小説の問題vol.51 「わがままな私がおもしろい」内田百閒『百鬼園随筆』『続百鬼園随筆』・逢坂剛『アリゾナ無宿』

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百鬼園随筆 (新潮文庫)続百鬼園随筆 (新潮文庫)

アリゾナ無宿 (中公文庫)

※百閒の名前が正しく表示されない場合、二字目は門に月である。

「浅草キッドのコラムを読むためだけのために『週刊アサヒ芸能』を買っている」とは作家にして名コラムニストの小林信彦の言だが、その浅草キッドの東京スポーツ連載コラム「捨て看板ニュース」が『発掘!』(ロッキン・オン)として刊行された。何しろ新聞連載に加筆収載したものだから情報量が多くて眩暈がしてくるが、世紀末の一時に日本人が繰り広げていた愚行を記録するいい資料にもなっている。コラムはかくあるべし。

良質のコラムをもう一冊。日垣隆『敢闘言』(文春文庫)は九三年から九九年にかけて「エコノミスト」誌にて連載された名コラムである(二〇〇二年連載再開。なお、日垣は二〇〇〇年に『産経新聞』夕刊の「遮断機」執筆者の一人となり、最終回まで執筆を続けた。その連載原稿も文庫版には収録されている)。名コラムの条件は、「筆者と社会との位置関係が明示されていること」「社会への影響力が可視的であること」「先見性があること」の三点だが、本書は十分にこの条件を満たしている。日垣は「欧米ではコラムニストとは取材を踏まえた社会派評論を書く人のことである」と明言するが、外=社会へ向けられた観察眼の確かさこそがコラムの真髄である。逆に、内=自己へと向けられた省察がエッセイの本質だが、この二つを混同した読物は実に多く、その大半が呆れるほど詰まらない。

私が『百鬼園随筆』『続百鬼園随筆』の文庫再刊を心待ちにしていたのは、本当におもしろいエッセイに飢えていたからである。ご存知の通りこれは『冥途』『旅順入城式』で知られる内田百閒の第一、第二随筆集である。

この二冊のどこから読み始めてもたまらなくおもしろい。例えば漱石の息子・純一の洋行を見送った顛末を描く「見送り」を見てほしい。あるいは、ユーモアの本質はなんたるかを指し示すような「フロックコート」。百閒といえば、貧乏と借金生活でも有名だったが、「貧乏五色揚」と題された五編の作品などは、この種の文章の中でも白眉と言っていいものだろう。貧乏に対する省察の果てに貧乏こそが物象の安定状態であるという、熱力学の第二法則のような結論にたどりつく「無恒債者無恒心」は、世に棲む者を安心せしめる不思議な説得力に満ちているし、高利貸しを主人公として書かれた短編小説「債鬼」はどこの時代の小説として置かれても通用する力強さを持っている。青木雄二『ナニワ金融道』(講談社)よりもこっちの方が六十年は早いのである(以上はすべて『百鬼園随筆』)。

一八八九年生まれの内田は漱石門下の異端児であり、陸軍士官学校、海軍機関学校、法政大学のドイツ語教授を歴任して一九三四年に職を辞して文筆家専業となった。本書の親本はその前年十月(正)と三四年五月(続)にそれぞれ刊行された。教授時代の逸話が綴られているのはもちろんだが、「続」では十代から二十代にかけての文章も収録されており、知らずに読むと驚く。「文章世界入選文」七篇が、わずか十七歳の時の作品というのは信じ難いものだ。それぞれの文章の結句は、すでに文体として完成している。

百閒が教授職を辞したのは法政大学内に紛争があり、教授陣が大挙して辞表を提出した事件のためだが、その顛末を書いた「大学騒動記」でも、百閒が言及する内容は己の身辺のことのみに限られている。その立ち位置は、新橋駅の駅員に不正乗車を疑われる「立腹帖」、意味もなく学生に殴られて憤激する「続立腹帖」とまったく同じである。作者はどこまでも率直な自分を貫く人であった。

日垣隆の言うように、コラムニストの生き方とは公憤を私憤に変える方法論で生きることであり、その逆で私憤を公憤であるかのように糊塗する人を偽善者と呼ぶ。しかし百閒はいかなる公憤とも無関係に、私憤を私憤として著す人であった。どこまでも私という視座にこだわる生き方の姿勢こそが百閒の文章の魅力である。「続百鬼園随筆」には百閒が友の死を悼んだ文章が二編収載されているが、その内の「鶏蘇仏」では、堀野という友人の死が一度も読者の方に渡されることがなく(すなわち故人を社会の位置関係の中に同定することがなく)ひたすら百閒の思いのみが吐露される。この美しさ。追悼の文章というのは難しいものであるが、読む端から百閒の言葉が露となって滴るのを感じられるような名文であった。

