芸人本書く派列伝returns vol.2 瀧口雅仁『落語の達人』

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落語の達人: この噺家を忘れてはいけない!

前回はやや個人史めいたことに触れ、その流れで石井徹也編『十代目金原亭馬生 噺と酒と江戸の粋』(小学館)を採り上げた。先代の馬生は、1968年生まれの私にとって「一足違いで間に合わなかった」落語家である。十代目の生の高座に間に合っていないという事実が、私の中では一つの節目になっているのだ。音源やビデオだけで知る馬生はなんとも気持ちのいい芸の持ち主であり、出会い損ねたということが残念でならない。もっとも、当時13かそこらの子供が馬生を聴いたとしても、その真価は到底わからなかったとは思うのだが。

さて、同書には編者である石井徹也と寺脇研による「三十年前の談志師匠の高座」と題された対談が収載されている。十代馬生が亡くなったその日、池袋演芸場の夜の部主任が談志であり、彼が「落語」をやることを拒否して高座を降りた、という逸話は前回も紹介した。そのときに客席にいたのが当時日本大学の学生だった柳家喬太郎であり、同書編者の石井であり、寺脇研だったのだ。寺脇は元文部科学省の官僚だが、映画・演芸の見巧者として早くから評論家としても活躍してきた人だ。

この連載のために対談を読み返していて、以下のくだりに私の眼は引き寄せられた。石井・寺脇の両者が馬生の訃報を聞いた日の高座について語っている個所である。少し長くなるが、引用する。

石井 「昔ながらの落語家らしい落語家がこの人で終わってしまった」ということ。「何になろうとするのでもなかった人」がね。そういうヴァリエーションが最近の考え方では消えてしまう。

寺脇 「落語」がつまんなくなっちゃう。スポットで追いかけるようなものじゃないんだよ。本来は面で楽しむもの。せめて線で楽しむものでしょ。

石井 最先端から古典、アナクロまで一緒にあるウェストエンドの楽しさみたいなもので、自分なりの楽しみ方が出来る。マンハッタンには流行物しかないから飽きちゃう。かつての「ヤッピー文化」のつまらなさというかさ。(中略)

寺脇 馬生師匠が亡くなったのが五十七年。バブルが始まろうとしている時期からバブル期に入って、「金さえあれば何やってもいいんだ」みたいな風潮が出た。その意味で、談志師匠は馬生師匠が亡くなったことに何かを予感したのかもしれない。「ああいう人がいなくなる、っていうのは一寸マズイことが起こるんじゃないか」と。

「本来は面で楽しむもの。せめて線で楽しむもの」という指摘は、実際に演芸場に足を運んできた人の言葉である。故・色川武大が著書でくり返し「寄席はつまらない場所」と言い続けてきたことにこれはつながる。「つまらない」というのは特筆すべき何かが起きる場所ではない、ということで「おもしろくない」という意味ではないはずだ。このへんの呼吸を演者の側から言い換えたのが「寄席はチームプレイ」という桃月庵白酒の言葉になるのだと思う。誰かが突出して目立つのではなく、出演者全員で盛り上げ、来てくれた人をもてなして帰す、誰か一人が目立って客を疲れさせるなどもってのほか、という信念がそこには見える。

ここで急いで念を押しておくが、こうした見方はあくまで寄席通いの楽しみを知った人のもので、木戸をくぐったこともない初心者に対しては別のアプローチが必要なのである。『この落語家を聴け!』(集英社文庫)他の著作物で旬の芸人を薦める活動を続けている広瀬和生のような著述家は当然必要である。彼の文章を読んで初めて落語に関心を持ったという人は多いはずだ。広瀬は基本的に自身をレビュワーであると割り切っている節があり、新規の客が寄席に足を運ぶように仕向けるという明確な狙いを持って文章を書いている。本来の寄席の楽しみ方が「何も突飛なことが起きない日常」を味わいに行くことであるとは広瀬も承知しているはずで、だからこそ自著『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)において、現役で生の落語を聴き続けていない書き手は、落語評論家という看板を降ろすべきである、という主張をしているのだろう。

寄席は十年一日のように同じことが起こる場所である。しかし人間のやっていることだから、まったく同じというわけではなく、ハプニングが生じたり、演者が少しずつ変化したりする。日常観察によって発見したおもしろい出来事を採り上げた長井好弘『僕らは寄席で「お言葉」を見つけた』のような書は、寄席通いを始めたいと思っている人には格好の参考書となるはずだ(もっともこの本、東京かわら版新書というマイナーレーベルから出ており、ISBNコードもなくて一般書店では扱いがないため、広く読まれているとは言えないのが残念だ。気になった人は通販でお求めください)。

