小説の問題VOL.54 「本のお買い得度」 高橋克彦『ゴッホ殺人事件』・水木しげる『ほんまにオレはアホやろか

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ゴッホ殺人事件(上) (講談社文庫)ゴッホ殺人事件(下) (講談社文庫)

ほんまにオレはアホやろか (講談社文庫)

書店の棚を眺めていたら、西原理恵子『サイバラ茸』(講談社)が出ていた。これは『恨ミシュラン』などの西原本から漫画だけを抜き出して編んだ本だ。もともと西原本については、文章をまったく読まず、漫画だけを読むという読者が多かったはず(私はそう)だから、これはとても合理的な本である。しかし既刊もある漫画を読むためだけに一冊千八百円の単行本か、と割りきれない思いが残るのも事実(同じことは、中村うさぎの対談集『人生張ってます』にも感じた。なぜ文庫オリジナルの本を千百円もする単行本に直さないといけないのか? 新規に収録されたさかもと未明・倉田真由美との鼎談を読むために文庫本の二倍近い定価を払う読者はそんなに多いのか?)。

単行本から文庫本になった本を買いなおす行為はそれほど珍しいことではない。しかしその逆となると作家の固定ファンでもなければ無理だ。あ、固定ファンだからいくら金を払ってもいいのか。そうか。じゃこんなことを書くのは野暮というものだ。すいません、野暮で。

では、そのお詫びに単行本から文庫になってよかったな、と心から思える本を何冊か上げておこう。一冊めはゲッツ板谷の『タイ怪人紀行』(角川文庫)。ゲッツは、西原理恵子と組んで文章負けしない、おそらく唯一の作家である。文庫の価格でこの密度はすばらしい。上原さくらの解説も愛らしく、私はファンになった。誰だか知らないけど(上原謙の孫かなんか?)。二冊めはナンシー関『秘宝耳』(朝日文庫)。これもいとうせいこうの解説がすばらしい。いとうとえのきどいちろうだけがナンシー関のデビュー当時を知っているのだから、作品ではなく人間について書くことを許される。ナンシー関に対する追悼文としては、この解説と週刊朝日の斎藤美奈子書評が出色だった。3冊めは文庫オリジナルで、大川豊(大川興業総裁)の『お笑いテロリスト大川総裁がゆく!』(新潮OH文庫)。この人の懐の深さが、実に味わい深い笑いを産み出している。ナンシー関亡き後、コラムを楽しみにしているのは大川だけだ。

さらにもう一冊。水木しげるの自伝『ホンマにオレはアホやろか』を上げておきたい(これも呉智英の巻末エッセイがおもしろい)。とにかく水木は珍逸話に事欠かない人だが、本人からその裏付けになるような話をどんどん語られると、ファンとしては嬉しくなってしまう。ファンならざる人もこれを読んだら水木にハマってしまうのではないか。

算数がまったくできず、寝坊ばかりしていた子供のころの落第伝説。とある演芸学校を受験したところ、定員五十人のところに五十一人の応募があり、よほどのことがない限り大丈夫だとたかをくくっていたら水木一人だけが不合格になってしまうのである。それもおそらくは面接で「満蒙開拓義勇軍」に入ってお国のために働く(そういう時代だった)といわず、将来は画家になりたいと正直に言ってしまったために。不合格とわかった後、やっぱり義勇軍に入ると言えばよかったかなとさすがの水木も反省するのだが、「ばか、そんなことをいって本当に行かされることになったらどうするんだ」と逆に父上に叱られるのである。非常時だというのに、愛国精神ゼロ。いい話だ。

当然そんな水木が徴兵されて南方戦線に送られてもまともな兵役につけるわけがなく、当然のように落第兵となる。敵機爆撃により左腕を失ったり、マラリアにやられたり、というような危機はあったものの、なぜかサイパン島の原住民と家族のように親しくなって養われ、敗戦後には何万人という兵士の中で一人だけ、現地除隊して島に残ると言い出す始末。

親切な軍医の勧めで帰国はしたものの、そこからの貧乏生活がすさまじい。二十万円の頭金でアパートを買い取って家主を始めたもののうまくいかず(当初、不動産屋の仲介も頼んでなかったらしいから当然だ)、紙芝居の絵描きを始めればテレビの普及のために紙芝居が絶滅し、貸本漫画に転じればすでに週刊誌の時代となっていて同じくジリ貧生活が待っている。そんな金運に見放されたような生活が綴られているのが後半部なのである。

