芸人本書く列伝classic vol.38 菅賢治『笑う仕事術』

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笑う仕事術 (ワニブックスPLUS新書)

三代目桂三木助こと小林七郎(故人)は芸人として売れる前、「隼の七」との異名をとるばくち打ちだったという。六代目の三遊亭圓生(故人)が「へっつい幽霊」でさいころばくちを演じる際の盆の振り方が悪い、と言って直されたが、あまりにも真に迫ってえげつないので、三木助に教わった通りにはやらずに戻した、という話がある。五代目古今亭志ん生(故人)もばくちでほうぼうをしくじった結果、改名回数が二桁になるという不名誉な記録を作ってしまったわけである。芸人に飲む打つ買うの三道楽はつきものだが、やはりどれにも深くのめりこみすぎるのは禁物だと思う。恥ずかしながら私も、ライター専業になってからは一切のばくちを止めて、宝くじも買わないようにしている。この稼業自体が人生を賭けた大ばくちのようなものだ。

『笑う仕事術』(ワニブックスPLUS新書)は、元日本テレビ社員で、現在は自らの興した「BRAIN GAASUU ENTERTAINMENT」のプロデューサーとして「田中と上田」「芸人! 芸人!! 芸人!!!」(ともにBeeTV)などを手がけるバラエティ番組作りの専門家・菅賢治が、自らのテレビ屋人生を振り返った一冊だ。

その中にこんな一節がある。

あと、テレビ局関係の新年会のときなどにはビンゴ大会をやることが多いんですが、ボクは「ヤバい、これビンゴになってるわ」と思ったらクチャクチャとビンゴの紙、丸めて捨てちゃいます。「こんなところでビンゴ当たって、運使ってどうすんだよ」みたいに思ってしまうのです。(中略)

ヘイポーなんかもボクと同じことやってますよ。「あ、ヘイポー、3つぐらい開いたな」って見てると、ちょうどリーチがかかったなってくらいで、ビンゴの髪をクチャクチャって丸めてポーンって捨てて。「オレが当ててどうするんだよ」という思い、彼にもあるはずです……たぶん(笑)。

あ、ここにも同じ考え方の人がいる、と思いそれだけでこの本が好きになった。

ヘイポーこと斉藤敏豪の名前はNTV系列「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」でよく知られている。菅と斉藤が出会ったのは1982年、「うわさのスタジオ」のADとして働いていたときだった。そのとき斉藤はすでにディレクターだったため、「斉藤さん」と呼んでいた時期がごく短い間あるという。しかし共に1954年生まれであり、すぐに「ガースー」「ヘイポー」と呼び合う仲になった。ちなみにヘイポーのあだ名は「アイツ(斉藤)がインカム着けてフロマネに指示出す時に、滑舌が悪いから、「斉藤です、斉藤です」というのが「ヘイポウです、ヘイポウです」って聞こえ」たというのが由来である。この2人が1989年に始めたのが現在まで続いている人気番組「ガキの使い」だ。

菅が日本テレビの関係会社から本社に再入社したのが1988年、翌年にはもう「ガキの使い」が始まっていたことになる。本書の第一章は「『笑ってはいけない』シリーズはいかにして生まれたのか?」、第二章は「ダウンタウンから学んだバラエティ番組の作り方」と題されていて、平成の年号と同じだけ年数を積み上げているこの番組について、最初から関わっている作り手だからこそ知る制作秘話、四半世紀の重みを感じさせる芸談が惜しげもなく綴られている。

たとえば「ガキの使いやあらへんで」というタイトルの由来について。これは、1988年から1989年まで放送された「恋々!! ときめき倶楽部」(NTV系。総合演出は土屋敏男)に出演していた松本人志の発言が元になっているという。その番組の中に「私の彼を当てて」という、スタジオにいる男性の誰が自分の娘の恋人かを、実の父親が当てるというコーナーがあった。松本が絡む相手は素人である。

そのコーナーに、本当に完全にアガっちゃって、まったくしゃべれないお父さんが出演したことがありました。(中略)業を煮やした松ちゃんが、「お父さん、こっちものね、ガキの使いで来てるわけやないんやから、何か言うてもろうていいですか?」と言ったんです。その時に、「この言葉、こういう時に使うと面白いな!」と思いました。それと同時に「こんなこと、素人のアガってるお父さんに言うか。やっぱり松ちゃんは面白いな」と強く印象に残ったのです。

極論するとこの本は菅賢治が、いかに自分でおもしろいな、と思ったことを具体化し、番組に仕上げていったか、というノウハウの本だと言っていい。芸談本のジャンルに加えても、あながち間違いでもないだろう。

今でこそ全国区の人気を誇るダウンタウンだが、昭和と平成が切り替わる1980年代末には、まだ関西ローカルの芸人にすぎなかった。最初深夜枠で始まった「ガキの使い」だが、当然番組にするためには編成会議にかけて通さなければならない。日本テレビの中でも自身と土屋しかそのおもしろさに気づいていない、というダウンタウンの看板番組を作るために、菅は肚をくくる。企画書をでっちあげたのだ。次世代のスターであるダウンタウンが「毎週毎週、水着の女の子とプールで対決」というまったくのウソを書く。というのは今となっては説明が必要だろうが、1980年代に「TV海賊チャンネル」などのお色気路線を売りにする番組が増加し、1990年代の「ギルガメッシュないと」「A女E女」などの一線を超えた感があるセクシー路線への道筋をつけていたからである。

