幽の書評vol.21 京極夏彦『書楼弔堂 破暁』

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文庫版 書楼弔堂 破曉 (集英社文庫)

見えないものを人は語ることができるのか

病の療養という名目で勤めを辞め、高遠は廃れ者のように無為な暮らしを送っていた。そんなある日、彼は奇妙な本屋の噂を聞き、足を踏み入れることになる。明治の御世ではもはや見掛けることもなくなった街燈台の如き、極めて風変わりな外観の店である。新参の客を迎えた小童は、書楼弔堂であると店の名を告げた。店の主は、本は墓のようなものなのだ、と説く。現世の事共はすべて移ろいゆき、滅ぶ。それをこの世に留めたものが本なのだと。そのように、書楼弔堂には本という形で遺された無数の墓碑があった。訪れる客たちの中には、自分だけの墓碑を求め、そこから自分にとっての現世の意味を読み取ろうする者がいる。そうした者たちのためにこの店はあるのだった。

京極夏彦『書楼弔堂 破暁』は全六篇から成る連作短編集だ。この風変わりな書肆を訊ねてくる客は皆過去の荷物を背負っている。本という媒介物を通じてその因縁が語られるのである。第一話で晩年の三遊亭圓朝に関する逸話が引かれているが、本書は言文一致体が文章の主流となりつつあった変革期の物語でもある。それは、語られるものと語られえぬものとの間に明確な境界が設けられ、「怪」が不可視の領域に追いやられる過程を描くことにも通じる(『後巷説百物語』と表裏一体の作品でもある)。文章という表現は、人間を視覚の僕にするものでもある。見えないものは語れないのだ。本という題材を使って見えないものを語るという芸当は困難であるが、そこに挑戦し、見事に成し遂げた一冊だ。

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