翻訳ミステリー大賞シンジケートの人気企画「必読!ミステリー塾」が最終コーナーを回ったのを記念して、勧進元である杉江松恋の「ひとこと」をこちらにも再掲する。興味を持っていただけたら、ぜひ「必読!ミステリー塾」の畠山志津佳・加藤篁両氏の読解もお試しあれ。
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日本で初めて翻訳されたピーター・ラヴゼイの長篇は本国では1970年に発表されたクリッブ巡査部長ものの第一作『死の競歩』(ハヤカワ・ミステリ)です。ラヴゼイはもともとスポーツ・ジャーナリストとして活動していましたので、取材をして興味を持った19世紀の耐久競歩を小説の形で書くことを思いついたのでした。これはラヴゼイのデビュー作でもあり、第二作『探偵は絹のトランクスをはく』(ハヤカワ・ミステリ)が素手によるボクシングを題材にしているのも、前作の路線を踏襲したものといえます。
ラヴゼイには三つのシリーズ作品があります。一つは上記のクリッブ巡査部長もの、二ツ目はそのシリーズを終わらせた後に『殿下と旗手』『殿下と七つの死体』の二冊を書いた、英国皇太子アルバート・エドワードを主人公にした連作です。ここまでのラヴゼイはどちらかといえば歴史ミステリーの書き手と言ったほうが座りのいい作家でしたが、1991年の『最後の刑事』(ハヤカワ・ミステリ文庫)で英国ミステリーの常道ともいえる路線、すなわち個性あふれる警察官による捜査小説を開始しました。これがピーター・ダイヤモンド警視シリーズです。これは現代ものですが、古典的探偵小説の趣向が随所に取り入れられ、ラヴゼイの集大成というべきシリーズになっています。
『偽のデュー警部』が発表された1982年はラヴゼイがクリッブ部長刑事ものを終了させてから4年の空白期間があったあとで、ここからしばらく非シリーズ作品が続きます。次の『キーストン警官』は1910年代のハリウッドが舞台の喜劇要素が強い作品、『苦い林檎酒』では〈過去の殺人〉として1940年代の殺人事件を調査する物語、前出の『殿下と旗手』を挟んで発表された『つなわたり』は第二次世界大戦直後のロンドンを舞台にしたクライム・サスペンスと、歴史的過去に登場人物を置いて、さまざまなプロットをラヴゼイは試していきます。その結果が『最後の刑事』につながるのです。
『偽のデュー警部』は、警察官を主人公にした英国ミステリーの正統的な作風でデビューした作者が、自身の可能性を模索していた時期に書かれた作品です。豪華客船上という閉鎖空間に登場人物を閉じ込めることで醸し出されるサスペンスが本作の第一の魅力でしょう。また、殺人事件の謎を解く話として見せておいて実は、と背後で進行していた出来事を最後に明かすというプロットは「何が起きているかわからない物語」という現代的ミステリーの先駆けといってもいいと思います。舞台こそ時代がかっていますが、その中で繰り広げられるのは現代的かつ実験的なプロット、というのが本書が古びない理由なのではないでしょうか。