それを編成にいた土屋が通すという完全犯罪で企画は成立し、1989年から番組は始まる。「どうせ偉い人は爺様だから、火曜日の深夜2時10分なんて起きてないだろう」「彼らの漫才を見たら誰も文句なんてあるはずない」という居直り、自信の産物である。見事にそれは当たり、やがて日曜日のプライムタイムに番組は移動して、時代を築くことになる。

番組のチーフプロデューサーという仕事を菅は「ラーメン屋のオーナー」に喩えている。出店にあたって調査を行い、場所と客層からどんなラーメンにするかを考える。それに合わせて内装などの店の雰囲気を決めるところまではオーナーの仕事だが、職人をスカウトして連れてきてからは絶対に余計な口出しをせずに、完全に任せるのだという。ラーメン職人がつまり番組においてはディレクターであり、出演者がラーメンであるわけだ。この任せるために場所と相手を選ぶ判断力、そして任しきる胆力がプロデューサーに必要な資質ということになるのだろう。第五章「”面白い”を作る仕事術」にそのノウハウが細かく書かれているが、番組はディレクターのものと考え、彼らがいちばん仕事をやりやすい雰囲気作りに徹する(そしてある程度成果が上がったらラーメン屋の二号店、すなわち次の番組作りの準備を始める)という姿勢は、個人ではなくチームで仕事をするすべての職種の人にとって参考になる内容のはずである。ここが本書でいちばんビジネス書に近い部分だ。

昔は作家に仕事を依頼する時、こんなふうに発注していました。

「『こんなの、できるわけねえだろ』ということを考えてきてよ。それをできるようにするのがオレたちの仕事だから。オマエらがオレたちができる範囲でものを考えるんだったら、わざわざ頼まないよ。「バカなんじゃないの? どうやったらこんなことできんの?」ってことを考えてこいよ」(中略)

コーナー企画に関しては若い人はとても上手です。何か大きなひな型があって、そこにちょこっとワンピースをはめるというのは上手いのですが、一番デカいひな型を作るというのは、すごく不得手ですね。(後略)

といった指摘は、異なるジャンルで仕事をしている自分の胸にも響いた。

第三章「テレビは非日常空間だからこそ面白い!」は長崎県佐世保市における生い立ちから、TV業界へと入りこむまでの半生記、第四章「良好な人間関係が面白いバラエティ番組を作る」は、菅のもう一つの大きな看板である、明石家さんまとの仕事に関する章だ。地方局の生意気な若いアナウンサーについてさんまがつっこんだ記憶から始まった「恋のから騒ぎ」企画、ゴールデンタイムにさんまを引っ張り出したいという願望から1年以上にわたって交渉を続け、見事に結実したという「踊る! さんま御殿」秘話など興味深い。

前述の通り第一章、第二章は「ガキの使い」に関する章であり、年末の「笑ってはいけない」特番についてもここで存分に語られているのだが、読者の多くが関心を持つ個所だろうからあえて一切引用はしない。実際に読んで確かめてもらいたい。

この一、二章を象徴するのは「バラエティ番組では「くだらない」が最高の褒め言葉」という33ページの見出しだろうと思う。または同ページに書かれている「テレビのバラエティなんかを真面目に観んなよ」という一言。昨今は芸人がバラエティ番組で言ったことが致命傷になって出演を自粛する事態や、twitterなどでしなくてもいい書き込みをして炎上してしまうという現象が多発している。そういう風潮に対する窮屈さを菅は率直に表明している。芸人がSNSなどで不謹慎な発言をすると一般の人から一斉に批判される。それに対して芸人が「ネタだ」と主張すると「芸人だからといっても言ってはいけないことがある」と返される。SNS、ネットという場では一般人の主張するリテラシーが正しいのだし、テレビがかつてのように特殊な場であったときであれば、芸人に分がある(もしその発言が劇場のように閉鎖空間で行われたものであれば、間違いなく芸人を批判する者は出てこないはずだ)。

一般人と距離が近くなってしまった時代における芸人のふるまい方についてはまだきちんとした結論は出ていない。菅の意見とてかつての黄金時代を懐かしむものにすぎないとして受け流される可能性はあるが、次のような例には耳を傾けるべきではないかと思う。

「ガキの使い」で、松下がある企画を連続でやったときのことだ。高校生ぐらいの視聴者から番組宛に電話がかかってきたのだという。それはクレームではなく、「いつも『ガキの使い』を楽しんでいるが、そのネタはおもしろくなかった。おもしろくなかった僕はおかしいのでしょうか」という思いつめたような電話だった。それに対し、菅はこう答えたのである。

「いや、あなたが面白くないと思ったのなら、それは面白くなくていいんですよ。(中略)面白いかどうかというのは個人個人によって違うものだし、そこで悩む必要はないんです。やっぱ基準は自分にしかないから、評論家に『これは面白い』って言われて、『これが面白い』と思って観ることこそ一番みっともないし、他人の意見に引きずられて、自分の個性を殺すことになるじゃないですか。だから、あれを『面白くない』って思うんだったら、それはそれでいいんですよ」

この発言と、自分が面白いものを世に出したいという姿勢、そして「バラエティなんかを真面目に観るな」という言葉を並べて考えると、そこに見えてくるものがある。芸人の立場からすれば一般人に何をしても認めてもらいたいという自己承認願望、一般人の側からすれば芸人といえども同じ人間であるべきだという平等要求、それは実は、同時に満たされることがない背反した欲望なのである。テレビのバラエティ番組という牙城が崩されつつある今、芸人の特殊な地位は一般人によって奪われつつある。今必要なのはかつての菅のように、上の人間や世間を騙しても自分の「面白い」を世に出そうとする才能なのではないかと感じた。

本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。

「芸人本書く列伝」のバックナンバーはこちら。

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