ファイルを見てみたらその10も行方不明であることがわかった。見つかったらそのうちに追加します。
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杉江松恋のチミの犠牲はムダにしない!
第11回「ベルマークのひみつ」高井ジロル(日本文芸社)
小・中学校時代のクラス会というものに行ったことがない。先日帰省した際に中学校の卒業文集が出てきたので見てみたところ、名簿の私のところだけ連絡先が空いているのだった。そうだそうだ。文集の完成寸前に引っ越したものだから、転居先の住所がわからなくて空欄になってしまったのだった。おかげで中学以前の知り合いとは以降まったく連絡がとれていない。たぶんこれからも連絡をとらずに生きていくのであろう。
人間関係が希薄なためかそのころの記憶も曖昧だが、たしかなのは2級ぐらい上に俳優の湯江健幸氏がいたことである。氏は下級生に対して非常に気さくで、人の顔を見るたびに「よっ、セックスって知ってるか?」と聞くのが常であった。そのころにはもちろんセックスのなんたるかは知っていたのだが「ええ、もちろん知ってますとも」と答えるのは小学生の身にははばかられるものがある。後ろで女子も聞いているし。「ええー」などととぼけて誤魔化すと、氏は「ちっ、まだ餓鬼だよなあ」とおっしゃるのであった。小学生同士なのに。幼少のみぎりの美しい話、以上。
さてさて。おぼろげな記憶を元にして書くが、私の母校ではベルマーク運動が行われていなかったような気がする。あれはPTA単位で参加するものだから、学校ぐるみで賛同者が得られなかったのだろう。高井ジロル『ベルマークのひみつ』によれば、ベルマーク運動に対するバッシングが起きた時期があるという。代表例は、1975年に雑誌「暮らしの手帖」第34号が反対運動の特集を組んだことによるものだ。当時の編集長花森安治(男だけどスカート着用)が反対特集のために書いた前文がふるっている。宮沢賢治「飴ニモ負ケズ」のパロディになっているのだ。同書の孫引きになるが、書いておこう。
道ニ空箱ガ落チテイタラ/マークハナイカトヒロイ
路傍ノ屑箱ヲアサツテハ/マークガアツタトヨロコビ
乞食ノヨウナ真似ヲ親ハ/ワガ子ノタメトガマンシ
イイエ物ヲ大切ニスルヨイ機会ト胸ヲ張ル教師モアル
ソンナ運動ハヤリタクナイ
私の通っていた小学校は1976年に出来た新設校だったので(私は別の小学校から転入した)、もしかするとこのバッシングの影響でベルマーク運動への参加を止めてしまったのかもしれない。この揶揄に対し、財団は『暮らしの手帖』に対して毅然とした態度で反論している。なんでも頭を下げておけばいいという昨今の風潮とは大違いである。教育設備助成会(現・ベルマーク教育助成財団)専務理事だった和田斉による反論文は見事なものなので、『ベルマークのひみつ』でぜひご覧いただきたい。
また、ベルマーク運動において商品にマークをつけられる協賛会社は一企業一社という決まりがある。このため公正取引委員会とベルマーク財団が一時険悪な関係になったこともあるそうなのだ。1961年3月に協賛会社となった月星ゴムは、同年6月に早くも脱退している。その後の五年間で、ゴム関係の会社が相次いで協賛会社から抜けているのである。この背景には、アサヒ靴などゴムはきものを扱う企業が一企業一社の原則に不服を訴えて公正取引委員会に提訴したという一件があったそうなのである。そうした逆風に耐えて、ベルマーク運動は生き延びてきたわけだ。
偉そうに書いてきたが、ここまでの知識はすべて前掲の『ベルマークのひみつ』からの受け売りである。おそらく商業ベースでは世界初のベルマーク本で(1986年に関係者のみ配布で『ベルマーク25年』という非売品の本が製作されている)トリビア本というにはもったいないほど、大綱から細目までを網羅した本である。圧巻は現在ベルマーク協賛企業になっている95社のベルマーク(これは各社ごとにデザインが違う)を、トレーディングカード風に列挙したページと、過去の協賛企業一覧を整理した年表。ここを見ると「おお、なんとジブラルタ生命保険の無解約返戻金型平準定期保険に加入すると、保険証券にベルマークが同封されてくるのか」とか「1982年から88年まで、協賛会社は一社も増えていないのに、毎年脱退会社が出ている。やはりバブル景気の中で、人の心は荒んでいたのだなあ」などと、ベルマーク運動の全貌を容易に理解することができるのだ。収集癖のある人なら、さっそく自分もベルマークを集めてみたくなると思うが、巻末付録のコレクション台紙を使えば、それも容易になるはずである。
ただし、勢いこんでマーク付き製品を買いに走る前に(いちばん安いのは成田食品のもやし、いちばん高いのは宮田工業の一輪車)『ベルマークのひみつ』を読んで運動を理解すること。運動に参加登録できる団体は、現在のところPTA団体に限られている。これは運動のきっかけが、教育設備が不足している僻地の学校のための寄付金募集だったからだ。 ベルマークで物を購入するシステムは、要約するとPTAがマークを集め、マークのついた商品を売った協賛会社が、該当額をPTAの指定口座に振り込む流れになっている。もらったお金だからといってPTAが勝手に資金流用することは許されておらず、協力会社と呼ばれる物品購入の指定会社への注文に充てなければならないことになっている。
