのだ。
気になる。
というわけですぐに読んでみた。吉笑さんのこの連載は題名からもわかるとおり毎日新聞出版から出した著書『現在落語論』で示した方向性を引き継いだものである。主題の一つとして、現在の落語界全般についての危機感を表明しているのが『現在落語論』だが、その問題意識を自身の属する落語立川流に向けて書かれたのが今の連載だ。その書きぶりが、がらりと変わっていた。
吉笑さんは立川流の若手を糾合して8月に、現連載のトーク版というべきイベントをロフトプラスワンで行っていた。気にしていたのだが、私はそれに行けなかった。後で内容の要約したものを見たぐらいだったのである。トークイベント中は結構具体的な提言などもされたらしく、どうなるものか、と推移を見守るつもりになっていた。そうこうするうちに、8月31日がやってきた。
各月の31日、東京の寄席定席は余一会といって特別な番組を組む。2016年8月の新宿末廣亭は落語立川流の一門会を当ててきたのだ。正確には記憶していないが、少なくとも家元・立川談志が亡くなってからは開かれていなかったはずで、画期的な出来事である。私はなんとか昼席だけ観覧できたのだが、事件は夜席で起きたらしい。また見逃しかよ。いや、起きたといっても楽屋での出来事だから一般人の与り知らぬことである。その模様を吉笑さんはドキュメンタリー形式で書いていた。それまでの回がエッセイというか、比較的実用書的な書き方だったので、意図的に書き方を変えたことは明らかである。そうしたくなるくらいに大きな出来事だったのだ。なるほど、博士に読むよう釘を刺されるわけである。
詳しい内容はメルマ旬報読者にとっては繰り返しになるので、ここでは書かない。部外者だから、口を挟むことも遠慮しておく。ただ、部外者なりに推測を書いておくと、あそこで展開されたことは、一門の中で起きた波風のうちでも比較的書きやすいものだったのではないか、と推測する。登場させやすいタレントとの一幕だったということだ。実際にはもう少し、書けないような変化も起きているはずである。書けないというのは、外部に向けて表明しても仕方がない、という意味も含む。改革を宣言すれば、そうした地味な波風や、面白がってくれる人のいない(つまり味方を巻き込みにくい)日常的な出来事にも直面しなければならなくなる覚悟も必要になる。ご苦労の多いことだが、乗り切って、良き潮目を見つけていただきたいと思う。ひそかに応援しております。
と、書評家の領分を超えたことを書いてしまった。どうぞお許しを。そしてもう一つお許しを願いたいのだが、前回と同じ著者の本を今回は取り上げるのである。
立川談四楼『そこでだ、若旦那!』(シンコーミュージック社)だ。
前回は「落語もできる小説家」立川談四楼の小説2冊を紹介した。今回の本はエッセイ、いや時評である。音楽専門誌「BURRN!」1999年1月号から2012年5月号にかけて連載された「再び そこでだ、若旦那!」、約3年半の中断の後に2015年10月号から再開されて現在も継続中の「帰ってきた そこでだ、若旦那!」の2つから抜粋された内容になっている。連載タイトルがいきなり「再び」になっているのは、この前に比較的短期に終わったか単発だったかの「そこでだ、若旦那!」があったからで、連載が中断したのも別に著者の責任ではない。「BURRN!」はヘヴィメタルを中心にした専門誌なのだが、それと関係ない小コラムを多数掲載し続けている。コラムマガジンとして「TVBros.」と並ぶ貴重な存在なのだが、一時期なんらかの事情で誌面刷新が行われ、すべてのコラムが消えたことがあった。その煽りを受けての中断だったわけだ。詳しくは各自で調査。
収録されている1999年1月号の内容を見てみると「和歌山毒入りカレー事件」の話題が出てくる。つまり一般に向けた時事ネタだ。その次の号が矢崎滋と近藤芳正に知己を得た話で、まだ落語に絞った話ではない。4月号でようやく師匠である立川談志の話が出てくる。
これは長野県飯田市であった実話で、談志の独演会で泥酔して大いびきをかいていた男が他の客に迷惑だからとつまみ出されたら(当たり前だ)、その人物が「落語を聴く権利」を阻害されたとして主催者を訴えた、という一件である。実際に事件が起きたのは前年の1998年のことだが、示談がこじれて民事訴訟に発展したのがこのころだったのだろう。マスメディアは「談志訴えられる」などと大喜びして騒いだ。実際は上に書いたとおり訴訟の当事者ではなかったわけだが、そのほうが記事にしやすかったのだろう。その原告の愚かさを書いて談四楼は「いい客になろうよ」とタイトルをつけている。あまり一般的ではない落語界のマナーや習慣について書きながら、その実はおろそかにしてはいけない旧くからの美風を説く、というやり方はこの回で確立されたといえる。蛇足になるがこの一件、もちろん原告の全面敗訴に終わった。詳しくは落語立川流真打・立川談之助の著書『立川流騒動記』(ぶんがく社)を参考にしていただきたい。同書によれば談志には裁判で漁夫の利があったとのことだが、談之助自身も結構おいしい思いをしている。
