街てくてく~古本屋と銭湯、ときどきビールEXTRA2

Share

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存

明けて8月15日、台湾滞在の二日目である。まだ台南市にいて、同じホテルに滞在中なのだ。朝食は10分ほど歩いたところにある店で。昨日も食べたサバヒーという魚を載せた粥が名物で、大豆から作ったと思しき辛い調味料を入れると非常においしい。朝から何杯でもおかわりできそうな粥だ。

昼から近くの安平という町を訪ねようということになっていた。台湾は17世紀からオランダの統治を受けるが、その第一歩となった城砦跡がこの街にあるのだ。また、延平街といって古い町並みがそのまま保存された通りもあるという。

バスで台南駅から約20分、運河のほとりの道を延々と走ると、やがて港町のような空の広い通りに出る。空はくっきりと青く、わずかに浮かんだ雲のほうを目指して歩いていくと海水浴場にでも行き当たりそうだ。バス通りと直角に交わるのが安平古堡に続く道で、入っていくとすぐ右に赤煉瓦で作られた塀が見えてくる。そして、その前に延々と連なる土産物屋の屋台も。

自己主張の激しいエビ。

自己主張の激しいエビ。

安平の名物はエビであるらしく、エビを巻いて挙げたものを売る軽食屋や、エビせんべいの専門店が多数存在する。どういうわけかエビせんべい屋の間では巨大なマスコットを店頭に飾るのが流行っているらしく、街角のあちこちで奇怪なクリーチャーを目撃したのであった。その中に巨大なサナダムシと戯れているおやじの像があったのだが、これはU字型をした生地の中にソフトクリームを詰め込んだお菓子らしく、先日ソウルに旅行してきた妻によれば韓国にも店があるという。

思わずぎょっとするフォルム。

思わずぎょっとするフォルム。

しかしなんといっても土産物屋がもっとも密集しているのは延平街である。海産物と甘味、そして細工物の店が多いあたりは鎌倉は長谷あたりの雰囲気を想像していただきたく、それにブリキ細工やマスコットなどのおもちゃの露店が混じる。もう一つ多いのは南国らしくドライフルーツの店だったが、その奥が玩具店になっているのを妻が発見してきた。

同じ趣味の子供とさっそく急行し、何か出物はないかと漁る。海外で古い玩具店を見つけると、ウルトラマンシリーズのパチモノがないか、と探すのが癖になっているのだ。

312fVxOe+YL ウルトラマンシリーズといえば有名なのはタイ・チャイヨー社が円谷プロダクションと揉めた一件である。詳細は省くが円谷プロの分は悪く、後にチャイヨー社との間で和解調停が成立するまで、かの社にオリジナルのウルトラマン番組を作ることを許すなど、苦汁を舐めることになったのである。このへんは創業者一族である円谷英明の著書『ウルトラマンが泣いている』(講談社現代新書)に詳しい。

数年前、タイに旅行した際、私と子供はそのチャイヨー社のオリジナル・ウルトラマン関連のグッズを探し回った。当時はすでに円谷プロとの間で和解が成立しており、それらの黒歴史に関しては「なかったこと」にするという大人の取引が行われていた。バンコクなどの主要都市の玩具売り場からはチャイヨー・グッズが消え、商品の変わり目の時期でもあったのか、ウルトラマン関連のもの自体が品薄になっていたのであった。まったく成果は上がらず、へこたれていたときに神様が微笑んでくれた。日帰りで訪れたアユタヤの、車を降りて一休みしたレストハウスから駐車場に戻る途中で偶然立ち寄った汚い土産物屋で、見事にチャイヨー製グッズを手に入れたのであった。

今回の成果はそれほど目覚ましいものではなかったが、それでも発見はあった。埃をかぶったブリスターケースの中に入った原色塗りのソフビ群、一目見ただけではウルトラマンなのだかオリジナルのキャラクターなのか判然としないが、ケースの敷紙をひっくり返してみれば一目瞭然である。カプセル怪獣ミクラスの頼もしい雄姿が印刷されているからだ。その瞬間、パチモノ認定である。レジに持っていくと90元、約297円の買い物だった。

