チミの犠牲はムダにしない その16『試みの地平線』北方謙三

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 この連載で初めてミステリー作家の著書を扱った回。ちなみにこのあと、ホットドッグプレスの北方謙三特集号をいただいたので、機会があれば研究成果を別途発表したい。

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杉江松恋のチミの犠牲はムダにしない!

第16回「試みの地平線」北方謙三(講談社)

 北方謙三といえば髭に葉巻に「小僧、ソープへ行け!」。

そう思っているみなさん、桃屋のごはんですよで食べる朝御飯はおいしいですか。最近は葉唐辛子入りというのもあってなかなかいいですよ。

上記の北方イメージが形作られたのは、雑誌「ホットドッグ・プレス」一九八六年一月一〇日号から二〇〇二年六月一〇日号まで連載された「青春人生相談 試みの地平線」の影響が大きいだろう。三百九十五回に達する長寿連載で、同誌の一つの顔となっていた。また今はあまり映像メディアに露出していない北方謙三だが、一九八〇年代後半にはバラエティ番組などによく出演していたのである。そうした機会に氏の姿を目にした視聴者は、自然と上記のようなダンディな姿を刷り込まれたであろう。さすがにテレビでは「ソープに行け!」とは言わなかっただろうが。

そこで純粋な疑問だ。北方謙三はそんなにたびたび「ソープへ行け!」と小僧どもに奨励していたのであろうか。そこへ行けばどんな夢も叶うというよとゴダイゴのように唱えていたのであろうか。ちなみに、私は何度か氏にお会いしたことがあるが、一度も「ソープへ行け!」と言われたことがない(当たり前だ)。この疑問を解決するためには、原典に当たるしかない。そう、『試みの地平線』を読んで「ソープへ行け!」と断言している回数を数えてみるのだ。

『試みの地平線』の単行本は正続二巻が講談社から刊行されている。収録されている相談数は、正編百十六件、続篇百十件の合計二百二十六件である。このうち「ソープへ行け!」と一喝しているものは二件だけだ。二件とも正編(一九八六年一月一〇日号~一九八七年七月二五日号掲載分)ではなく、続編(一九八七年八月一〇日号~一九九〇年五月二五日号掲載分)である(「初体験をうまくすませられるか心配」な十七歳男と、「女性に対して自信がもてない」十九歳男に対して)。同じような疑問を感じた方は他にもいたようで、exciteブックスの「ニュースな本棚」というサイトで検証を行い「ソープへ行け!」率を二百二十六分の二、約〇・九%と算出しているのである。ただし正編の方にも「商売女でもいいから、女を知れ!」と回答しているケースはあるので(「努力しても報われないことがあるのはなぜか」と質問する二十四歳男に対して)、実際にはあと数件これに近いような回答はある。しかし、基準を甘くして数えても全体の三%にも満たないことは事実だ。なお、こうした回答姿勢は男性の質問者だけに限定しておらず、当然ながら北方氏は女性にも同じ回答をしている。たとえば「他人と普通で対等な人間関係を結ぶにはどうしたらいいか」と聞いてきた十八歳女に対しても「一日も早く、ヴァージンを捨てろ」と答えるのであった。男女同権論者である。

この結果をどう考えるか。北方謙三が人生相談でやたらと「ソープへ行け!」と言っていたというのは都市伝説だった? いやいや、結論を出すのは尚早だろう。前述したように、単行本版の『試みの地平線』は、十六年間に及ぶ連載の、わずか三分の一にも満たない期間を収録しているに過ぎないからだ。残りの三分の二で「ソープ度」がどのように上がってきたか、検証を行う必要がある。つまり雑誌掲載記事に当たってみなければならないのだ。後半に行くにしたがって「ソープ度」は上昇しているのではないかと予想される。芸人の持ち芸を考えてみればわかるだろう。一度「受け」たフレーズは連呼されるものだからである。

