「奇妙な味」を読むのは他人の心を覗くのと同義なのだ。
「とうて出られそうにないな。でも、絶対に出てやろう」
そんな不思議な呟きから始まるのがスペインの作家イバン・レピラの寓話小説『深い穴に落ちてしまった』である。題名が内容を言い尽くしているのだが、これはどことも知れない森の中で、深さ七メートルもあろうかという逆ピラミッド状の穴に落ちてしまった兄弟の物語である。二人は食糧を携えていたのだが、なぜか兄はそれに手をつけることを弟に禁止し、穴の中で獲れる虫やミミズを食べることを強いる。脱出のための努力を重ねる日々の中で弟は衰弱し、ついには精神の均衡を崩してしまうのである。随所に謎が仕掛けられた小説だが、最大のそれは二人が落ちた穴が象徴しているものは何か、ということだ。答えは結末まで読めば自ずと浮かびあがってくるだろう。非力な兄弟が圧倒的なものによって打ちのめされるさまが残酷なほどに冷静な筆致で描かれる。その迫力に圧倒された。
オリン・グレイ&シルヴィア・モレーノ=ガルシア編『FUNGI 菌類小説選集 第1コロニー』は、世にも珍しい菌類アンソロジーだ。キノコ恐怖小説として名高いウイリアム・ホープ・ホジスン「夜の声」(同題短篇集所収。創元SF文庫)は、本多猪四郎「マタンゴ」という傑作映画を生み出した。本書の編者は共にその聖典に人生を狂わされた二人であるという。SF・幻想小説から実験小説、正統派ホラーまで幅広い作品が収録されているので、とりあえず巻頭のジョン・ランカン「菌糸」を読むことをお薦めしたい。廃屋に感じる不気味さを笑ってしまいたくなるほどのグロテスクさへと昇華させた怪作だ。
短篇集ではもう一冊、中村融編『夜の夢見の川 12の奇妙な物語』が必読である。同文庫『街角の書店』に続く日本独自編纂のアンソロジーで、十二の短篇が収められている。白眉はキット・リード「お待ち」で、高校卒業を記念した旅行の途中である地方都市に迷い込んだ母子を巡る物語である。凄まじい嫌悪感を伴う落ちが待っており、途中からそのことも判ってしまうのにページをめくる手を止められない。十代のうちに読んでいたら人生に絶望していただろうと思わせる、破壊力のある作品だ。それ以外にも日常の何気ない不安を具象化したケイト・ウィルヘルム「銀の猟犬」や、童貞喪失の物語をなぜこうも痛々しく書けるのかというロバート・エイクマン「剣」など名篇揃いである。「奇妙な味」とは江戸川乱歩が提唱し吉行淳之介が拡張した日本独自の概念であり、定義は人によって微妙に異なる。十二の奇妙な味の短篇を読むということは、十二人の作者の心を覗くことと同義なのである。だからこそ読めば心がざわつき、落ち着かない気持ちになる。