なんともいえない配色。

なんともいえない配色。

左下のミクラスが証拠である。

左下のミクラスが証拠である。

成果物を手に、意気揚々と帰路につく。すっかり古城云々のお題目は頭から抜けているのである。その道すがらに書店の看板があった。「二手書店」とあるのはセコンドハンズ、つまり古書店のことだ。

店内に入ると、壁際にそれぞれ一列、中央に背中合わせの二列という四列の書架があり、かなり奥行がある。しかも中央の二列はスライド式になっているので、実質はそれぞれ二列に本が並べられていることになる。そのスライド式書棚の一つがまるまるミステリーのために使われており、クイーンやヴァン・ダイン、横溝正史の長編全集などの翻訳がぎっしりと詰まっていた。ところどころに和書も混じっており、近藤啓太郎のピンクジョーク集や糸山英太郎の啓蒙書など、懐かしい書名も散見された。ほじくりかえせばいろいろ出てきそうだが、外に家族を待たせていたため、後ろ髪を引かれつつ戻る。はからずもこれで副題のうち「古本屋」の項目だけは充たしたことになった。

安平書屋。いい古本屋でした。

安平書屋。いい古本屋でした。

81Wa2bY7iWL この日道すがらkindleで読んでいたのは『江口寿史の正直日記』(河出文庫)だった。

9月2日に田中圭一さんの漫画イベント第4弾をやることになっていて、その資料なのである。これは田中圭一さんが昭和マンガ史を彩った偉大な作家たちについて話しながら、興が乗ったらイタコと化し、レジェンドたちの霊を下してその画風を模写・分析するというものである。これまで本宮ひろ志、山上たつひこ、車田正美と生霊を降ろしてきたが、次回は江口寿史がテーマなのだ。

『正直日記』は江口が自身のホームページで公開していた日記の、1999年から2002年までの分を収録したものである。江口の仕事でいえば『キャラ者』の連載時期にあたり、漫画の執筆量は少ない。記述を負っていけば仕事のほとんどがイラストであることがわかり、途中から週刊漫画アクションの表紙イラストを手掛けるようになると、その一枚ものを書くことに江口は追われるようになる。たかが表紙一枚。しかしその一枚に時間がかかるのだ。

勝手に代弁してしまうが、その気持ちはよくわかる。

量の多寡ではなく、仕事は仕事、一つは一つなのだ。私だって4000字の原稿を1つ書く代わりに800字の原稿を5つ書けと言われたら「目方で仕事してるんじゃないや」と愚痴りたくなるだろう。

やがて江口はいったんアクションを去り、表紙仕事も終焉を迎える。そのことによって再び漫画書きたい熱が蘇ったのか、彼は某原作者と組んで週刊連載開始を決意するのである。しかし体がついていかない。悶え苦しんでいることがわかる2002年の日記の終わり近くに、こんな文章が出てくる。

――絵だって16ページのうち、満足のいったのは1ページだってない。ただゴールにたどり着く、その事にのみ気力をふりしぼってやっとのことで走り切ったという状態だ。いいトシをして我ながらぶざまだと思うが、20年近くのらりくらりとしてきたツケだからな。ツラくてあたりまえなんだ。なんにせよ、もう一度漫画を描く事を楽しいと思えるようになりたいんだからな俺は。走り続けていればそのうちきっと、呼吸が楽になる瞬間がある。

やる気になれば俺はやれる、明日からきっと俺はやる、日銭仕事でがんじがらめになっている日常を打破するために大きなことを絶対にやる……この仕事が片付いたら。

そんな能書きを頭のどこかにいつもくっつけたまま生きているすべてのフリーランスへの応援歌だと思ってこの本を読み、休み中にもかかわらず背筋を正したい気持ちになった。

(つづく)

Share

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存