芸人本書く派列伝returns vol.18 嬉野雅道『ぬかよろこび』ほか 

Share

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存

ぬかよろこび

あれはたぶん2011年ごろのことではないかと思う。

何の気なしにテレビを点けたら、画面に二台の原付バイクが映し出された。カメラは固定でその二台を追うだけだったが、音声は流れてきていて、どうやらバイクに乗っている二人か、もしくは画面には映っていない誰かとが会話をしているらしいことがわかった。誰が誰なのかはわからない。時折、地の底から響くような声で「うははははは」と笑う人と、「ミスター」と呼ばれている人がいるらしいという情報が数分の視聴で伝わってきた。

あ、これが「水曜どうでしょう」なのか、と画面済みのロゴを見て思った。

北海道テレビが制作しているローカル番組で、1990年代ぐらいから放送していて、大泉洋という東京でも顔をよく見るようになった俳優の出世作である。

そのくらいの知識はあったし、関わりのあった雑誌が大泉洋の所属するTEAM NACSの特集を組んだこともあったため、大泉洋が人気のある人なのだということも知っていた。しかし、それだけである。

私は基本的にテレビを観ないので、動いている大泉洋を見たのもかなり遅かった。「三枚目だけど、なぜか女性ファンが多いらしい」という情報だけが先に入っていたので、往年の堺正章みたいなものか、というような感じで人物を把握していた。何かのバラエティで観たのが初で、そこでの大泉洋は番組の企画に対して口を尖らせて文句を言う、駄々っ子のようなキャラクターだった。そういう役どころか、と理解したような気持ちになって、私はそのテレビを消した。以降、大泉洋についての情報を自分から仕入れようとはしなかった。

2017年になって、突然「水曜どうでしょう」を観たい欲が高まった。

きっかけはよく覚えていないのだが、気が付いたらMXで放送している「水曜どうでしょうClassic」を毎週欠かさずに観るようになっていた。本放送から20年以上経っているのに、不思議なことである。

以前の私同様、この番組についての知識が無い方もいらっしゃると思うので、簡単に書いておこう。レギュラー番組としての「水曜どうでしょう」が放送されていた時期は1996年から2002年までの約6年間である。そこで一旦終了したが、以降も不定期に復活し、数週間の特別番組として放送されている。最近のものは2013年の「初めてのアフリカ」だが、最近になって新作が撮影された(されている)という噂もあり、遅くとも2018年までには放送されるはずである(注:されなかった。予告が公式で出たので2019年には放送されると思う)。

もともと2クール程度の穴埋めで期待されずに始まった深夜番組であり、北海道テレビのディレクターだった藤村忠寿、嬉野雅道が、ローカルタレントとして活動していた鈴井貴之と、まだ大学生で劇団活動をしていた大泉洋の2人を出演者として起用して始まった。鈴井は自らがタレントであると同時に芸能プロダクションの社長でもあり、大泉洋をはじめとするTEAM NACSの構成員も後にそこに所属することになる。鈴井はまた「水曜どうでしょう」の企画も担当しており、逆に言えば大泉を除く3人で番組の内容は決められていたわけである。何も知らない大泉を無理矢理ロケに引っ張りだし、そのリアクションを笑いの種にする、というのが「水曜どうでしょう」最初の旅企画「サイコロの旅」だった。その、3人のディレクター及び企画者対何も知らない出演者の大泉という構図は現在に至るも継承されている。

こう書いて気が付いたのだが、「何も知らない無名のタレントにどっきりを仕掛ける」という図式に見える。1990年代懐かしの「電波少年」への類似を感じさせ、それで私は興味を失ったというおぼろげな記憶がある。亜流であればわざわざ観る必要はないということだ。

だが、実際に見る「水曜どうでしょう」の雰囲気は違っている。たしかに最初の「サイコロの旅」や類似の「闘痔の旅」「サイコロ韓国 韓国食い道楽の旅」くらいまでの企画には疲弊するタレントを笑う「電波少年」的な空気が漂っているのだが、疲弊していると思われるのは同行する藤村・嬉野(カメラ担当)の両ディレクターも同様であり、タレントいじめというよりも、「やめとけばいいようなことをわざわざやっている変な大人たちの観察記」という印象のほうが強い。しかもそこに、若いころの貧乏旅行を見ているような、不思議な親近感を覚えてしまうのである。自分もそこにいるような錯覚を覚える瞬間がある。

この感覚については、ディレクターの1人である嬉野が2017年に上梓した著書『ぬかよろこび』(角川書店)にも書かれている。制作順に観ていって私が「なにかが違う」と感じたあたり、すなわち北海道の全市町村をランダムに訪問する「212市町村カントリーサインの旅1」、EU加盟国をレンタカーでまわる「ヨーロッパ21ヵ国完全制覇の旅」、「212市町村カントリーサインの旅2」という1997年頃に撮影された作品を嬉野自身が見返していて、発見があったというのである。

