芸人本書く列伝classic vol.16 清水ミチコ『主婦と演芸』

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主婦と演芸 (幻冬舎文庫)

○月×日

新宿『ロフトプラスワン』で、ルックスも声も素敵なスタッフさんに、「ブロス読者で、清水さんの文章が楽しみです。特に有名人にさん付けして書くところが好き」と、褒められました。とてもうれしかったけど、「そこですか。そこでいいの?」と念のために聞き返しました。

いや、本当にそこでいいのか。

清水ミチコ『主婦と演芸』(幻冬舎)は、その「TV Bros.(テレビブロス)」の連載「私のテレビ日記」2006年1月7日号から2013年1月5日号までの原稿をまとめたものである。引用個所でわかるとおり日記形式の文章で、たしかに著名人の話が中心になっているのだが、清水の私生活や、出身である飛騨高山の話なども多く含まれている。

私生活の話では、夫に「もしも私が一度でも浮気したら、どうする?」と聞いたところ「無一文で出てく」と答えられたという話が可笑しい。その回答が返ってくる男性というのは、あまりいないのではないだろうか。ぜひお会いしてみたいものである。

また出身地の話では、各地方の子供の中から芸達者を決めるという番組に出演したところ「社交性がみじんもない」という飛騨高山の地元性を見事に体現した子供たちがやってきて、他の地域の出場者がエレクトーンの名手やロボット発明家などの華やかな才能を披露するのに彼らは「祭りの日に吹く笛」という渋い芸を見せた、という話がしみじみとしていてよかった。番組の最後に子供たちが好きなプレゼントを選んで取れるというコーナーがあり、清水はいたずらでこっそり自分の著書をその中に混ぜておくのだが、飛騨高山の後輩たちはあっさりそれをスルーしてしまうのである。社交性がなくて正直で子供らしくていいなー。

しかし多くの読者が関心を持って読むのは、著名人・芸能人について清水が記した個所だろう。平野レミは清水の前でどのように振る舞うのか。あのものまねの通りの人物なのか、それとも素の平野レミは違うのか、などなど(平野と清水は、ものまねをきっかけとして親しくなった、とどこかで読んだ記憶があるのだが、元の記述が思い出せない)。それについては読んで確かめてもらうとして(平野の家に呼ばれて和田誠に会う話で私は爆笑した)、それ以外の著名人に関する記述を、ランダムに抜き出してみようと思う。

○月×日

テリー伊藤さんに「おおい、ミッちゃーん」と声をかけられました。「あんた、共産党員だったよね?」。いつも話題が唐突すぎて会話にすらなりません。去年も同じことを聞かれました。

○月×日

(前略)ちなみに、カラオケで森三中さんがいる時は、いつも彼女らに向かって「太りあってるかーい?」とマイクを向けます。いっせいに「YEAHー!」と返事してくれるいい子たちです。

○月×日

先日、椿鬼奴さんとラジオでご一緒しました。誰もが会えばたちまち好きになるであろう、そのおっとりとしたお人柄。どことなく品があります。こんな話を聞きました。学生時代、椿さんがとても憧れていた女子の先輩がいたそうです。イギリス留学から帰ってきたその先輩の話に、まわりの後輩たちもうっとり。(私も話に参加したい)と思った椿さんは、(今、通貨はいくらくらいか、をなれた調子で聞こう)とし、「今、1ペニスいくらですか?」と聞いたそうです。その時、先輩も自分も、確かに(あっ!)と思ったけど、やさしい先輩は瞬間、それには触れず「い、いくらだったかな」とさらっとスルーしてくれたのだとか。上品でしょ。どこが。

話はむちゃくちゃに飛ぶが、先日菊地成孔の格闘技に関する談話集『あなたの前の彼女だって、むかしはヒョードルだのミルコだの言っていた筈だ』(アスペスト)を読んでいたら、菊地が「自分はいわゆる裏話というものにはまったく関心がなくて、世の中のすべては表にでてきていることだけで解析できるという信念を持っている」という意味のことを話している箇所にぶつかった。それにたいへんに感銘を受けたのである。

まことしやかに囁かれる芸能人についての噂話はほとんどがその「裏」を巡るものだと言っていい。パブリック・イメージとして定着しているものが実は虚像で真の顔は別にあるのだ、という物語を求めているひとびとが一定数確かにいるのだ。たとえば某芸能人が海外に行くときバッグにバイブレーターを忍ばせていたのが出国審査でバレ、マネージャーから「少しの間ぐらい我慢できないのか」と叱られたという都市伝説などは、あるやんごとなき身分の方がその芸能人のことを好きだ(もちろんプライベートではなく、テレビで見かける人として)という情報が知れ渡っていたことと無関係ではないはずである。すいません、昭和生まれにしか通用しない例を挙げて。

