芸人本書く派列伝returns vol.20 春風亭一之輔『いちのすけのまくら』

Share

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存

いちのすけのまくら

いきなり私事で恐縮だが、二〇一七年十二月一杯で新宿五丁目で営業していたCAFE LIVE WIREは閉店した。といっても姉妹店のHIGH VOLTAGE CAFEというのがすぐそばにあり、トークライブなどはそちらで継続している。昨日も漫画家の田中圭一氏と、『軽井沢シンドローム』のたがみよしひさ氏について語るイベントをやったばかりである。閉店したCAFE LIVE WIREのほうはここしばらく落語専門の会場になっていたので、それが無くなったということだ。現会場で落語興行は続けていくのだが、トークライブの場所に間借りする形になる。

閉店の理由は、建物の老朽化がはなはだしく、快適な演芸空間をお客に提供するのが難しいと判断したためである。それは私とは関係ない話なのだが(店の人間ではないので、私はあくまで顔付けなどをお手伝いしていただけであった)、ちょうどいい機会なので自分が落語や演芸全般に関わる距離を見直すことにした。あそこで落語会を始めたのは、良質の演芸をお客に味わってもらいたい、若手の演芸者に場を提供したい、という二つの気持ちがあったからだった。それを忘れていないか、自己点検する必要があると考えたのである。

寄席の差配をする人を席亭を呼ぶ。その席亭となること自体が目的で落語会を開くのは、本末転倒な話である。言い方は悪いが、演芸者を駒として見ているようなものだからだ。そんな「お席亭」になるくらいなら、すっぱり会を止めてしまったほうがいい。自分の了見をきちんと量り直してみようと考えている。いや、自分はそんな人間ではないと思いたいのだが。

少々後ろ向きなことを書いた。CAFE LIVE WIREを借りて落語会を開催していた期間は四年弱になるだろうか。その中で学んだこともたくさんあったのである。たとえば私は、自分が落語家や関係者でもないのに、その世界の人間であるかのように振る舞って「師匠」と呼ぶべきではないと考えている。たとえ人間国宝であろうと、柳家小三治さん、でしろうとは構わないのだ。この点について、もしかすると演芸者はそうした呼称を好まないのではないか、と気になって、落語会のたびにそれとなく「さん」付けを試してみた。本人だけではなく、その師匠筋、あるいは大看板の演芸者についてそうした呼び方を試みたのだが、正されたことは一度もなかったのである。そう、しろうとは「さん」でいいのだ。

春風亭一之輔『いちのすけのまくら』(朝日新聞出版)を読んでいたら、この問題についても言及されていた。演芸界以外の人間は「さん」で問題ない、「師匠」となると付き合いの幅が狭くなるような気がする、と。

「一之輔師匠にはここで満面の笑みで川にダイブして頂けますか? その折、師匠には全裸でお願いしたいのですが? 師匠、何卒ご了承くださいませ!」

……なんて仕事の打ち合わせは「師匠」だとしづらい。そういう仕事がしたいわけではないが、一つの例として。

『いちのすけのまくら』は「週刊朝日」人気連載「ああ、それ私よく知ってます」をまとめた本である。百ある章には連載時の編集者が振った「お題」が付けられている。上に引用したのは「師匠」という章についてのものだ。全体が落語家という職業についての「おしごとのまくら」、時事についての「はやってるのまくら」、過去の回想である「思ひ出のまくら」などと五章に分割されており、「師匠」は第一章の「おしごとのまくら」に含まれる。この章は、寄席や落語というものにあまりなじみがない人にその世界を垣間見せ、さりげなく手ほどきをしてくれる役割も持っている。

落語界において「師匠」と呼ばれる人、呼ばれるべき関係性がどういうものかを簡潔に述べたあと、一之輔はもう少し踏み込んだことを書く。

後輩は、入門した時点で既に真打ちの先輩を「師匠」と呼び、真打ち未満の先輩は「あにさん」か「ねえさん」と呼ぶ。この「あにさん」や「ねえさん」が真打ちに昇進した時、「師匠」に切り替わるのだ。(中略)

入門した時、真打ち未満だった先輩は真打ちに昇進してからも「あにさん」と呼んでかまわない。だが、後輩の立場からすると、その先輩が自分をちゃんと認識してくれていたかが問題だ。

つまり、どんな先輩でも真打ちに昇進した瞬間から「師匠」と呼ばなければならないわけではないのである。そのへんの機微につき、若干のぼやきをまじえて綴ったあとで「「師匠」と「あにさん」の間には、深くて長い河がある」と結語するまでの文章は緊密で心地よい。

すでに説明の要はないと思うが一応書いておく。一九七八年生まれの春風亭一之輔は、日本大学芸術学部を卒業後、二〇〇一年十二月四月二十七日に、新宿末廣亭前で春風亭一朝に弟子入りを志願し、許されて一門となる。二〇一二年に二十一人抜きの抜擢で真打昇進を果たすが、それ以前からNHK新人演芸大賞、文化庁芸術祭新人賞などを獲得し、すでに二ツ目ではない実力の持ち主として演芸ファンからは注目されていた。「最もチケットが取りにくい芸人」と呼ばれる落語家は複数いるが、一之輔もその一人であり、おそらくはそう呼ばれる中の最年少だろう。主戦場は寄席だが、ラジオのパーソナリティ出演を中心にメディア露出も多く、着実に地歩固めを行っている。将来の大看板候補であることは間違いない。