『ベルマークのひみつ』巻頭には、「魅惑の学校グッズの世界」として、この協力会社で買えるものの一部が必要ポイントつきで紹介されている。これはなかなか見もので、意外なものがベルマークで貰えたりする。たとえば朝礼台が172,200点、旗揚塔が137,550点、校名板が130,200点など(1点は1円換算である)。校名板って、正門の入口のところについているあの立派なやつのことか。自分の通う学校の校名板がベルマークで作られた、というのはどうなのだろう。嬉しいのだろうか。それともちょっと遠慮したい気分なのだろうか。該当する学校の出身の方、ぜひ教えてください。
さらにおもしろいのが、ベルマークで買えなくなってしまったもののリストだ。「郷愁の学校グッズの世界」に紹介されている。買えなくなってしまう理由は二通り考えられる。一つは、協力会社が取り扱いを止めてしまう例。もう一つは、学校側の事情が変わって需要が無くなってしまう例である。輪転謄写機(鉄筆で削ったロウ原紙にインクを染み込ませ、紙に転写する機械。41,000点)、小型和文タイプライター(175,000点)といったところは時代の流れから消えるのは当然として、マイナスイオン発生器(26,000点)あたりはなんでリストに入っていたのか、そっちの方が理解に苦しむ。当時(リストは1972年)からマイナスイオン効果などというトンデモ理論が世間には流布していたのである。変なものとしてはナカビゾン(70,000点)などというものもある。あのドクター中松が発明した、紙シートを使う録音機である。実は中松氏が主張する「フロッピーディスクの発明」とは、このナカビゾン開発のことを指すのである。そんなものがベルマークで買えたとは……。自分の学校にはナカビゾンがあったという方、これもぜひ教えてください。
ちなみに今人気がある商品の一つが「さすまた」であるという。え、さるまた? いえ、それはパンツのことで、さすまた。漢字で書くと刺股だ。武蔵坊弁慶の七つ道具で、先が二股に別れた長い棒をご記憶ではありませんか。あれである。離れた場所から侵入者を取り押さえることができる防犯用具として購入する団体が増えているのだそうである。防犯ベルのまとめ買いなども多くなってきているそうだし、消耗品は不可という原則さえなければ防犯スプレーの購入を希望するところもあるのではないだろうか。世情を反映した話で、少し切ない。
いろいろと書き連ねてきたが『ベルマークのひみつ』には、ここに紹介しただけには留まらない豊富な情報が紹介されている。「ベルマークレアものコレクション」「ベルマークTOPICS」「ベルマークDATA」といったページに関しては、実際に目を通してもらった方がいいだろう。安いトリビア本にありがちな「そんなことぐらいとっくに知ってたよ」というような水増し感が本書にはまったくないし、「2004年にベルマークを最も多く集めた学校」「これまでにベルマークを最も多く集めた学校」というようなランキングは、眺めていて溜息が出る。そんなことを知ってどうするというのか、というような無駄度の高い知識だからである。トリビア本かくあるべし。
また、ベルマークを現役で集めている主婦による匿名座談会も興味深い。キューピーマヨネーズの外装フイルムについているベルマークは、注意しないと鼻息で吹っ飛ぶ、だとか、味の素コンソメはベルマークの部分を押して開けるようになっているから絶対目につく、だとか、実際にやっている人ではないとわからないような発言ばかりなのである。ドキリとさせられるのは「ベルマークを見ると、そこの家でどんなものを買っているのか、何を食べているのかってことが結構見えちゃうのよね」というくだりだ。「○○さんちったら、三人家族のはずなのに餃子をずいぶん食べるね」とか「ふじっ子のマークばっかり出してくるおかあさんがいるのよ。それも煮豆ばっかり。毎日二パックずつ食べてもここまでいかないだろう、ってぐらいの枚数なのよ」とか、ベルマークから要らないことが判ってしまうものらしいのだ。岡本理研とか相模ゴムだとか不二ラテックスだとかがベルマーク協賛会社にならないのは、この辺に秘密があるのではないだろうか。「●●ちゃんのご家庭ったらお盛んで、月に三箱もアレが無くなるのよ」とか噂になったら嫌だろうしなあ。
本書のお買い得度
本文で書いたとおり現在はPTA以外の団体や個人がベルマーク運動に参加することはできない。もちろん近所のベルマーク運動を行っている小学校などに集めたマークを寄付することは可能だし、携帯電話を使ったポイント還元などの新しいシステムも徐々に整備されてきている。将来的には高齢社会の到来に対応して大学や生涯学習の団体などにも参加を拡げるという動きが検討されているそうなのだ。ベルマークは遠き日の思い出ではなく(私はその思い出自体がなかったわけだが)、いずれ身近になる話題なのである。本書の定価、税込み1,050円。成田食品のもやしでこの額のベルマークを集めようと思ったら5,250食分は要るし、宮田工業のフラミンゴ一輪車でも3台は買わないとならない。もやし5千袋、一輪車3台買ったつもりで本書をぜひどうぞ。
初出:「ゲッツ板谷マンション」2006 年9月24日