ところで追悼といえば、先年亡くなられた評論家・瀬戸川猛資氏のことを思い出す。エンターテインメントの世界に通暁した氏は西部劇映画の熱烈な愛好者であった。氏の没後、逢坂剛と川本三郎というこれも熱狂的な西部劇愛好者の両名が『大いなる西部劇』(新書館)という対談集を発表したが、その巻頭には「瀬戸川猛資さんに捧ぐ」との献辞があったのである。献辞には意味のないものも多いが、この本に関してはこの献辞がなくてはそれこそ画竜点睛を欠く。

その逢坂剛は、今ではまったく廃れてしまった西部劇の魅力を説いて止まない作家である。逢坂には、『青春の日だまり』(講談社)というエッセイ集があり、その中に画家で西部劇研究家の津神久三と、同じく西部劇ファンの評論家・増渕健との交友に触れた一節がある。増渕氏も九六年に鬼籍に入ってしまったが、逢坂と二人の出会いがもたらしたとしか思われない小説が後に上梓された。二〇〇〇年から二〇〇一年にかけて「小説新潮」上に連載され、今年単行本化された『アリゾナ無宿』である。この挿画を担当したのは、他ならぬ津神である。おそらく逢坂の中には西部劇を愛してやまない心と、廃れゆくこのジャンルを愛しつつ去っていった同好の士を悼む思いがある。その、この上ない<わたくしごごろ>が本書誕生の要因なのである。こんな極私的で我侭な物語がつまらないはずはない。

一八七五年の夏、アリゾナ準州の町ベンスンから物語は始まる。あと二ヶ月で十七歳になる少女・ジェニファは、養い親のラクスマンに連れられて町を訪れ、不思議な男二人の喧嘩の場面に遭遇する。ならず者を退治した二人は正当防衛の裁判にかかることになるが、ジェニファも証人として出廷するのである。彼らの一人は早撃ちの賞金稼ぎトム・B・ストーン。続けて読めばトゥームストン(墓石)となる名前は偽名に違いなく、なかなか本音を見せないしたたかな人物である。もう一人は背中に刀を下げた男・サグワロ(サボテン)。彼はアメリカ行きの船の中で意識を取り戻す前の記憶を失っており、喋る言語と抜刀の腕から己が日本人だろうと推測するのみなのである。やがてジェニファは二人とともにアリゾナの荒野を旅することになる。

本書の題名は映画「テキサス無宿」(三〇)のもじりである。先の『大いなる西部劇』を読めば、西部劇を知らない世代の読者でも残り香くらいは嗅ぐことができるはずで、その上で本書を読めばまた趣き深い。例えばガンアクションに対するこだわりは西部劇の肝であるが、本書でジェニファがストーンからコルトSAAの扱いを教わる場面などを読めば、作者がそこにいかに配慮しているかがよくわかる。また、西部劇では影の薄い存在であったヒロインをあえてクローズアップした点や、インディアン(アメリカ先住民族とは呼ばない時代の物語である)を無批判に悪役として描かない点など、現代の小説として通用するよう注意が払われている。あわよくば西部劇ファンを一気に拡大し、復興の烽火を上げんとする作者の意欲が伝わってくるではないか。

西部劇俳優には造形の深い作者のことだから、登場人物たちにもモデルがあるのではないかと思うが、勉強不足のため判らなかった。だが、謎の日本人サグワロのモデルだけはちょっと自信がある。

栗塚旭ではないか。状況証拠はある。サグワロが一八六九年の秋にハコダテの港を出た船に乗ってアメリカに着いたと語っていること。ハコダテといえば? そして粟津旭の当たり役といえば?

解答を明示することは、これから読む方の興を殺ぐことになりかねないので、口をつぐもう。続編を書くかもしれない作者の意欲を殺いでしまってももったいないし。もし推理が的中していたら、作者は景品としてこっそり「逢坂剛秘蔵ビデオ貸出券」を発行頂きたい。それを貰って、私も旧い西部劇を楽しむのである。

(初出:「問題小説」2002年6月号)

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