話がそれた。こうした具合に落語以外の話と、落語の話が2:8ぐらいの比率で収められている。語り口は、架空の話し相手である「若旦那」に談四楼が話しかけるような形だ。落語にそのものずばりの人物は出てこない。強いて言うならば、「唐茄子屋政談」で川に飛び込みかけた若旦那を助ける叔父さんと、「へっつい幽霊」(これはぜひ三代目桂三木助で)で勘当になった若旦那に儲け話を持ちかける熊さんと、「明烏」で堅物の若旦那を騙して吉原に連れていこうとする源兵衛・太助(こちらは談四楼自身の口調で聴いてほしい)の三者を足して三で割ったような口調である。「BURRN!」の読者層と自身の世代差を鑑みて、相手を若旦那に見立てたのだろう。多くの回は「ではまた」という挨拶で終わる。
実はこうした形で口調を作っての連載というのは非常に難しい。自分の作ったキャラクターに執筆者が飲み込まれてしまうからだ。もっと厳しい言い方をすれば、キャラクターで誤魔化すようになるのである。例を挙げれば、今は一言居士として人気のあるマツコ・デラックスなども、初期の原稿はオネエ言葉で内容の薄さを隠すようなことをやっていた。落語家の魅力は言文一致のスタイルにあるのだが、それだけに口調の罠には嵌まりやすい。客を前に語り掛けるような文体が高座に上がっているかのような気分で書きやすいであろうことは想像に難くない。いい調子である、という自負も生まれるはずだ。しかし、それはあくまで、15分から20分の高座、もっと言えばそのうちの何分の一かのマクラの間だから聴けるのであって、長丁場でやられればげっぷが出るのである。殊に落語になじみのない読み手であればなおさらだろう。『現在落語論』ではないが、そのへんの壁に対する意識が落語家が広く登用されるか否かの分かれ目になっているような気がする。談四楼の長期連載はこれ以前に「日刊ゲンダイ」において12年にわたって続けられた「シャレ見たことか」があったが(一部が『煮ても焼いてもうまい人』として書籍化されている)、そこで積んだ経験が活かされたのかもしれない。
前述したように、落語界隈の話題は多く、そこには古風な美意識や倫理観が埋め込まれている。だからこそ普遍性があるのだが、書籍になって特に強く意識されるのは、古典芸能ゆえの師弟制度、過去から現代、上の世代から下の世代へと受け継がれるものについて著者が強い信念を抱いているということだ。話題は落語立川流だけではなく、その世界の全般にわたっている。
取り上げられているトピックの中でファンの目を引くのは、某ベテランとその弟子であった若手真打の確執に関する記述のはずだ。有名な出来事ではあるが、ここではベテランをA、若手をBと書く。BはそのAの下で真打に昇進し、将来を嘱望される存在となった。それが突然協会に廃業届を提出し、2006年に他団体の幹部Cの門下へと移籍したのである。おおいに憶測を呼び、ファンの間ではあらぬ噂が飛び交った。この一件について談四楼は連載の6回を割いて論じている。他の団体、他の師弟の間で起きた出来事である。下手をすれば余計な横槍を、と関係者から憎まれることになりかねない直言だ。しかし、書き、単行本にも割愛せずに収めたのである。ちなみに、記載内容にはずいぶん胡散臭いものがあるwikkipediaでも、A、B、Cそれぞれの該当項目に本件についての記述は残されてはいない。活字としてこの出来事を残したのは、将来、『そこでだ、若旦那!』だけということになる可能性もある。
それぞれの連載回で、談四楼は書いている。
落語界の「終わりの始まり」かもしれない。ファンは、落語界がタテ社会であること、師弟間の絆が強いこと、だらしないように見えて実はケジメがちゃんとしていること等を、たとえそれが幻想であろうと、評価してきた。それが今回、最悪手によって見事に裏切られたのだ。あんまり後味が悪いんで、これから飲みに出るよ。ではまた。(「終わりの始まり」2007年1月号)
若旦那の前だが、オレ立川流で、両協会と関係ないんだ。でもね、オレ落語家なんだよ。因果とまた落語と落語界が好きなんだな。その中で起こった今回の件、これが黙っていられるかい。(「落語界の一件落着」2007年2月号)
ここに落語界に身を置いているがゆえの強烈な自我がある。前回も書いたとおり、私が立川談四楼という人の書くものに魅力を感じるのはこの主張ゆえだ。
有名な出来事と書きながら私が当事者の名前を書かず、A、B、Cと匿名にしたのは、何も遠慮したからではない。私はしょせん部外者であり、この一件に口を挟めば、それは自身では何も責任をとらない勝手になるからである。ワイドショーネタをつつきまわすTV桟敷の客と何一つ変わるところはない。しかし本書における談四楼は違うのである。自身の拠って立つ基盤を脅かされたと、全身全霊で怒っている。芸人の本懐をここに見出さずして、どこを探せばいいのだろうか。冒頭に立川吉笑の始めた改革のことを書いたが、それは間違いなくこの談四楼の義憤につながるはずである。
