翻訳ミステリーマストリード補遺(52/100) ジョン・スラディック『見えないグリーン』

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翻訳ミステリー大賞シンジケートの人気企画「必読!ミステリー塾」が最終コーナーを回ったのを記念して、勧進元である杉江松恋の「ひとこと」をこちらにも再掲する。興味を持っていただけたら、ぜひ「必読!ミステリー塾」の畠山志津佳・加藤篁両氏の読解もお試しあれ。

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ジョン・スラディック『見えないグリーン』の翻訳刊行は1985年のことでした。1980年代前半は翻訳ミステリーの過渡期にあたります。いくつかの動きがありましたが、一つ重要だと私が考えるのは謎解き小説復権の動きがあったことです。東京創元社の専門レーベルである創元推理文庫では、1982年に一部の古典作品が「探偵小説大全集」というコピーの書かれた帯付きで売り出されます。〈シャーロック・ホームズのライバルたち〉のアンソロジー刊行も同時期に進行し、それまで名作ガイドなどでしか目にすることができなかった作家・作品が身近な文庫で手にとれるようになりました。現在に至る古典発掘ブームの種は、この時期に蒔かれたといっていいでしょう。

 同じく専門出版社である早川書房第一の功績は、当時旬だった作品を文庫オリジナルで刊行したことではないかと思います。1981年のウィリアム・デアンドリア『ホッグ連続殺人』はミッシング・リンクものの新たなバリエーション、1983年のピータ―・ラヴゼイ『偽のデュー警部』は近代史もの、かつ豪華客船ものという新たなマスターピース、そして1985年のスラディック『見えないグリーン』は、ミステリー中毒者たちの間で起こる連続殺人というマニア向けの状況設定と、新種のトリック創出という謎解き小説好き垂涎の趣向を盛り込んだ一作でした。インターネットによる情報収集が容易になった現在では笑い話の領域に入りますが、1980年代前半という時期は「海外では謎解き趣味のミステリー(いわゆる本格)はほぼ絶滅状態にある」という怪説がまことしやかに囁かれたこともありました。もちろんそれは間違いで、形を変えて謎解き小説は書かれ続けていたわけですが、そうした実態が少しずつわかってきたのもこの時期だったのでした。『見えないグリーン』という題名を見ると、当時の熱狂的な気持ちが蘇ってくるのを感じます。ちなみにもう一冊の長篇ミステリーである『黒い霊気』も、本書ほどではないですが独創的なトリックが用いられており、できれば再刊を希望したいと思います。海外ミステリーの新刊で新しいトリックを読んだ、とそれだけで興奮できたあのころが実に懐かしい。

 背景の話が長くなりすぎました。『見えないグリーン』は、いわゆるコージー・ミステリーの走りでもありました。現在ではだいぶ色合いが異なる受け止められ方をしているコージーですが、もともとの意味合いは、古典探偵小説へのオマージュとして、純粋な謎解きを楽しめる作品を読者に提供しようということだったはずです。本書刊行と同年の1985年、アメリカ作家マーサ・グライムズのジュリー警視ものの第一作『「禍いの荷を負う男」亭の殺人』が文春文庫から刊行されました。グライムズとスラディックの共通点は、古典的探偵小説というジャンル自体のパロディを企図して自作を書いたということです。本書もその色彩が濃いですが、『黒い霊気』ではさらに強く、「パリのアメリカ人」ならぬ「ロンドンのアメリカ人」、すなわち新大陸の人間が父祖の地であるイギリスを訪ねたことによって生まれる頓珍漢な笑いが、さりげなく背景に描きこまれているのでした。そのようなパロディ的な趣向の作品は1990年代以降もどんどん翻訳されるようになりますが、その先駆けとしてジョン・スラディックを再評価してもいいのではないでしょうか。

『見えないグリーン』を畠山・加藤両氏はこう読んだ。

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