また自分のことを書く。昨年、若手講談師の神田松之丞の聞書き本を上梓した。約十時間のインタビューと追加取材を元に『絶滅危惧職、講談師を生きる』(新潮社)は完成したのだが、その際松之丞がラジオへの執着を語っていたのが興味深かった。中学時代からラジオの深夜放送に嵌まっていたといい、メディア展開をするならラジオが好ましいとも口にしていた。テレビという場が寄席芸人にとっては諸刃の剣であり、単なる駒として使われる危険を察知しているからだろう。その点ラジオであれば、出演者は聴取者との間に一対一の個人的な関係を築ける。もちろんそれは幻想なのだが、両者の間には錯覚が成り立つのである。実際に松之丞は、単行本刊行とほぼ同時期にTBSラジオのレギュラーを獲得し、その「問わず語りの松之丞」という帯番組を通じて新しい層のファンを獲得することに成功している。

確認したわけではないが、松之丞がラジオを志向した際にモデルとして意識していたのは一之輔なのではないかと思う。ラジオを通じて自身の個性を売り、寄席に普段足を運ばない層にまでそれを浸透させる実験というのは、一之輔がいち早く始めたことだからだ。青春期にラジオに嵌まった経験があるという共通点も二人にはある。

そのラジオについても「いちのすけのまくら」の中にはたびたび言及がある。一之輔は二〇一〇年からJFN系全国ネットで「SUNDAY FLICKERS」というレギュラーを持っている(「モーニング」)。全国ネットを謳っておきながら、なぜか東京近郊では聴くことができないという不思議な番組だ。一之輔はその状況を「自由さが違いますから」と肯定する。TOKYO FMでネットされるかもしれないという話が流れた際は、出演者・スタッフ一同が「ネット局拡大より自由を」と胸を撫で下ろしたというのだ。よほどの器量がない限り、芸人はメディアに支配される。テレビならテレビ、ラジオならラジオといった具合に、まとう殻がその芸人の身体を規定するようになるのである。一之輔はそのことを熟知している。

本書もラジオのパーソナリティーと同じように、「落語家のエッセイ」という殻に自分がはまり切らないように書かれている。落語家にとって「粋であるか、そうではないか」は非常に重要な問題だが、それは言い換えれば、さらりと軽く、物事に執着せずに生きる態度をどう示すかということになるだろう。文章に「粋」を当てはめた場合、どの程度お客である読者に迎合するかという問題に換算できる。もちろん客層を広くとるためには噛み砕いて言葉を尽くしたほうがいいのだが、説明しすぎる、理が立ちすぎるのは野暮と取られる可能性もあり、初心者には良くても演芸ファンと呼ばれる人たちからは忌避の対象となる。かといって粋を気取りすぎるのはかえって野暮であり、たとえば八代目桂文楽や立川談志のような大看板の振る舞いを若手が真似れば、らしからぬ態度をそしられることになる。一九七八年生まれという落語界ではまだまだ若手の部類に入る一之輔の年齢は、実はこのへんの舵取りが非常に難しいはずなのである。しかし、まったく問題なく、軽やかに一之輔は書いている。自身の高座のように、通ぶる客にも初心者にも満遍なく笑いを提供する、間口が広くて奥行のある文章なのである。落語家のエッセイとしては再上質のものであり、『あかめだか』の立川談春とはまた別の形で、文章の神に祝福された書き手であると思う。

一之輔の文章が良いのは、一つにこれがガラケー、すなわちキー操作で文章を綴るタイプの携帯電話で、メール画面に文字を打ち込むことによって書かれた文章だという事情もあるかもしれない。本書にはたびたび、移動中の電車の中や、出番待ちの喫茶店なので書かれたものが出てくる。おじさんたちの会話を側聞し、閉店準備中の喫茶店主の心情を推測するその文章は、インターネット実況のような臨場感があり、それ自体が人物スケッチの点景になっている。それはまさしく落語の呼吸だろう。題名が示す通り、一之輔は各話を実際に高座でまくらとして話してもいるという。最初から意図したものではないにしろ、ここにある文章の一つひとつが、書かれた落語になっているのだ。

私が本書に興味を持ったのは、第一章の「おしごとのまくら」がまずおもしろかったからなのだが、先に挙げた「師匠/あにさん」の問題だけではなく、他人のギャグを勝手に演じる「ツカミコミ」、目下の者がしくじりをやらかしたときや、目上の者が下に対してはどう振る舞うべきかという気遣いなど、落語家ならではの倫理観、感覚が適切な文章で記されているので演芸ファンにはぜひお薦めしたい。中でも「水増し」は、NHK新人演芸大賞の予選について、長年私も思っていたことについて書かれた内容で興味深い。あの予選は一般客を入れず、いわゆる「笑い屋」でスタジオを埋めて行われるのである。そういう空間で落語を演じることの難しさが一之輔らしいぼやき口調で書かれており、私は大笑いした。予選、お金を払って聴きに行くので、公開でやってもらえないものだろうか。

一之輔には一度だけ取材したことがある。雑誌「ダ・ヴィンチ」が初めて落語特集を組むことになり、師匠である一朝と対談をしてもらったのだ。弟子入り志願時に末廣亭の前で連日待ち続け、意を決して声をかけたときの鬼気迫る表情から、一朝が一瞬刺されるのではないかと思ったことなど、懐かしいエピソードを語る姉弟の姿は睦まじく、羨ましいものだった。一朝は寛大であり、この師匠だからこそ一之輔ものびのびと育つことができたといえる。先の「師匠」の中にもこんな話が出てくる。

一度ベロベロに酔っ払って自分の師匠を「あにさんさぁー!」と呼んでしまったことがある。親しみ、込めすぎた。

「……俺は君の『師匠』だよ」

と、もっともなお言葉を頂戴した。よその師匠なら破門だな。

そんな悪い酒癖に関するエピソードもあれこれ。どうぞご一読を。

絶滅危惧職、講談師を生きる

Share

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存