傍証として、二〇〇六年一月に刊行された復刻版『試みの地平線 伝説復活編』(講談社文庫)の存在を挙げておきたい。これは十六年間の連載から単行本未収録のものも含めた七十三件の問答を抜粋し、「週刊現代」二〇〇五年四月九日号と九月三日号に掲載された「試みの地平線・中年版」「ミドル編」からの十一件を加えたもので、単行本未収録分を多く含んでいる。「ソープへ行け!」回答は四件あり、単純に言うと含有率約四・八パーセント。四件のうちの一件は単行本にも収録されている十七歳男の相談、もう一件は未収録の、「ぺニスが小さいことで悩んでいる」二十七歳男のものである(大きさが気になるのなら何千本もの棒を見ているお姉さんたちに聞け、という至極真っ当な回答だ)。そして残りの二件は、両方とも「週刊現代」掲載分からの収録なのである。雑誌掲載の二回分で二件出てきているわけで、間違いなく時を追うごとに「ソープ度」は上昇している。ちなみに一件は「チャットでの擬似恋愛が止められない」四十歳男に対して。もう一件は「キャバクラ嬢に恋をして毎月二十万円も遣っている」三十八歳男に対してである。曰く、「二ヶ月、四十万円遣って、十人の女とやってみろ。その間、キャバクラには一切行くな。そして、二ヶ月後、そのキャバクラに行き、その子がどういうふうに見えるか試してみろ。それでおまえの本当の気持ちがわかるはずだ」。なるほど!

とりあえず本稿を書いている段階では、これ以上の追究は不可能である。できれば今後「ホットドッグ・プレス」の現物を当たり、追跡検証を行ってみたい。版元、もしくはコレクターの方の協力をお願い致します!(ついでに調査員も募集。三百九十五回を自分ひとりで数えるかと思うと、気が遠くなるっす)

今回の検証を通じて思い知らされたのは、人生相談の回答者となることの重みである。『続』では「人によく相談をされる」十八歳男の問いに対して、北方氏も「相談されるということが、どれほど苦しいかということは、この何年かで、俺は骨身に沁みている」と本音を吐露している。口先だけの回答をするだけではもちろん勤まらず、質問者を説き伏せる正論を吐くだけでも駄目だろう。時にはわざと逆のことを言い、あるいは相手を怒らせるような暴言を吐きといった策を弄してでも、質問者の心を開かせなければならないのである。青二才にできることではない。回答者には、十分に裏づけとなる人生経験が必要である。そして出し惜しみをせずに自分をさらけ出さなければならない。質問者はなんらかの負い目、引け目、コンプレックスを持って相談をしてくる。それに対してもし自分の中にも同じような要素があれば、回答者は正直にそれを告白すべきなのである。少なくとも、そういう人間として信用できる態度の人間にしか、私なら相談をする気にはなれない。まず、脱げ! 話をするのはすっぽんぽんになってからだ。

北方謙三の裸になりっぷりを見てみよう。「ほっぺたが赤くて悩んでいる」という高校三年の男には、「俺には肩の毛が生えている。すごい毛が生えている」と返す。このくらいは序の口だ(ちなみに北方肩毛といえば東海道中膝栗毛くらいには有名で、一説によれば北方氏はこの毛を触らせながら女性を口説くという)。「仮性包茎で悩んでいる」十七歳男には「正直に告白すると、俺も仮性包茎ぎみなのだよ」「でも俺はむしろそれがいいと思っている」「というのはあそこがいつも敏感になっているからだ。あの時以外は、あまり露出しないほうがいいんじゃないか」と下半身のフィーリング・オブ・ライフを語る。「オチンチンがむずがゆい十九歳男には「非淋菌性尿道炎だな」と断言。「何故、俺がこんなに詳しいかと言えば、だ」と明かす理由は、「淋病二回、非淋菌性尿道炎三回やったからだ。知ったかかぶりをするくらいの権利はあると思う」とこれも正直すぎるほどに自らのダウン・アンダーを開陳するのであった。さらに「最後に、おまじないを教えておこう。相手の女が病気に罹っているかどうかを調べる方法を、経験則からあみ出した。それは女の子のお尻を触ってみて、冷たければ大丈夫と判断するものだ」と、怪しげな判別法まで伝授してくれるのだが、それは「コーラで洗うと精子が死ぬ」という避妊法ぐらい危ないメソッドだと思います、北方先生!

失敗談ばかりではない。対女性の交際法も親切に教えてくれる。たとえば「北方流の女の悦ばせ方を教えてください」という大学四年生男の相談に対しては「必殺恥骨ゆさぶり」なる秘術を惜しげもなく教えている。詳細については下品になるし、前述の文庫版にも収録されているから割愛。各自調査! また、まだ出塁さえできていない童貞諸君には「腿尻三年胸八年」という至言をプレゼント。「女の子に厭がられずに、さりげなく腿や尻に触るのに三年かかる。胸まで行くには八年かかるという意味」だそうなのである。してみると、私も修業が足りないなあ。この他、恋愛術に関しては「女の口説き方に技術なんてない。臆面もない科白をどれだけ並べられるか。これで決まるというのが俺の持論だ」「ここで手を握って欲しいと女が思っている時は、手を握るだけではなく胸まで触わらなくてはいけない」などと、薀蓄のある言葉が詰まっているのが『試みの地平線』なのだ。

