チミの犠牲はムダにしない! その14『ポエム番長』マッコイ斉藤&ピエール瀧

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杉江松恋のチミの犠牲はムダにしない!

第13回「ポエム番長」マッコイ斉藤&ピエール瀧(サンクチュアリ出版)

 最近、番長って見かけなくなったよね。やっぱ、ドラフト会議はあの独特の巻舌で司会してもらわないと盛り上がらないし、あのヅラがオンエア中にずれるんじゃないかってドキドキしながら見守るのが好きだったのに……ってそれはパンチョ伊東だ

今年になって梅宮辰夫&山城新伍の〈不良番長〉シリーズが続々とDVD化されており、ゆとり教育とやらを絶賛見直し中の文部科学省は〈不良番長〉の視聴を義務教育化したほうがいいのではないかと思うほどにあれは素晴らしい作品なのだが、まあそんなことはどうでもいい。問題は番長である。

かつては少年誌一誌につき一人は必ずいた番長だが、絶えて久しくその姿を見なくなった。今では番長といえば新興宗教系高校上がりの野球選手あたりの代名詞である。それはそれでかまわないが、ではその野球番長が具体的に何をするのかといえば、若い者を糾合して飲み歩くぐらいであるのが物足りない。やはり番長といえばダイナマイトを腹に巻いてヤクザの事務所に乗りこんだり、富士の裾野に八万人の手下を集めたりするぐらいの豪快な行動に出てなんぼであろう。かの野球選手ストライキのときには、球界を牛耳らんとする巨魁のもとに金属バット片手に殴りこみをかけるくらいの男気を見せてもらいたかった。結局あの一件では女子アナを妻にした眼鏡男が株を上げただけなのだが、もちろんヤクルト・スワローズのプレイング・マネージャーを番長と呼ぶことはできないのである。

嗚呼、番長。

払暁の空に輝く明けの明星にも似たその煌めきを、我々は二度と目にすることはできないのだろうか。

そう思って嘆く日々が続いていたあるとき、私は一冊の書に出会ったのである。

『ポエム番長』

ポエムと番長、一見水と油のように相反する概念のように思われる。しかし、1970年代の番長全盛期を知る者なら、真の番長ならその心にポエジーを持っていてもなんら不思議ではないということを承知しているだろう。ライバルを半殺しにしたその帰途で捨てられた子犬を拾って帰る心の優しさを番長は持ち合わせているものである(その子犬の世話は、おそらく子分に押しつけられるのだが)。そうした意外とセンチメンタルな心情を、これはポエムとして謳いあげたものなのか。

ページを開く。巻頭に採り上げられたポエムはこれである。

「ちぃちぃパッパッ/ちぃパッパチィー」

ん、なんだ。シンナーで脳でもやられてんのか。

気を取り直して次の作品の鑑賞に移る。そこに記されていたのは――。

「走ったら/恋の奴隷に/なりやした」

サラリーマン川柳じゃあるまいし、なんでも五七調で読めばいいってもんじゃないんだよ! ……これはどうも純粋なポエム集ではないようだ。

しらばっくれるのもこのくらいにしてネタを明かしてしまうと、本書は演出家のマッコイ斉藤氏が全国津々浦々を回って番組制作に勤しむ過程で出会った、数々の荒くれものどもを列伝風に紹介するものなのである。前回予告した、私が昨年読んでもっとも笑った本の男性著者版一位がこれだ。全国四十七都道府県から五十人の猛者が選抜され、来歴と語録の紹介によって、憎まれっ子世にはばかる生き方を読者に披露している。その後ろに相田みつを調の自筆ポエムが申し訳程度にくっつけられているわけである。あくまで〈ポエム〉よりも〈番長〉の生態紹介の方がメインなのだ。

