杉江松恋の「新鋭作家さん、いらっしゃい」 北川樹『ホームドアから離れてください』

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ホームドアから離れてください
「杉江松恋の新鋭作家さんいらっしゃい!」番外編。デビュー作、あるいは既刊があっても1冊か2冊まで。そういう新鋭作家をこれからしばらく応援していきたい

てきぱきと本題に入ってくれてありがたいと感じる小説もあれば、その逆もある。

北川樹『ホームドアから離れてください』(幻冬舎)は、その逆のほうで、寝坊をして大事な仕事をサボってしまった午前中のようないたたまれなさの漂う前半部に、私は強く惹かれるものを感じた。いたたまれなさ、罪悪感、ちゃんとした大人ならこんなことはしないよな、もっとしっかりしなくちゃといった声。そんなものが聞こえてくる中で、何をする気にもなれずにただ横たわっている。そんな無為の時間を過ごしたことがある人にお薦めしたい長篇小説である。

■しっかりしなくちゃいけないなんて自分がいちばんよくわかっている

「コウキくん、新しい学校で、元気にやっているらしい」

そんな一言でこの小説は始まる。主人公の父親が発した言葉で、母親と三人家族、一緒に食卓を囲んでいるのだ。〈僕〉ことダイスケはその言葉を聞き流して茶碗のご飯をかき込む。納豆のパックを開け、たれと十分の一のからしを入れ、専用のかき混ぜ棒を使って右に三、四十回。しなやかな納豆を作り、それでご飯を食べ終わる。二階の自室に戻って、不用意にコウキくんの話題を出した父親を憎む。それは「耐えたり、やり過ごしたりできるようになってはだめ」なことなのだ。

最初の数ページで〈僕〉が十四歳で、でも中学校には行っていないということがわかる。〈僕〉の一日は、両親がすでに出かけてしまった家で始まる。朝昼兼用の食事を自分で作る。食器を洗って片付けたら、二階へ戻って押し入れをまさぐる。その中には〈僕〉が止める前の時間が詰まっている。もっと小さいころに買ってもらったおもちゃを取り出し、そのころの精神年齢に戻って遊ぶ。それを〈僕〉はオンコチシンと呼んでいる。「かつてこういうものを好きだったんだと、四歳だったり七歳さったりする僕と再会し、握手を交わ」すために僕はオンコチシンを続ける。

しかし十四歳だ。十四歳の人生にどこだけオンコチシンできる時間の積み重ねがあるものか。振り返るべき思い出がなくなった〈僕〉はついに、最後の未開地というべき場所へのオンコチシンを始める。言うまでもなくそれは、かつての親友であったコウキくんにまつわるものだ。

タキノ、と呼んでいるものに〈僕〉は忌まわしい記憶があるようだ。どう見ても携帯電話だと思われるものは、何度も投げ捨てられたためにぼろぼろになっている。そこにメッセージを送ってくる相手を〈僕〉は次々に受信拒否にし、ついには母親に解約を頼んでしまう。しかしタキノには大事なメッセージも入っている。中学一年生の二月、コウキが最後に送ってきてくれたものだ。題名はなく、本文はたったの四文字。

ごめん。

■時には休むことが必要なときだってある

中学生のダイスケとコウキが巻き込まれた理不尽な事態が第一章にあたる「オンコチシンについて」では綴られていく。このくだりを読んで、ここには自分がいる、と感じる人は多いはずだ。本来は健全な心身の育成を目的とする部活動が、強者による弱者支配という歪んだ場に変わっていく。精神的な未熟なのは生徒だけではなく大人もまた鈍感で、誰一人間違いを正そうとしないために歪みは増幅する一方、機会があればいつでも暴力というわかりやすい形をとって噴出するようになる。閉じた世界の中で窒息しそうになりつつ、その外側に出ることもできないのだ。いや、外に出てみたら同じような理不尽さが繰り返されるだけのように感じられて、希望を持つことができないのかもしれない。

僕たちは中学一年生で、気分はきっとまだ小学七年生で、こんなことを自分でいうのは変なのかもしれないけれど、まったく、賢くないのだ。コウキは僕よりテストの点数が高いけれど、強いってどういうことなのか、その答えは知らない。それだって、自分のことを賢いと思っているより百倍はましだという気がする。

追い詰められているからこそ、こんな風に自分を知り、自分の限界を見て、精一杯努力してきた。コウキとダイスケ、とてつもなく弱い二人だからこそ、いちばん大事なものはなくさないようにしてきた。

ごめんね。という、メッセージが送信されるその瞬間までは。

たわみきった枝は折れてしまい、元には戻らない。その決定的な瞬間のあとを描いた小説だ。〈僕〉はそれでも自分の人生を修復しようとして立ち上がる。第二章「空色ポストをめぐって」以降でそのことについて書かれているのだが、読まれる方の興を削ぎたくないので、ここでは詳述を避ける。再生の過程を描きつつも〈僕〉の心情に作者がきちんと寄り添い、無理をさせすぎないように伴走しながら書いている感じがあるのが後半部のいいところだと思う。人が変わったようにがんばっちゃえるわけがないのである。まだ、中学生なんだから。そこのところでキャラクターがぶれず、最後まで年齢なりの行動が描けている。多くの読者の共感を呼ぶことができる作品だと思う。

最初にも書いたが、やはり助走にあたる第一部に秀でたものを感じる小説である。身辺のことを積み上げるように書いて、世界を構築していく楽しみが第一部執筆の時にはあったのではないか。登場人物を一人で立たせ、彼らを自由に歩き回らせ、という演出家の喜びも作者は味わったことと思う。つまり、本書で創作の楽しさを知ったはずだ。北川樹はこれがデビュー作で、現在四年次に在学中の大学生だという。新しい門出におめでとうと言いたい。ダイスケたちを扱ってあげたように優しく、登場人物たちを愛せる作家になってもらいたい。

新人作家と共に短篇小説も応援しています。雑誌掲載の短篇を紹介するレビュー動画「ポッケに小さな小説を」も併せてご覧ください。

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