某月某日
思い立って家族と東海道線に乗り、小田原まで行ってきた。
知事が東京都から出るなと言うのを忠実に守っていたのだが、解除の条件設定をまったくしない。言いっぱなしもいいところである。それでも一理あるので従っていたが、このへんでそろそろ解禁してみることにする。緊急事態宣言が出る直前に栃木県まで足を延ばして以来なので、五ヶ月ぶりの他県だ。
小田原で下り、城山の寿し処とろせいで昼食にする。ここは、箱根の温泉旅館で働く方たちが、暇を見つけて食べにくる店だと聞いたことがある。以前から小田原に来るたびに寄っているのだが、ずいぶんとご無沙汰していた。
駅に戻ってもう一駅東海道線、次の早川で下りる。海伝いの道を南へ辿る。特に何と言うこともない遠足だが、半年余り海を見ることなく過ごしていたので目の保養が目的である。しばらく歩くと米神漁港に出た。ここに豆相人車鉄道の駅跡がある。
豆相人車鉄道は小田原と熱海を結ぶ鉄道で、1896年に開通した。この間は地形的に大量輸送の可能な交通機関の建設が難しく、当時の熱海は東京から見れば通いづらい湯治場になっていた。人車だから、文字通り人間が客車を押す鉄道によって、陸の孤島への往来を盛んにしようとしたのである。この人車鉄道は明治期にいくつかの場所で開通し、いずれも短時間営業を行っている。豆相人車鉄道はその中でも比較的長くもったほうである。さすがに人力では輸送力にも限界があるので、軽便鉄道を導入し1908年から再び営業開始、1923年の関東大震災で軌道が甚大な被害を受けるまで存続した。その後1925年に国鉄熱海線が開通しているが、明治から大正までの運輸を一手に担ったのである。
海伝いに歩いてきた道がほぼその人車鉄道と軽便鉄道のルートだが、起伏が激しく、特に人間が手押しするのは大変であっただろうと思われる。急な坂道では客が下りて歩いたというし、勢いが付きすぎてしばしば脱線もしたそうだ。このへんのことは伊佐九三四郎の名著『幻の人車鉄道』(河出書房新社)に詳しい。文庫で復刊しないかな。
米神駅跡はわかりにくく標示タイルを見つけるのに時間がかかった。正確にはそのタイルの場所でもなく、正寿院という寺の裏手に駅はあるのだそうだ。『幻の人車鉄道』には「道路はカーブして南側にまわりこむが、レールは寺の所から今より下を通って海岸線へ上がっていた、と古老達は語っていたが、そういえば海へまわりこむあたりに一本細い道が上ってきていたから、たぶんそれが旧い人車、軽便道なのだろう」とある。
ここからさらに歩いて根府川駅へ。伊豆で遊んでいた行楽客が帰ってきているのか、上り車線は渋滞している。その横を、車に気を付けながら歩いていく。ナンバープレートを見ると関東一円から来ているのがわかる。米神の手前に源頼朝が挙兵した石橋山古戦場跡があるが、本当ならそこにも駅があったのだということに帰宅してから気が付いた。
根府川駅を通り過ぎ、東海道線のトンネルを眼下に一望できるところに関所跡入口のバス停がある。人車鉄道の根府川駅跡標識があるのはそこだ。『幻の人車鉄道』からの孫引きになるが、志賀直哉「軽便鉄道」から引用する。
「根府川の停車場は幾らか坂になっているので発車にブレーキをゆるめると一寸逆行した。それと同時に車両が回り出したから車体がひどく揺れ出した」(小池滋『鉄道愛 日本篇』他所収)
ここで小遠足はおしまい。二つ東海道線に乗って湯河原駅まで行く。日帰り温泉で汗を流して帰宅する肚だ。駅を出て温泉のあるほうに向かうと、道の右側に特売場ができていて、プラモデルの安売りをしていた。除くと、珍しいチェコ製の戦闘機プラモデルなどを売っている。倉庫から出てきたのか、どれも時代がついたものばかりだ。アオシマが出していた「日本の歴史ミニチュアモデル」シリーズの神崎与五郎詫び証文のジオラマがあったので、私はそれを買うことにする。二つ買えば半額になる。考えたが、一つだけに留める。時期を決めずこの秋のうちは特売を続けるというので、もしかするとチェコのプラモなどを買いにまた来るかもしれない。掘り出し物を手にしたいマニアの方はお早めに。
坂をくだっていく。立ち寄り湯の前におなじみ古本屋「好文の木」に。新刊書店の一角に古本棚が置かれている。特に買うべきものはなかったが、湯河原で古本を見るという風情がいいのだ。隣接されているリサイクルショップにウルトラマンのソフビがいくつか出ていたので子供が買った。平成作品のソフビなので、結構珍品である。
迷惑になるといけないので名前は伏せるが、立ち寄り湯はスピリチュアル系の影響を受けたと思しき、なかなかおもしろいところだった。シャンプー・リンスがEM菌配合だったりするし、給水ポットの横に『水からの伝言』が置いてあったりする。お湯そのものはぬるめだが良かった。特に心は清められなかったと思うが体は綺麗になったのでよしとする。
東海道線に乗車して帰宅の途につく。横浜駅で下り、当然のように崎陽軒シウマイ弁当を買った。これは買うのが決まりなのだ。