小説の問題vol.12 沢木冬吾『愛こそすべて、と愚か者は言った』

Share

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存

愛こそすべて、と愚か者は言った (角川文庫)

宮部みゆきや高村薫といった実力作家を輩出した日本推理サスペンス大賞が新潮ミステリー倶楽部賞と改まってから三回目の同賞では、受賞作の他に審査員特別賞が二作出て、合計三作が刊行の運びになった。この審査員特別賞というのは受賞を逸した候補作を審査員の権限によって出版するものであり、選ばれた作品に審査員の理想が反映されていて興味深い。

今回、私が最も買うのは高見浩特別賞を受けた沢木冬吾の『愛こそすべて、と愚か者は言った』であるが、一応その他の二作の寸評をまず書いておきたい。まず受賞作の戸梶圭太『闇の楽園』は、ある地方都市を舞台とした事件の顛末を描いていながら、謎解き趣味が薄く、どちらかといえば作者が絵解きをしていく過程を楽しむ作品である。先行きが読めない展開で読者を誘導する手法が秀逸であり、その代償として強引な展開のあらが目立つ点と、善悪の別が明白な人物ばかりが登場する点がやや気にはなるが、娯楽小説としては十分水準作。また島田荘司特別賞の『紫の悪魔』は、魅力的な謎を合理的に解決するという本格ミステリーの常道に則った、非常に均整のとれた作品だ。難を言えば、理知的な解析の部分と物語を牽引する人間ドラマの部分が乖離しているため、結末で若干無理をしているという弱点があるのだが、以降克服しうる課題と思われる。

で、『愛こそ~』である。舞台となるのは東北地方の架空都市、海斗市。そこに住む慶太という少年が誘拐され、犯人は私立探偵の久瀬という男を交渉役に指定してくる。一見おかしな人選のように見えたが、実は慶太は久瀬が離婚した妻との間に設けた子供だった、という裏の事情があった。折衝に望む久瀬だが、アクシデントによって犯人の一人が死亡し、慶太は無事救出される。ところが同時に慶太の母親と内縁の夫が行方をくらますという事態が発生し、単純な営利誘拐に見えた事件はまったく別の様相を示していく……。

まず始めに苦言を呈すると、とにかく「ごちゃごちゃした」作品である。様々な思惑を持った登場人物が現れるが、交通整理が困難なほどの混戦ぶり。これは他の二作にも共通した課題だが、作者の意図するミスリードならともかく、登場人物が多すぎることにより意図せず読者を混乱させるのは小説にとって無駄である。そのため本作では本来物語の中心に据えられるべきテーマがぼやけてしまっている。母親が失踪したため、久瀬が慶太を引き取ることになるのが中盤の展開だが、一度は父親であることを放棄した久瀬と、幼い内から心に防壁を築いてしまった慶太が再び情を通わせて行く過程を中心に据えてほしかった。そこが残念だが、久瀬が無器用に、おずおずと父親としての情愛を示すようになっていく辺りの心情は、ある年齢以上の男性なら必ず身につまされるはずのものである。

ごちゃごちゃした人間関係のために損をしているが、架空都市を舞台にして探偵と警察、犯罪グループが三つ巴、四つ巴の攻防を繰り広げる展開は非常にスピーディーかつ斬新である。特に、物語が一定の方向に収斂し始める終盤は、ミステリーならではの醍醐味を味わえる緊迫度である。視点の位置は異なるが、ハメットの『赤い収穫』にも通ずる躍動的な物語運びは魅力である。その意味で高見浩が本作をエルモア・レナードに例えているのには納得だ。プロットもさることながら、歪んだ悪人の書き方が滅法うまい。

私立探偵小説なら『されど修羅ゆく君は』の打海文三がいる。少年と大人の交流を描く作家なら『花見川のハック』の稲見一良がいる。それらの先達には及ばないながらも、あえてこの作家の将来性を今は支持する。

(初出:「問題小説」1999年3月号)

Share

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存