幽の書評vol.23 小野不由美『営繕かるかや怪奇譚』・藤谷治『茅原家の兄妹』・大河内常平『九十九本の妖刀』

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営繕かるかや怪異譚 (角川文庫)

理に合わないものを理の中に回収せんとする欲求を人間は持っている。怪を文章にして表す行為はその典型だ。それゆえ怪談小説には、不合理であった元の対象物をどの程度不合理なままに残しておけるか、という問題が常に付随する。小野不由美『営繕かるかや怪異譚』は、その理想形の一つを実践した作品といえるだろう。

〈家〉で起きた六つの異変を描く連作集である。最初の「奥庭より」では、叔母の遺した家に移り住んだ主人公が、箪笥で塞がれていた部屋を開いてしまい、そこから出てくるものに脅かされるようになる。営繕かるかやとはそうした事件が起きるたびに顔を出し、家の補修をしていく男、尾端の名乗っている屋号である。家に手を入れるという具体的な行為が、この連作では不合理なものを理の中に回収する装置として使われているのだ。豊富な建築知識を持つ作者らしく、細部のディテールが詳細に描かれている点も魅力的だ。

同じように〈家〉を対象として見せるのが藤谷治『茅原家の兄妹』である。手記小説の形をとっており、茅原恭仁・睦美という兄妹が小説の中心人物となる。手記の語り手である〈私〉は、大学時代に恭仁と知り合った。高踏的で周囲からは浮き上がった生き方をしていた恭仁に招かれて邸を訪れた〈私〉は、彼が浮き世離れした資産家の子息であることを知る。そして、恭仁の妹である睦美に魅了されるのである。十数年の時が過ぎた後で再び兄妹と再会した〈私〉は、彼らがすっかり没落して山奥に隠棲していることを知る。何か忌まわしい事件が起きたのである。睦美は精神を病み、正体不明の何かに怯えていた。

現在の茅原兄妹が暮らしている屋敷の描写を眼にしたとき、読者はひとく落ち着かない気持ちにさせられるはずだ。ひどく歪だからである。その不安な心情はやはり最後になって回収されるのだが、藤谷が見せる一手は小野のそれとはまったく別種のものであり、読後にたまらない余韻を残す。読んだ人を落ち着かない気持ちにさせる罪な一冊なのだ。

評論家・日下三蔵が知られざる名作を紹介する〈ミステリ珍本全集〉から大河内常平『九十九本の妖刀』が出た。山で女性が攫われ、陰部が惨たらしく焼かれた遺体となって発見されるという事件から幕を開ける怪奇小説で、女性を火炙りにする邪教淫祠の存在がほのめかされるなど、のっけから非常にセンセーショナルなのだが、神社から発見された多数の日本刀が重要な小道具として用いられる。刀剣研究家であった作者の知識が遺憾なく発揮されているのである。ゲーム「刀剣乱舞」の影響で女性ファンの間に今刀剣ブームが到来しているが、果たしてその心を掴むことはできるだろうか。

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