実券でヨロシク6 「山田恵一はリヴァプールの風になった」(獣神ライガー)

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画・くまさん(赤色バニラ)

杉江松恋不善閑居の10/11付記事で書いたが、私は2010年頃に北尾トロさんが当時刊行していたミニコミ誌『レポ』に参加した。その『レポ』が〈ヒビレポ〉というメールマガジンのようなものを出すことになり、執筆陣に声がかかった。その折に、じゃあ杉江松恋というライターが今何を考えているかを書きます、といって全13回で連載を始めたのがこの「実券でヨロシク」である。たぶん2012年頃だと思う。原稿がごっそり出てきたので、一気に掲載してしまう。当時はそういうことを考えていたんだ、と懐かしく読んだ。参考になるかどうかわからないが、2010年代の話としてご覧いただければ幸いである。

画像はサークル〈腋巫女愛〉過去作表紙から(赤色バニラ・くまさん画)

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次回から、なぜ私が多数のイベントをやっているのか、という現在の話をしようと思っている。その前にもう一回だけ過去の話をすることをお許し願いたい。ライターの「陣取りゲーム」のために自分が何をやってきたかを公開しておきたいのである。これはあくまで過去の戦術だし、現在では世の中に通用しないものもあるはずだ。特に秘密にすることでもないし、過去のものとしてここから脱却するためにも、ここに書いてしまうことにする。えいえいっ!

1)宣伝活動

ひらたく言うと「杉江松恋という名前を知ってもらう」ということである。とりあえず顔を出せる場所にはなるべく出席し名刺を配りまくる、というのが基本だった。名刺は文字だけのものだと印象に残りにくいので、ワンポイントのエンブレムを入れることにした。

パーティーなどで名刺を交換したら、アドレス管理ソフトにすぐ移してリスト化する。何かについて話が弾んだらそのことを記録しておいて、場合によってはすぐメールでお礼を書く。最終的にはその年の終わりに賀状を出して挨拶をするわけである。他のライターがどの程度こういうことをしているか私は知らないのだが、営業部門の会社員として働いていた経験から、こういう活動は不可欠のものだと思っていた。

問題はコストが嵩むことで、名刺代は社会人としてやむをえない出費と割り切ったが、年賀状の数も半端ではないことになった。最盛期にはたしか800枚ぐらい出していたはずである。ハガキ代+印刷代で8万円ぐらいは飛んでいく勘定だ。この活動にきちんと効果が上がっていたかを判断しにくいので、最近は年賀状の数を抑え目にしている。

もう1つの問題は、この活動の効果をきちんと数値で判断することができていないことである(何枚名刺を配って何件の受注につながったか、というような判断を営業はやる)。この活動に効果を期待するのは無駄かもしれない、と最近では思いつつある。連載の初めから言い続けているように、そもそも「杉江松恋」という名前に価値が見出せなければ、いくら名刺を配っても意味がないからである。もしかすると靴べらにでもされて捨てられているかも、と思いつつ、儀礼として最近は配るようにしている。

2)広報活動

『バトル・ロワイアル2 鎮魂歌』を上梓した際、これはいい機会だと思って個人ホームページを作った。それまでは持っていなかったのである。当初は『BR2』を売りにしようとしていた。「小説版『バトル・ロワイアル2』のできるまで」という作りかけのページは、初挑戦のノベライズで自分が採用した作法を人にも教えたい、という考えから設けたものだ。こういう風に、自分が手にしたものを秘蔵しないで他の人と共有したほうがいい、という考え方を私はする傾向がある(ということに今気づいた)。

ホームページはそれなりに反響があったし、ブログに移行した後も一応読者がついてくれた。現在放置気味なのは、twitterと個人ホームページを比べると前者のほうが波及効果が大きそうに思えるのと、書評サイト「BookJapan」の運営権を委譲されて主催するようになったからである。単なる広報用ではなく、「BookJapan」を使って何かお金になることができるのではないか、という模索を今は始めている。

3)個別の切り崩し活動

これは雑誌や新聞の編集者などに対する働きかけだ。1)で名刺交換をした中には、書評ライターとしての杉江松恋に関心を示してくれる方も何人かいた。そういう人とは本についての話をするので、なんとなく覚えておく。そして話題作になりそうな本が出たときは、「あの本はこういうふうに書評をしたらおもしろいかも」などというメールを送るのである。もちろん毎回それで反応があるわけではないのだが、記憶の隅にでも留めておいてくれればしめたもので、次に似たような傾向の本が出たり、メールで言及した作者が他の本を書いたりしたときに仕事につながる可能性がある。実はなかなか効果的で、前回話題にしたAの出版社に切り込む際の戦術はこれだった。Aの出している雑誌の書評欄をこれで「獲る」わけですね。場合によっては、まだ効き目のある手法かもしれない。

だが今は、私はこの活動を放棄している。それをしなくても仕事がもらえるようになった、というのが大きいが、直接の理由は先輩の豊崎由美さんから助言をいただいたからである。何かの席でこの切り崩し活動の話をしたとき、豊崎さんは少し真面目な顔でこう言った。

「でもねえ。それをやって編集者に言いように使われちゃうこともあるから、気をつけないといけないと思うよ」

そうなのである。編集者の好みを調べてそこに入りこむというのはいい戦法に見えるが、逆に言えば編集者に「使われる」ことにもなるのだ。そうやって子飼いになっていくと、いつか自分の本意ではない作品を書評で取り上げなければいけなくなる。好みではないどころか、どう考えても失敗作と思われるものをあてがわれることになるだろう。そのときに「長年お世話になっている」編集者の頼みを断れるだろうか。書評ライターとしての独立はそこで失われることになる。一回節を枉げたら、次からはなしくずしだ。たいへんに危険な戦法であることを豊崎さんは教えてくれたのである。

4)物量作戦

つまり仕事は絶対に断らず、増やすということ。何回かそのことを書いてきたが、私が大学のミステリ研出身者であるという背景がこれには大いに役立った。つまり人海戦術が最初から可能だったのだ。作業を分割し、ある部分は他人に任せるということにすれば、その分の取り分は減るが仕事量は増える。これで助かったのは、たとえば「ダ・ヴィンチ」のような雑誌の特集ページでたくさんの本を紹介したりするときである。30冊のリストの内容紹介をするのは1人だと大変だが、5人いれば6冊ずつですむ。そうやってたくさんの人海戦術仕事をこなしてきた(念のために書いておくが、分担してもらった人はすべて記名するし、原稿料も山分けである)。

またインタビューでは音声起こしを採用している。音声起こしを使わずに自分でやればその分の料金は発生しないのだが、録音を聴きながらそれを文字にしていくという作業はほとんどの場合退屈だ。ただでさえめんどくさがりなのに、それが仕事に取り掛かる上での障壁になることもある。そうなると1本の音声起こしがあるがために、他の仕事までずるずると遅れるということにもなりかねないのだ。作業の軽減という意味だけではなく、仕事に向かう上での心理的な負担をなくすということでも音声起こしをお願いするのは有効な手段だと私は考えている。ただし1本のインタビューによる収入は激減する。当たり前の話だが、半分くらいは起こしをやってくれる若者に支払うことになってしまうからだ。しかし、これはこれで無駄にはならないのだということに後で気がついた。

今回の「実券予定」(当時)※省略

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