一例を挙げると鳥取県代表のサソリ君は「中学2年の時、金欲しさにヤクザ事務所に乗り込んで木刀一本で大暴れ。その無謀ぶりから“鳥取最悪の少年”と恐れられ」人物であり、武闘派暴走族となった後は「鳥取砂丘のサソリ」と喩えられた人物である(逮捕一回、少年院一回)。その彼は暴走族時代を「本気で青龍刀持ってバイク乗ってたな、むかしは。かっこ良かったですよ」と振り返る。しかしどんな暴走族だ、それは。チンギス・ハーンの舎弟か何かなのか。だが、とんかつ屋の主人として立派に更生した今は「とんかつは、嘘をつきません」と清々しく自らの職を誇るのである。

そうかと思えば宮城県代表のマカール木戸ジュニアは「メキシコでプロレス修行していた父と、地元のダンサーだった母との間に生まれ」た国際派であり「父と一緒にみちのくプロレスの本拠地である仙台にやってきた」後は「メキシコ仕込みの気性の荒さで、仙台ヤンキーのボスにのし上がった」そうである。ビバ・メヒコ! あの国では日常茶飯事のように人が殺されているらしいし、警官がラリって意味なくショットガンで人を撃とうとするようなこともあるそうだから(プロレスラー邪道&外道の証言による)日本における不良行為などはいともたやすいものだったろう。そんな彼は子供のころ日本特有の文化である暴走族について知らなかったらしく、族への勧誘を受けたときには無邪気にプロレスラーの父親に相談したそうなのである。「そしたら父親が『そんな時期か、やっとけ』だって」(木戸)。うーん、この親にしてこの子ありというところだろうか。

にわかには信じがたいかと思うが、こうした人生そのものがエキセントリックな人々が五十組(夫婦と双子がいるので)揃っているのが本書なのだ。さすがに番長らしく、喧嘩に関する、ちょっと信じがたいような勇猛エピソードが多数紹介されている。

「こっちが14~5人、相手は40人くらい。圧倒的に不利だったんだ。でも山からドラム缶転がして、突き落としたり、罠仕掛けたりして勝った」(島根県代表・桑田18番)千早城に籠城した楠木正成じゃないんだから。

「琵琶湖に行ってケンカするんだけど、相手をガンガン湖に投げ込んでたな。まるで鳥人間コンテストみたいだった」(滋賀県代表・松井純一)ザ・グラジエーターのカミカゼ・アッサム・ボムかよ!

「ケンカはジャックナイフ、スタンガンじゃないんだよ。バットか角材でやるんだ。本牧ふ頭のコンテナで、横浜一のケンカ王を決めてたねー。午前中、仲間みんなで角材を隠しに行ってたよ」(神奈川県代表・横一)映画「七人の侍」の志村喬かよ!

番長の家族も尋常ではない。

「小さい頃親父が、韓国人3人とタイマン張ってるのを見かけた。マグロで殴ってたぜ市場で」(青森県代表・二戸真二)

全篇がこんな具合なら誠に爽快なのだが、これは陽の一面にすぎない。やはり本書に登場するひとびとはそれなりに前科をお持ちなので、一般人が見たら目を背けたくなるような陰の側面も披露されているのである。

「ある日、目が覚めたらおふくろが枕元に立っててさ。包丁を持って泣きながら立っててさ。「死んでくれ。」と言われてさー、必死で東京へ逃げたよ」(兵庫県代表・森脇章彦)

「一番笑ったいじめは…。不細工な女の鼻にフックつけて、野良犬に引っぱらすやつかな」(岩手県代表・中曽根ポリス)

番長漫画の本家といえば故・梶原一騎だが、その弟真樹日佐夫もまた重要なアイコンであることを忘れてはいけない。梶原の『夕やけ番長』を陽の代表とすれば、弟・真樹日佐夫『ワル』は陰の精髄を表した作品なのである。番長という巨星にも陰陽両方の側面があるものなのだ。どちらかのみを強調するのは、真実を正しく伝えない行為といえよう。

