芸人本書く列伝classic vol.47 井上二郎『芸人生活』

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芸人生活

又吉直樹『火花』(文藝春秋)がついに200万部を突破し、作品が全文掲載された『文藝春秋』の当該号も105万部を刷ったという。過去の最大部数は綿矢りさと金原ひとみの芥川賞受賞作が掲載された号で118万部だったそうだから、それに告ぐ数字だ。間違いなく『火花』は2015年最大のヒット作と言えるだろう。

芸人が書いた作品であり、芸人のことを書いた小説なのだから本欄で扱う資格は十分にあるのだが、他の場所に書評を提供していることもあり、遠慮しておく(興味ある方はエキレビ!の記事を読んでいただきたい。http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20150716/E1436977709021.html)。『火花』の本質は芸人小説の部分ではないだろう、という思いもある。あの小説は作者が芸人だったから自身の職業である芸人の世界を舞台とした内容になったが、又吉直樹は小説家になるべくしてなった人で、他の職業を選んでいてもいつか小説を書いたはずだ。『火花』は、芸人の世界を描いただけではなく、もっと普遍的な内容を扱った作品であると私は考える。

で、もし『火花』を読んで、もっと芸人の世界について知ってみたいと思った人には別の作品をお薦めしたい。井上二郎『芸人生活』(彩図社)だ。

井上二郎は1977年生まれの芸人で、大阪NSC第17期生(ただし中退)であり、同期にはバイきんぐ・小峠英二などがいる。年下の野田航裕と「チャーミング」というコンビを組んでおり、2013年にはキングオブコントの準決勝に進出している。

『芸人生活』はその井上が自身について書いたエッセイ漫画で、母体はnoteに発表されていたものである。キングオブコントの一回戦に挑むエピソードが冒頭には置かれており、激戦必至の予選を勝ち抜くための戦略が綴られる(一回戦に敗退しても、再エントリーが可能というのは初めて知った)。同時エントリーが手薄な回を探す、などの少し邪な手口が明かされており、そういう裏話に興味がある人にまず関心を持たれそうな内容だ。本の山場には無事に一回戦を通過して先に進んだ後のエピソードもあり、そこではコント演出の基本なども語られている。

ここで少し解説させてもらうと通常コントというのは、まずは普通、もしくは静かなテンションで状況を客にわからせ後半にテンションを上げていくのが主流(第26話「キングオブコント」)。

また、同期のおぐがR-1に出たときのことを書いたエピソード(第20話「理由」)では「ボケ」についての記述が、相方の野田がチャーミングをトリオにしようと言い出す第7話「コンビ」ではコンビのバランスについての考察がそれぞれあり、芸人側からの実感のこもった発言として興味深く読むことができる。全員が脚光を浴びることができるわけではないのが芸人の世界の残酷な点であり、夢が叶わずに帰郷することになった者(最終話「引退」)や、結果を出せずともこつこつと芸に打ち込み続ける者(第3話「かわいい後輩」)などの後輩芸人たちを描いた回もおもしろい。

自虐的に笑いを取りにいくのはこうした芸人本の常套手段が、『芸人生活』の場合はもう一歩踏み込んだ部分がある。相方の野田航裕が、井上を困らせたり、恥をかかせたりすることを至上の喜びと感じる異常者として描かれているのである。そもそも2人がコンビを組むことになったときのエピソードからして、かなりおかしい。

野田「…ただし条件がある。お前を試させてほしい。(中略)お前のアナルを見せてほしい」

井上「え!? 無理だよ! 何でそんなこと」

野田「俺だってお前の汚ねえ肛門なんか見たくない。お前がプライドを捨てられるかが見たいんだよ。この2人でコンビを組むとすると必然的にキャラのあるお前がいじられることになる。いじられるということは基本、悪口を言われることが多い。例えばお前がブサイクといじられ『ブサイクじゃないから!!』とリアクションできればいいが、プライドを捨てられずムッとして『なんでそんなこと言われなきゃいけないんだよ』となると成立しない。コンプレックスをいじられてもプライドが邪魔せずリアクションがとれるか! それが重要なんだ!!」