ロケ当時から16年が経ち、知人に指摘されてその三作品を見直して、私は、画面の中から溢れてくる幸福感を目の当たりにしたのです。私は番組の当事者でありながら感動したのです。

「この人たちって、なんて楽しそうなんだろう」

「この人たちと友だちになりたいなぁ」

と、心の底から思ってしまったのです。

そう思った瞬間、間違いなく私はテレビの中の彼らに心を開いてしまったのだと思います。心を開いてしまう。大事なのは見る者をこの気持ちにもっていくことだと、そのとき思えたのです。

嬉野には藤村とのコンビによる著作がいくつかある。そのうちの一つが『腹を割って話した』『腹を割って話した(未知との遭遇)』だ。後者の中に興味深いくだりがあった。第1回のロケである「サイコロの旅」の始めから、嬉野が「水曜どうでしょう」という作品を気に入り始めていた、と語っているのである。

嬉野 おれが最初に「この番組いいな」と思ったところは人間関係なんだよね。あんたと大泉洋と鈴井さんと、4人で旅をして、最初は世間を知らないから、JRの席の、昔ながらの硬い向かい合わせの4人席に仲良く座ってるんだよ。他にいくらでも席が空いているのに。おれはあの雰囲気にちょっとさ、ほれたんだよね。(中略)普通、世慣れした大人なら、「ちょっと向こう空いてるから」ってバラけるもんなんだ。それなのに、いっぱい空いてるのに、几帳面に4人掛けにいるんだよ。「この雰囲気はいいなあ……」と思ったんだ。

「水曜どうでしょう」の企画をいくつか見ていると、同じような場面に遭遇することがある。たとえば前出の「ヨーロッパ21ヵ国完全制覇の旅」では、終盤になって宿がとれず、4人が車中で仮眠をとる。4人で宿がとれないならタレントだけ、もしくはタレントをいじめることが番組の主眼ならディレクター陣だけでもホテルに泊まればいいのに、あえて4人で行動を共にするのである。番組は2000年から2001年にかけて鈴井の映画撮影のために半年以上休止したが、その後の再開第一作である「リヤカーで喜界島一周」では、団結の輪を作ると称して徒歩旅行に挑んだ4人が、これまたよせばいいのに狭苦しい1つのテントに宿泊している。ちなみに旅行に出発する前に泊まった羽田のホテルでも、ツインにエクストラベッドを無理やり入れたような部屋に4人で寝ているのだ。

この、とことんつき合う感じ。

4人で行動をするのだから4人で泊まるのだという有無を言わせないやり方。

それこそが私の心を捉えたものの正体なのではないかと思う。

飛躍するようだが、私はどうしてもそこで落語を連想してしまう。たとえば神奈川宿を舞台にした「宿屋の仇討」。これは西の旅から帰って来た江戸っ子三人組が周りの迷惑をよそに宿ではしゃぎ、隣室の侍からお灸を据えられるという噺である。ここでの江戸っ子は宿屋の人間に対しても「こちらは始終三人だよ」と言って「四十三人」と勘違いさせ、寝るとなれば川の字ではなく枕を寄せた車座に布団を引けと行って、いつまでも駄弁り続ける。「錦の袈裟」のような寄り合いを描いた噺では、吉原に遊びに行くとなれば、町内の若い衆が揃って繰り出そうとする。その中に与太郎のような痴れ者がいても「同じ仲間なんだから」と除け者にはせずに連れていこうとする。とにかく付き合いがいいのである。同じ場所で一緒に時間を過ごすことを何よりの楽しみとするような姿勢が貫かれているのが、東京落語の美点の一つだ。

大泉洋という人について、私は著書『大泉エッセイ』(角川文庫)に書かれた以上のことは何も知らないのだが、その中にたびたび落語好きをほのめかす個所がある。決してマニア的に踏み込むわけではないのだが、日常的に落語を聴いているような人の口ぶりである。

『腹を割って話した』の中で、こんなくだりがある。2011年の「原付日本列島制覇」で初めて嬉野以外のカメラマンが撮影を担当することになり、大泉が与えたアドバイスについてのものだ。

藤村 そうすると大泉が彼(カメラマン)に、「『どうでしょう』は、基本つまらないから」と言うわけだ。(中略)「長い時間があるんだから、つまらないのは当たり前なんだとまず思ってください」と。「でもおもしろい瞬間があります」と。「そのときにあわててカメラがビッと寄っちゃダメです」「釣りとおんなじで、アタリが来た瞬間にあわてたら魚は釣れません」と。