もっとも本書に登場する番長たちは、さすがに梶原・真樹の七十年代スピリットを直に受け継いだ存在とは言えないようである。やはりきうちかずひろ『BE BOP HIGHSCHOOL』直撃、吉田聡『湘南爆走族』以降の世代なのである。彼らが自身のヒーローとして言及するのが、2PACであり長渕剛であることにも注目したい。永ちゃんじゃないんだ、と私は少々ショックを覚えた。ああ、時間よとまれ。

勝畑聡&植地毅は『タイマン男魂マンガ高校』(水声社)所収の「番長が消えた夏~失われた男魂を探して」において、番長漫画の節目を森田まさのり『ろくでなしBLUES』に設けている。昭和から平成への時代の変わり目に登場したこの漫画をもって番長漫画は絶えたと考えるのが妥当で、以降の漫画は「不良漫画」と呼ぶべきだろうと私も思う。だから本書のタイトルも『ポエム番長』では本当はおかしいのだ。しかし『ポエム不良』では工場の不具合を調べているようだし、『不良ポエム』では椎名林檎の曲名のようだ。便宜的に『ポエム番長』の題名を用いたことをここは是としよう。平成世代の番長には、良い点もある。それは、昭和の重い世代にはなかった、突き抜けた明るさがあることだ。ツッパリがヤンキーとなり、嘉門達夫が「ヤンキーの兄ちゃんの唄」を歌ったことによって定着した不良の第三の側面、愛嬌あるバカの顔が本書でも強調されているのである。バカは素敵だ。バカは心をなごませる。バカは捨てられた子犬を拾って帰る(でも子分が世話を押しつけられる)。そうしたバカの側面を挙げてみなさまに和んでいただき、この書評も幕を下ろすことにしよう。

「俺らケンカで勝った時なんか、よくビールかけしてましたよ。野球の見ててすげー楽しそうだったんで。でも、ビールが傷にしみてね。懐かしいっすよ」(鹿児島代表・山崎憲吉)

「最近パソコン買ったんですけど、クリックよくしてますよ。クリックするとすごいえらくなった気がして、それだけでもパソコン買ってよかったな~と思いました」(石川県代表・安部研二)

「五月と正月って、似てねぇ? 雰囲気が」(山口県代表・箕島謙作)

「オレ暴走族嫌いだったんで、だったらもっとスゴイの作ってやろうと思って、“超暴走族”っての作ったんだ」(大分県代表・首藤晃一)

「俺の3ヵ条 一、セックスは1ヵ月5回 二、オナニーはなるべくしない 三、彼女に道具を使わない」(富山県代表・藤城勇大)

以上!

(本書のお買い得度)

本文中では故意に伏せたが、上記の語録にはすべてピエール瀧氏による芸のある「つっこみ」が添えられている。併せて読むとなんともいえない味わいがあるはずだ。また、これは「TVbros.」の著者インタビューで知ったのだが、本書に登場した「番長」の中には、本の刊行後塀の向こうに落ちていってしまった者が多数であるため、追跡取材が不可能なのだという。さらに、この本を読んだ不良からは「なんであいつを載せて俺を載せないんだ。なめてんのか」という抗議が殺到したそうだ。まことにいい話である。すべての人間関係を「おめー何中よ?」と中学校レベルに引き寄せて考える、現役感覚が素晴らしい。

ちなみに、本書の帯にはマッコイ斉藤氏ゆかりの芸能人が多数賛辞を寄せているが、そのうちの一人が元・極楽とんぼの山本である。本が出たけど山本が問題を起こしたんじゃ、バンザーイ無しよ、と自粛するのかと思えば、版元は帯の山本コメントの部分に赤線を引き、逆に売りにしてしまった。そうした商魂たくましさも評価に値する。そんなわけで本書のお買い得度を1690円と認定します(今Amazonで検索したら、もとはしまさひで『ヤンキー烈風隊』全巻揃いがその価格だったんで)。

初出:「ゲッツ板谷web」2007年4月5日

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