しかしそんな厳しい生活を送りながらも雰囲気が陰惨にならないのは、この世界が水木にはまったく違ったように見えるからだろう。水木の目にこの世ならぬもの(妖怪)が見えることは有名だが、どうやら実在の人間も水木には妖怪のように見える場合があるようだ。例えば紙芝居屋の社長は「ドクロのような顔を」した「マントの下は褌一丁の丸裸」という怪人だし、水木のアパートに住みついた店子はなぜかチビの一群。しかも初めは一人だったのが次々に増殖し「部屋にはベッドが一つしかなかったが、そのベッドの上に数人、ベッドの下に数人、さらに、天井裏にまで数人、というふうにして寝ているようだった」とさながら小妖怪のような描かれようなのである。

水木の自伝としては最近『生まれたときから妖怪だった』(講談社)も出たが、こちらを推す。というのも、この本の親本であるポプラ社版が一九七八年に刊行されたとき、同書は全国学校優良図書に指定されていたのである。こんな「不勉強のすすめ」みたいな本をよく指定したものだと思うが、諸悪の根源みたいに言われる「ゆとり教育」もたまにはいいことをするのだ。親が読んだ後は、子供に払い下げて読ませるのが望ましい。もしかすると水木のように朝寝坊ばかりする子供になってしまうかもしれないけど、それはそれでいいではないですか。

そんなわけで今月は文庫にばかり感心していたのだが、上下二巻という分厚い本でもおもしろければ買うのである。高橋克彦『ゴッホ殺人事件』だ。講談社「IN★POCKET」に足かけ四年にわたり連載されていた長篇ミステリーである。

高橋といえば乱歩賞受賞の『写楽殺人事件』に始まり『北斎』(日本推理作家協会賞受賞)『広重』と続く浮世絵シリーズがあまりにも有名だが、本書もその系譜に連なる作品である。『写楽』の主人公津田良平から探偵役を引き継いだ塔馬双太郎も登場するし、一幅の絵の描写から始まるプロローグからしてシリーズのスタイルを継承している。そして内容は相変わらずの素晴らしさなのである。

冒頭は謎に彩られている。モサドが追っていた日系人らしき男がスイスで怪死し、男の館に送られていたはずの荷物が紛失する。日本ではある老婦人が自殺と思われる死を遂げ、遺品の中から貸金庫の鍵が発見されるのである。老婦人の娘で、今はフランスで美術品修復家を営んでいる加納由梨子は、その貸金庫の中から出てきたドイツ語の文書を受け取る。パリのオルセー美術館で学芸員として働く彼女の友人は、その文書をゴッホの未発見の作品リストではないかと指摘し、驚くべき推理を展開し始めるのだ。

実在の画家の生涯に切りこみ、これまで誰も疑おうとしなかった部の問題提起からまったく異なった視点を導き出すという手法はこれまでと変わらない。今回テーマとして取り上げられるのはゴッホの死の真相。作中の学芸員が組み上げる仮説はそれだけで一読の価値あるものなのだが、さらにもう一ひねりがある。ゴッホの死に関する推理が中心となる前半を静とするなら、後半はアクションの連続で描かれる動の部分なのだが、それとて単純に事実を重ねていくだけの書き方ではない。周到に準備された伏線を利用してのどんでん返しが待ちうけているのである。私は『広重殺人事件』の切り返しを連想した。見事なツイストである。

浮世絵シリーズの特徴は全体が壮大な騙し絵のようになっていることであり、ある一点が覆されたとき、光陰のすべてが反転するかのような鮮やかな構成が特長である。一種の詐欺小説のような味わいさえもあったのである。今回の作品もその期待を裏切るものではない。作品の分量は格段に増えているが(なにしろ連載四年分だ)、少しも冗長な感じがない。それでいて圧迫感もなく、実に読みやすい娯楽小説となっているのだ。

怪しげな超科学者を礼賛した本など、高橋には首肯しかねる著作もあるのだが、小説としてこれだけのものを提供されては、諸手を挙げて誉める以外手はない。文庫になるのを悠長に待たず、読まなければならない本である。

(初出:「問題小説」2002年9月号)

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