街てくてく~古本屋と銭湯、ときどきビール 2020年1月・二川「ヤマザワヤ書店」+東海道歩き

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ヤマザワヤ書店前にて邪悪な笑み。

某月某日

浪曲&古本の大阪行で復路は新幹線を使ったのであと二日分の青春18きっぷが余ってしまった。となれば行く先は一つしかない。

豊橋である。

なぜ豊橋なのかといえば、まだ記事にはしていないが、二度目の東海道歩きで吉田宿(豊橋)の一つ手前である二川宿まで来ているからだ。東海道は吉田宿まではほぼJR東海道本線に沿っているが、そこからは名鉄路線に近くなる。名古屋には伯母がいるので、二、三日泊めてもらって、一気に名古屋市内を歩き切ってしまうつもりだ。となればその前に、岡崎くらいまでをなんとかしておきたいのである。とりあえず、リハビリのつもりで二川・豊橋間を歩いてしまおうと思う。

豊橋市内には忘れ物が残してあるし。

前回の大阪行と同じ乗り継ぎで西を目指す。

横浜発沼津行5:48~7:22三島着

三島始発静岡行7:29~8:29静岡着

静岡発浜松行8:31~9:43浜松着

浜松始発新快速大垣行9:44~10:14二川着

ところが問題が起きた。たちの悪い低気圧が発生して、東に進みつつあったのである。このままいくと、たぶん豊橋に到着したあたりで西に向かう私とぶつかるはずだ。距離は短いのだが、雨の中を歩くのはできれば避けたい。そこで、浜松で駅を出て、1時間ばかり珈琲店で待機し、前線をやり過ごすことにした。本を読みながら待っていると、そのうちに外が明るくなってくる。綺麗に晴れ上がっているではないか。これで何の問題もない。せっかくなので駅で昼食を済ませて東海道線に乗り、二川に降り立った。

二川駅を出ると、東海道は線路と並行に北側を走っている。道に沿って西に進むと、道は北西への急な上り坂になる。峠を越えるような感じでそれを過ぎれば、あとはほぼ下り坂のなだからかな道で豊橋まで行くことができるのだ。

前回ここを歩いたときもやはり嵐のような大雨だったことを思い出す。当時使っていた携帯電話が結露のために一時使用不能になったくらいだ。先日亡くなられたまついなつきさんがそのときは一緒にいたのである。まついさんは私や藤田香織さんよりもずっと健脚で、もたもたしている我々を呆れた目で見ておられたものであった。あちらでもすたすた元気に歩いておられるのだろうか。

坂を上りきり、だらだらと今度は下りに転じる。飯村南二丁目の交差点、東京庵飯村店という蕎麦屋のある交差点で、寄り道のためにちょっと左に曲がった。真っ直ぐ行って国道一号線を歩道橋で渡り、突き当ると小学校がある。道沿いに右に折れると、そこに古本屋があるのだ。ヤマザワヤ書店、豊橋市の忘れ物その1である。

小学生が寄っていくのだろうか、駄菓子屋も兼ねており、店の中央にはその駄菓子屋地帯がある。左側にあるのはスロットカーのレーシングコースで、店主に聞くと現役でまだ走らせられるというお答えだった。だからなのか、店内にはレーシングカーのプラモデルなど、車関係のものが目立つような気がする。右側が古本地帯で、コミックや文庫などを中心とした雑本のお店である。値付けは安いので、元新日本プロレスノリングアナウンサー・田中ケロの旅日記など、何冊かを拾った。

外に出ると、前の壁に小学生が書いたらしきポスターが貼ってあった。近所の子供たちに愛されているのだろう。古本文化の拠点として、いつまでもお店が続くようにお祈りしたい。

東海道。この信号で左に曲がればヤマザワヤ書店である。

ヤマザワヤ書店。看板には「ヤマザワヤ・サーキット」とある。

日本一小学生に愛されている古本屋ではないだろうか。

東海道に戻り、再び歩き始める。ここからしばらく歩くと先ほどの一号線と合流する。そのまま宿場近くまで行き、豊橋電鉄東八町とぶつかるあたりで南西に折れると、そこから曲がりくねった城下町の道になるのだ。もっとも豊橋市内は戦災で焼けてしまっており、当時の遺構はいくらも残されていない。本陣跡なども石碑で示されているだけなのだ。

本日の終点はその吉田宿の本陣跡と決めていた。夜には豊橋市在住のKさんと会って飲もうという話になっていて、それが19時半の約束である。まだまだ時間に余裕はあるのだが、間に合うなら間に合うで、私は少し欲が出ていた。(つづく)

飯村一里塚跡。静岡から愛知に入ると途端に一里塚に扱いが軽くなる。観光資源として見られてないのかもしれない。

一里塚の少し先にあったブックオフ豊橋東店。一応入るが収獲はなし。

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