この感じも、落語という表現に関するものと読み替えることができる。落語という芸能は、テレビの放送に向かないと長く言われ続けてきた。演者は高座の中央にただ座っているだけであり、映像的には変化が少ない。だからといっていたずらにズームを使用すると、それはそれで問題が起きる。落語は演者を通じて観客が自由に想像を行っていい芸能だからだ。また、演者には自分の身体を使った演技プランもある。ズームを使うことによってミスリードが行われ、その想像が妨げられる可能性が生じてしまうのである。この問題に対し、むしろ積極的にカメラの切り替えを行い、登場人物ごと、シーンごとの演出を行ったのが立川談志だが、通常の演芸番組ではそこまで意図的なカット割りが行われることは少ない。上記の弊害を理解しているからだ。

「水曜どうでしょう」のカメラワークについては『大泉エッセイ』の中で「カメラが演者を撮らない」という画期的な技法が用いられているという記述がある。大泉なり鈴井なりが話しているとき、嬉野のカメラは車窓の外を捉え続けていることがあるのだ。大泉洋自身の分析によればそれには「演者が移らないことによって視聴者の想像が膨らむ」「カメラが自分に向かないことで演者が気負わなくて済む」「演者が移らないことでその間に繰り広げられるトークが、本編ではなく本来映るべき物ではない、裏話的に聞こえる」という効用があるという。先述した、自分がそこにいるかのような臨場感や、仲間意識は、そうした視点操作から導かれているというわけだ。

『腹を割って話した』の嬉野も、自らのカメラワークについて次のように語っている。

嬉野 枠の中でなんか動いてるっているのが、客観的に観察しているかんじに見える。定点カメラだとそのおもしろさが出せるんですよ。

メインディレクターである藤村の演出も、これに沿ったものだ。藤村の著書『けもの道』(角川文庫)の記述を何箇所か引用してみたい。

僕は一発ギャグみたいなものでは笑えない。

一瞬でひとを笑わせるなんて、そもそもできないと思っているから。笑ったとしても、それは反射神経的なもので、腹の底から笑ったものではないだろうと。

本気で笑うとすれば、そこには、まず「状況」が必要だろうと。逆に、「状況」があれば、それが些細なことであっても、腹をかかえるほど笑うことができる。

視聴者は結局、アタマから見る。そのとき、終わりはまだ見えない。見えないから、次も見る。そこにあるのは、「状況の連続」だ。終わりがない。だから、次も見てくれる。なんか、そこがいちばん、ひとになにかを見せる場合のキモじゃないかと思う。

一瞬の励起のような形で提供される「ギャグ」ではなく「シークエンス」で作品を考えているということだ。シークエンスが視聴者の脳内にストーリーを生み出していく。それを可能とする状況をいかに自然に提供するかにあの番組は徹しており、状況以外の部品は排除可能な夾雑物にすぎない。藤村は「水曜どうでしょう」のDVD版を編集する際、「サイコロを振って次に行く場所と手段を決める」という「サイコロの旅」のお約束場面を無駄と感じ、なんとか削除できないかと考えたという。そうした仕掛けの部分をすべて無駄と考えるのは、「水曜どうでしょう」の制作思想が現在では「電波少年」とは完全に逆方向だということだ。藤村はまた、この番組が視聴者に受け入れられている要因の一つは「なんやかんや言いながらも、あのひとたちはどっかで、笑ってすませるんだろうなと。そう思うと、なんか、安心して見ていられるというか」という日常に回帰する部分にあるのだと分析している。

何が起きても特別な出来事にならず、必ず元に戻る。日常は弾力に満ちており、そこに暮らす者を包み込もうとしてくる。そうした「非日常を圧倒する日常」が、かの番組の制作者・出演者に共有されているというのが私には非常に興味深く感じられるのである。その面の厚さ、呑気さ、でたらめさ、微笑ましさ、雑さ、普段使いの器のような手になじむ心地よさの総称が、おそらくは「水曜どうでしょう」という番組の中核にあるものなのだろう。

そりゃまあ、私は観たら好きになるわ。

ちなみに私と藤田香織さんの共著『東海道でしょう』(幻冬舎文庫)の題名は、お察しのとおり「水曜どうでしょう」からとられている。だがこの本が出た当時、私はまだ「水曜どうでしょう」に無関心だった。命名者である藤田さんは、気が合うでもなくなんとなく旅をしているライター二人(と編集者)がぶつぶつ言いながらも一緒に旅をしている状況を「水曜どうでしょう」に見立ててくださったのだと察するが、まったくそれには思い至らず、「変なタイトルだなあ」と私はひそかに思っていました。ごめん、藤田さん。いいタイトルをつけてくれてありがとう。

東海道でしょう! (幻冬舎文庫)

Share

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存