井上(はるほど…そこまで考えて!)(第2話「結成」)

この肛門エピソードが「チャーミング」というコンビになった理由らしいのだが、なぜそうなるのかはぜひ本を読んで確認してもらいたい。それ以外にも野田は「ストレス発散のために劇場に来ている客のために」井上に角刈りにすることを強制したり(第5話「僕が角刈りになった理由」)、彼女がライブに来るというので鉄板ネタで受けていいところを見せ付けたい井上に、あえてとんでもない下ネタをやらせたり(第11話「彼女がライブにやってくる!」)、芸名ではなく戸籍上の本名を井上いちごに変えろと迫ったり(第15話「芸名」)と、やりたい放題である。そんなに酷い目に合わされても井上がコンビ解消できずにいるのは、野田に天然の芸人資質があるかららしく、第21話「遅刻の言い訳」などのエピソードを読むとちょっと納得させられる。『芸人生活』のもう1人の主人公は、この野田なのである。

もう一本の軸になっているのが、井上が自身の私生活について語る回で、金がなくて居酒屋で挙式するエピソード(第17話「プロポース」)や、食うための仕事で味わった悲哀(第12話「アルバイト」)などが赤裸々に綴られていく。中でも印象に残るのが郷里の父親の葬式に出る「僕のお父ちゃん」(第13話)で、素っ頓狂な父親の肖像が魅力的に綴られている。こういうギャグ主体のエッセイで一部だけ泣きの要素を入れるという構成はあざといような気がして本来あまり好きではないのだが、父親のキャラクターがかなり笑えるものなので、この回も全体の中で浮いていない。つまり井上に自分や肉親を客観視できるだけの余裕があるということで、エッセイを書く才能に恵まれているのだ。『芸人生活』がおもしろいのは、芸能界の末端事情を暴露しているという情報面の要素だけではなく、それを語るやり方にセンスが窺えることのほうが理由として大きい。しょぼくれているのを見せるのだって、センスが要るのだ。

同じように売れない芸人の生活を描いた本坊元児『プロレタリア芸人』(扶桑社)をこの欄で以前に紹介したが、あれほどの切迫感は本書にはない。どちらかといえばのほほんとしており、芸人たちはそれなりに生活を楽しんでいるようにさえ見える。絵柄のせいもあるだろうが、それ以上に当人たちがしたたかなのだろうと思う。

井上よりもNSC入校が3年遅い又吉直樹は、2010年に芸人としてはブレイクを果たし、10年弱で下積み生活を終えた。その著作である『火花』の主人公・徳永は20代の後半で小規模に売れ、しかし壁に行き当たって引退する。彼が師匠として慕う神谷は、30代の前半で自意識をこじらせ、芸人としては自滅してしまう。三十代で売れていないというのは大変なことのように見えるが、実はその年でも予備軍のような立場でチャンスを待っている芸人はごろごろいるのだ。20代の終わりで売れ始めた又吉が体験しなかった生活を、井上は知っている。売れているとは言いがたいが、それでも諦めるにはまだ早く、生活の基盤を築いて「いつか」来るであろう栄光の日々に備えて日々を送っている。そうした芸人たちの現実を当事者ならではの視点で描いた本なのである。

『火花』はいい小説だが、芸人小説として見た場合はやや繊細すぎ、その雑草のような逞しさに欠けるという面がある(だからこそそういう読み方をしないほうがいいのである)。『芸人生活』が200万部売れることはまずないだろう。売れてなくてもおもしろいものはおもしろい、という言い方をするとまるで又吉と井上の立場を喩えたように見えてしまうが、『火花』を読んだ人のせめて100人に1人でもこの本を手に取ってくれれば、と思う。

本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。

「芸人本書く列伝」のバックナンバーはこちら。

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