これ以外にもさまざまなゴシップが紹介されている。もちろん本文では伏字などというケチなことは言わず、実名で書かれている。興味本位でも構わないので、気にある人はぜひ手に取ってもらいたい。最初は怖いもの見たさでも、読み進めるうちにその関心が別のものに変わっていくことを実感するはずだ。
もう一つの特徴は、本書が先輩・後輩、そして同志たちの点鬼簿になっていることだ。芸人としてキャリアが長くなれば、それだけ同業者を見送る機会も増えてくる。師匠・立川談志は元より、かつての飲み仲間であり、立川流Bコース真打・立川藤志楼こと高田文夫の盟友でもあった古今亭右朝、同門の弟弟子である立川文都や立川談大の早すぎる死について触れた個所では、その慈しむような筆致に胸が熱くなる。
紹介された物故者のうち、立川談大については、36歳でクモ膜下出血のために急逝するという死に方もさることながら、亡くなる数か月前の高座を実際に目にしていたことから、私自身も割り切れないものを抱えたままになっていた。その気持ちを、談四楼の文章は一部溶かしてくれたのである。
いいやつだったなあ、談大。絶妙な距離感だった。決して正面には座らなかった。いつも斜め前、横でも一人置いて座ってた。何か訊くと的確に答え、しかも過不足がなかった。頭がいいんだな。芸もこのところ何かを掴んだようで、一気によくなり、ボソボソとした口調を明らかに過去のものとしていた。これからだ。すべてはこれからで、濃いつきあいになると思っていたのに残念だ。(「立川談大のこと」2011年1月号)
落語家の語りは時に心の傷をふさぐ膏薬のような役割も果たすことがある。そして文字の形で書き残された言葉は、過ぎていく時間を留める力を持つ。その二つを共にできるのが落語家だからこその文章の力ではないか。
あと一つだけ個人的に心に残ったことを書く。談四楼門下で数年間前座修行し、現在は廃業している元立川長四楼のことだ。廃業は何か落ち度があったわけではない。現在でも寸志・だん子と談四楼門下には不惑過ぎてからの入門者が籍を置いているが、長四楼は46歳での弟子入りだったのである。あまりの高齢ゆえに逡巡もしたはずだが、最終的に談四楼は「彼が真打になる頃、私は確実に七十を超えているはずで、そこまで生きてみるか」と肚を決めて弟子入りを許可したのである。しかし健康上の問題があり、長四楼は落語家の道を断念することになった。現在は談四楼の公式ホームページである「だんしろう商店」からも写真は削除されているが、私は長四楼という名前の前座がいたことを忘れないだろうと思う。いかにもおじさん然とした風貌は、羽織を着せればそのまま真打として通りそうであった。本人を前にしては言いづらかったが、田中誠『ギャンブルレーサー』(講談社)に出てくる吉田のとっつあんによく似てると思っていた。ごめんなさい。
本書の中に、彼のこともちゃんと記されている。それほど長くない文章ではあるが「長四楼は惜しいことをした」とも。これは、志半ばで道を離れた元弟子に対して師匠がしてやれる唯一のことだろう。本書がある限り、立川長四楼の名前が落語史から消えることはないのである。なあ、若旦那。そこがたまらなく嬉しいじゃないか。
以下はちょっとしたおまけである。
本書の仕掛人であり「BURRN!」編集長である広瀬和生が落語評論家としても活動していることは周知の通りである。最近になってその著書が2冊文庫になった。1つは『なぜ「小三治」の落語は面白いのか?』(講談社+α文庫)、もう1つは『談志はこれを聴け! 増補『談志の十八番』名演・名盤ガイド』(光文社知恵の森文庫)である。前者は、芸談を残すことを潔しとせず、キャリアの割りにはあまりに書かれたものが少ない小三治に関する数少ない評論本であり、後者は立川談志を初めて聴く人の手引きとしても使えるガイドに、ここ最近の音源や映像を加えた現時点での完全版といっていい内容である。本稿の読者に特にお薦めしたいのは後者で、最近発掘された1970年代から80年代にかけての談志、壮年期の高座についての言及に共感するとところが多かったので、元版の光文社新書をお持ちの方にもぜひ一読いただきたい。「CDブック東横落語会 立川談志」(小学館)の刊行こそ最も待ち望んでいたものだ、というくだりは我が意を得たりと思ったものである。このCDブックについての原稿は以前に書いたので、よろしければそちらもご覧ください(http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20150317/E1426528925088.html)。
本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く派列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。