翻訳ミステリーマストリード補遺(51/100) ブライアン・フリーマントル『消されかけた男』

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翻訳ミステリー大賞シンジケートの人気企画「必読!ミステリー塾」が最終コーナーを回ったのを記念して、勧進元である杉江松恋の「ひとこと」をこちらにも再掲する。興味を持っていただけたら、ぜひ「必読!ミステリー塾」の畠山志津佳・加藤篁両氏の読解もお試しあれ。

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 ブライアン・フリーマントル最大の功績は、現代ミステリーの重要な定型を作ったことではないかと考えています。読者を小説内世界に引き込んでおき、その中で起きていることはすべてありのままに見せていく。そうしたフェアプレイの精神で物語を叙述しておきながら、最後の最後でありえない逆転を起こし、小説全体の意味を引っくり返してしまう。チャーリー・マフィンものを含む初期作品でフリーマントルは、そうした奇術的なプロットを用いたのでした。しかもそれが、チャーリー・マフィンのような一個人によって引き起こされる。世界の転覆という巨大な出来事を可能とするキャラクターを小説内で確立すること。それこそがフリーマントルが成し遂げた偉業なのです。スパイ小説というジャンルに限定せず、この作家を評価すべき点だと私は考えます。1980年代はミステリー界にキャラクター小説という軸が確立された時期でした。その嚆矢となった一人がフリーマントルだったのです。

 フリーマントルがデビューした1970年代半ばは、以前として堅固な冷戦構造が存在し、十数年後に訪れる世界的な変化の兆しさえ見えない状況でした。しかし1960年代のキム・フィルビー事件を含むスキャンダルによって英国諜報部の体制的な揺らぎは明らかになっており、アメリカ合衆国はベトナム戦争の失敗による見えない退潮が始まっていました。1960年代までのような、白黒の陣営が明確な冒険物語は倦まれ、そもそも自分は何と闘っているのか、とスパイ主人公たちが自身に問わなければ存在すら難しくなっていた時期です。自らが生き残るために闘い続けるチャーリー・マフィンは、時代の申し子というべき主人公でした。シリーズの中で彼の立ち位置は少しずつ変化していくのですが、それでも色褪せることがないのは、いつでも世界を転覆しうる機智が彼には備わっているという認識が読者に共通のものとしてあるからでしょう。フリーマントル出現以降のキャラクター小説化したミステリーでは、マフィンのような信頼感を伴わないヒーローは、存在自体が難しくなっていきます。キャラクターの祖型として彼が重要である所以です。

『消されかけた男』を畠山・加藤両氏はこう読んだ。

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