杉江松恋不善閑居 退院のご報告

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以前ここに書いたとおり、蜂窩織炎のため某所に入院しておりましたが、昨日退院しました。といっても快癒したわけではなく、患部を保護しながら自宅安静ということになります。心づもりとしては6月上旬までは外出も通院や必要最小限の用事に留めて自宅静養、中旬以降そろそろと表を歩き出す、というような予定にしております。こちらも週二回の通院で医師の指示を受けて決めることなので、しばらくは家に引きこもり状態となります。といっても入院費の分だけ稼がねばならない状況ですから、お仕事は大歓迎。家から出ずに済むものであれば、どうぞお声がけください。

蜂窩織炎というのは皮膚の下の組織が膿んでしまって云々という病気なので、当然だが抗生物質の投与が必要になる。入院時は経口薬に切り替えた最後の一日を除いてずっと点滴を受けていた。

点滴をするためには体のどこかに針を刺しっぱなしにしておく必要がある。これが問題で、自慢ではないが幼少のみぎりより、注射しようにも血管が見つけにくい男、として名を馳せていた。今回で生涯の入院回数は三となる。最初は小学五年生のとき、次は四十歳になる年で、いずれも点滴には悩まされたのである。今回は入院時の体調が最低だったこともあり、看護師ではなくて皮膚科の処置室で針を入れてもらったのだが、私の手に針を刺した医師が、

「うーん。針を入れると血管がしゅっと逃げる」

とぼやいていた。脱水症状になっていたらしく、ただでさえ見つけにくい血管がさらに痩せ細っていたようなのだ。それでもなんとか左手の甲に刺してもらった。ただしそこは、文章を書こうとしてキーボードに手を載せると、ローマ字入力でいちばん大事な「A」のキーを打つ、左小指の骨が動く位置である。そのため思うように文字が打てず、悪戦苦闘したのであった。

抗生物質の投与よりもこっちが大事、と医師に言われていたのが「左足挙上とアイシング」、つまりクッションに載せるなどして足を高く上げ、アイスノンで挟んで冷やすということであった。私の入院生活は、日に三度アイスノンを取り換えて足を冷やし続けることに費やされたとしても過言ではない。なるほど、患部が化膿して腫れているのだから、そこから血を下げて(足だから逆方向で上げることになる)、熱を持っているところを冷やすべきである。道理だ。

ただ。ベッドの上でこれを行うとどうなるか。ずっと左足を何かに載せて上げているわけだから極めて不自由な体勢となることはご理解いただけるだろう。かの桜庭和志はホイス・グレーシー戦において「炎のコマ」と称し、対戦相手の片足をつかんで引き回すといういたぶりに出た。あの状態がずっと続くわけである。

最初に左足挙上の指示が出たときは私も看護師も要領がわからず、薄手のクッションを二つ折りにしたものの上にアイスノンを二つ並べ、そこに足を載せていた。ところが回診が行われた際に、それでは低いと言われ、二つ折りのクッションに円筒形のものをもう一つ挟み、つまりホットドッグ状態にして上にアイスノンを載せるという形式に変わった。円筒形のクッションの名はミニスネークである。マジックでそう書いてあった。この体勢だと、両足を高く差し上げて尻、もしくは腰を接地点とすることになる。したがって始終尻、もしくは腰が痛いのである。幸い家から腰痛時のコルセットを持ってきていたのでよかったが、それを片時も外すことができなかった。また、両足を上げていると股のほうから謎の圧力を感じるのである。何かに似ていると思ったが、柔術におけるパスガードの姿勢と同じで、足を越えてこようとする相手を牽制している状態ではないだろうか。私は足を制しようとするミニスネーク&アイスノン連合軍と日夜ベッドの上で闘い続けたわけである。

そんなわけで下半身の凝りも半端なものではないのだが、一応元気である。一時は膝の上まで出血が始まっていて、医師に「放置すると死ぬよ」と言われた足もだいぶむくみが去りました。膨らんでいた皮膚が急速に戻ったので、今は左足だけしわしわだ。しわしわでも死ななくてよかった。歩けるようになってよかった。

左膝。このマジックの位置まで一時は晴れていました。

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