もちろん男女の間柄へのアドバイスだけではなく、人生の指針をいかにとるべきかという質問も多い。よく繰り出されるのが「一芸に秀でよ」という言葉であり、北方氏のご尊父が発した「男は十年、同じ場所にジッとしていられるか。それで決まるんだぞ」という教えである。これは普遍性のある教訓だろう。また、「自分で選択しろ」「自分の個人的な問題を一般論にすり替えるな」「己を恥じよ!」といった叱咤の言葉も多い。これは納得できる話で、悩んでいる人間はとかく自分の狭い世界でしか物事を見られなくなっているものなので、その世界を一旦破壊してしまうことによって、見えてくるものもあるはずなのである。しかし、ホットドッグ・プレスの読者であるチェリーなボーイズの中には、そうした北方氏の親心も知らず「自分はHDPのファンであるが、気に入らないコーナーがあります。『試みの地平線』です。(中略)そろそろ自主的に降りる頃になっているのではないでしょうか」などと言い出すとんでもない者も現われるのである。当然ながら北方氏は「それでも俺を降ろしたいというなら、お前らが俺を降ろせ」と一喝したのであった。

ところがこの問題はそれで収まらなかった。読者の葉書の中に、北方氏の追放の是非を投票で決めようという動議があったのを見つけた氏は、編集者に働きかけて、実際にそれを企画化してしまうのである(この辺のダイナミズムが人気のあるコラムらしいところ)。もちろん追放反対の投票が大部分なのだが、賛成派の葉書も結構寄せられた。それを見て、北方氏は深く傷つくのである。傷ついて、小文を書いている。

正直に告白すると、俺はショックを受けている。(中略)賛成などほんのひと握りだろうと思っていた俺は、賛成の葉書を何度も何度も読みかえしながら、ここ数年のことを考えた

真面目に考えこんでしまったのだ。

俺だって、時には謙虚になるさ。いや、もともとは謙虚な人間なのだ。ここ数年、この欄で言いたいことを言ってきたが、それだって言う前に真剣に考えた(後略)」

言いっぱなしではなく、考えた上の発言だったのだ。

その俺の言葉が、そんなに不愉快だったか。おまえたちの感情を、逆撫でにしたのか。もしそうだとしても、俺は面白がってやったわけじゃない。懸命に考えたよ、いつも

考えたよ、の「よ」が未練がましくていい。本音だろう。

俺は、俺のやり方を変えられない。(中略)賛成の数が越えたら、潔くやめよう。それまでは、いまのやり方を押し通すぞ。おまえらにおもねるような男になるのは、おまえらを馬鹿にすることになると思うから、絶対にやらん。自分のやり方を押し通して、追放されることもあるのだと、覚悟だけはしておこう

なんだかちょっとおセンチな文章である。追放賛成派の葉書を涙目で睨んでいる氏の姿が目に浮かぶようではないか。そして、この文章は結びがいい。

追放賛成の葉書をひとりで六枚出したやつ。フェアにやれよ。かなしいぜ

そうだ、フェアにやれよ、こっちまでかなしくなるぜ。

女々しいって? そう女々しい、というか泣き虫さんである。これでいいのだ。こうやって自分の弱弱しい部分を隠さないのが、本当の誠実さというやつなのだから。時にはこのくらいの弱音を吐くくらいの方が、私は人として信用できる。

葉書を六枚出したやつ、今からでも遅くないので北方さんに謝るように。

(本書のお買い得度)

赤塚不二夫先生に続き、人生相談体験者の本を紹介してみた。人生相談本が面白い作家というのは、イコール人間力が高いということである。その著者の本を読むべきかどうか迷っていたら、まず人生相談本を(あれば)読んでみること。そうやって私が発見した作家の中には、『極道辻説法』の今東光などがいる。単行本版はすでに絶版で、定価の倍の値段をつけている古本屋もあるくらいだが、文庫版はたったの467円なのでこれはお得である。『プレイボーイの人生相談』(集英社)1470円もお薦め。今東光ほか岡本太郎、野坂昭如、坂井三郎、赤塚不二夫、アントニオ猪木など総勢十七名の最高人間力保持者がこれでもかこれでもかと相談に乗ってくれるのでげっぷが出るであろう。個人的な見解では、自分が何星人で運命が決まる占いや、前世を見てもらうよりは人生に役立つと思います。

ちなみに次回も、チンチンの皮はかぶっていても心の皮はかぶっていない人が登場予定!

初出:「ゲッツ板谷web」2007年4月16日

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