それらの悪意ある物語がいつごろから都市伝説の域を離れ、一般メディアでも扱われる噂話として流布されるようになったかは、大きすぎるテーマのためここで扱うことはできないが、少なくともインターネット・メディアの拡大と無関係ではないだろうという予想だけはつく。実は菊地の前掲書は、著名人とインターネットの関わり方を示す本にもなっているのだが、この場では触れないことにする。

問題にしたいのは上に書いたように、「表に出てきたことだけを扱う」という姿勢である。自分なりの言い方で書き表してみるとこれは、世の中に出てきて消費されうるものはすべて商品として成立しているが、その流通上の価値には「表」しかない、ということだ。「裏」の情報は本来ノイズであり、「表」の価値を揺るがすには至らないというのが正常な状態ということになる。ゴシップとスキャンダルという言葉があり、どちらも著名な人にまつわるものとして流布される類のものである。両者を決定的に隔てる違いは、前者が「表」の価値をそのまま保ったものであるのに対し、スキャンダルのほうは「醜聞」としてそれを揺るがすものであるということだろう。ゴシップは「表」のイメージを強化するが、スキャンダルはそれを損ねる、と言い換えてもいい。芸能人の中にはスキャンダルをも自分の糧として強化に使ってしまう者もいるが、もちろん小数派である。昭和の昔ならいざ知らず、現代では芸能人のスキャンダルへの耐性は極めて低くなっているように見える。

話があらぬ方向に逸れてしまった。

ここで記憶に留めておくべきことはひとつ、清水ミチコの文章にはゴシップはあってもスキャンダルはないということである。それが『主婦と演芸』という本に漂う上品な雰囲気の正体であり、冒頭に引用したロフトプラスワンの店員の「特に有名人にさん付けして書くところが好き」という発言も、そういう感じをその人なりに表現しようとして出てきたものではないかと推測します(そうだろう? 若者よ)。

清水は決して裏を見ようとしない人であり、彼女が綴った著名人の素顔は、パブリック・イメージをまったく傷つけない。それがおもねりとか媚びとかいった打算からくるものではないことは、上の記述からなんとなく理解してもらえると思う。関心がないのである。ゴシップ・ライターは、書く対象の内面を斟酌しないものだからだ。外に出ている顔、自分に見せる顔しか書かない(だから内面まで掘り下げようとする裏読み者たちのほうが、ゴシップ・ライターよりはその対象のことを好きである可能性すらある)。顔だけを見て、その顔に見えることだけを清水ミチコは書き続けた。それをまとめた本がこの『主婦と演芸』なのである。

もう一点本について書いておくと、清水の文章は部分だけを抜き出しにくいという意味で、非常に特徴的である。書き出しから結語までが一体化しており、その一部だけを抜くと、全体のニュアンスが伝わらなくなってしまうようにできている。先に引用した三つの例はどれも短く抜き出せたほうだが、それでもテリー伊藤と森三中の例は数行でまとめられたのに対し、椿鬼奴の例は最初から最後まで書かずに全体を示すことができなかった。最後の「上品でしょ。どこが」までで一つの意味を構成しているのである。

蛇足気味に書いておくと、清水の文章には「切れ字」ならぬ「切れ語」があり、最後にごく短いツッコミのような著者の感想が入ることがある。それが文章のアクセントとして機能しているのである。文章に今ひとつ個性が出ない、と悩んでいる人が読むと、真似したくなることは必定だ。

そうした一体化した清水の文章の好例のひとつが、「PV用の振り付け練習中たまらず涙が……」という文章である。「キグルミのレナちゃんと“キグルミチコ”というユニット名で、歌を歌うことになりました」という明るい書き出しから、「言えば言うほど「本当は画している芸人の悲しみがあるのだろう」みたいな空気で歯がゆかったです」という結語までの展開は、要約すると美味しい部分が抜けてしまって、すかすかの出汁がらみたいな紹介になってしまうだろう。筋立てではなくて、途中の文章を味わわせること自体が目的という文章なのである。この連載で以前に千原ジュニアが話をするときの展開に凝るという話を紹介したが、それに少し似ている。

ひとつひとつの文章はあっさり書かれているように見えて実は非常に難度が高い。読んでみて、こんなの簡単だい、俺にだって書けらーい、と思ったら同じ内容を同じ分量で自分の表現を使って書いてごらん。できないよ。

本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。

「芸人本書く列伝」のバックナンバーはこちら。

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