話題を石井・寺脇対談に戻すと、石井が馬生について「何になろうとするのでもなかった人」と表現している点にも蒙を啓かれた思いがする。

もちろん故人の意志は今さら知るよしもなく、本人が「何者かになろうとしていた」という可能性は否定しきれない。ただし馬生の実姉・美濃部美津子が著した『おしまいの噺』(アスペクト文庫)などを読んだ限りでは、父の名跡であった古今亭志ん生の六代目は弟である古今亭志ん朝(故人)に継がせる意図であったように書かれており、私欲を表に出すようなことを早くから自分に戒めていたような印象がある。もちろん他の落語家からしてみれば五代目志ん生の実子であるということ自体が「何者か」というブランドではあったはずだが、そうしたことも含めて身の丈以上の存在に自分を押し上げようという足掻きが馬生には見えない。ファンの勝手な思いとしては、そこにも潔さ、身奇麗さを感じるのである。

今回も新刊ではなくて少し旧い本の紹介になってしまう。瀧口雅仁『落語の達人』(彩流社)だ。「この噺家を忘れてはいけない」という副題だけ見ると、昔の名人を知っていることを自慢するだけの厭味な本に見えてしまうが、そうではない。全三章で採り上げられているのは、五代目柳家つばめ、三代目三遊亭右女助、二代目(異説あり)橘家文蔵の三名だ。ここに挙げられた落語家の名を知っている人、あるいは実際に聴いたことがある人は、もう相当な年齢の方のはずである。三人とも、すでに故人だ。

それぞれの人物が収載されているのには意味がある。たとえば五代目つばめは、立川談志とほぼ同時期に五代目柳家小さんに入門した。本名・木村栄二郎、一九二九年生まれで、國學院大學を卒業後の一年間は中学校教諭をしていたという、当時としては異例なほどの高学歴である。その名が知られているのは、時の首相である佐藤栄作を揶揄する内容の落語をテレビで放送したところ当の本人からクレームが来た、というエピソードがあるからだ。それ以外にも時事ネタを扱った新作を多く手がけ、当時は速記集も出ていたが、現在は稀購本になっている。また、音源やビデオのたぐいに触れられる機会も少ない。

おそらくは落語という演芸ジャンルに高い誇りを持っていたであろうつばめは、いかに高座が苦しくなろうとも「今」と切り結ばずにはいられなかった。瀧口は、以下のような談話を紹介している。

落語の場合、大衆というものを少し低く見過ぎているのじゃないか、という気がしましてね。今は大衆の方が進んじゃってるような気がするんですよ。それでボクは政治的なものとか、新しい実用落語みたいなもの、という行き方なんですけれでもね。(中略)そのぐらい進んでも今の大衆は大丈夫だと判断したわけなんです。(「週刊大衆」昭和四十四年八月二十八日号)

兄弟弟子である立川談志は、この発言の四年前に演者自身による画期的な落語評論である『現代落語論』(三一新書)を著し、自身の指標を「伝統を現代に」であると表明した。後に何度か看板は付け替えられることになるのだが、最後のそれが「江戸の風」であったことから考えると、落語という芸能の伝統をなんとかして現代に存続させたいという考えは生涯変わらなかったのではないかと思われる。そこへいくとつばめは大衆が落語の先を行っていると考え、現代に即した内容があるべきだと新作落語を選択した。しかしその方向性が正しかったか否かの答えを見ずに、つばめは一九七四年、四十五歳の若さで没してしまう。

瀧口は談志・つばめという同世代(年齢は社会人を経験しているつばめの方が十歳近く上である)の落語家を表裏一体の存在としてとらえ、二人の主張も形は違うもののそれほど異なるものではない、と断じている。「大衆」と共に瀧口がつばめの生涯に見出すキーワードは「恨み節」だ。自分は正しい。時代の行く先をよく見据えている。にもかかわらず、なぜ自分の落語はメジャーにならないのか。肝腎の大衆に受け入れられないのか。そうした自己矛盾の思いを瀧口はつばめという落語家に見出すのだ。現代における新作落語運動の父・三遊亭圓丈とつばめの間に直接の影響関係はないが、その理念は通底しているのではないか、とも指摘している。

落語という伝統にただ乗るだけではなく、乗り物自体を変えていこうとすること。その姿勢において談志とつばめには確かに共通点があったのだと思う。ではなぜつばめではなく談志が大衆に選ばれたのか。そのことについては答えを焦ることなく、もっと考えていかなければいけない。予見を述べるなら、石井徹也による馬生の「何になろうとするのでもなかった人」という指摘はこの問題についての良き補助線となるはずだ。

『落語の達人』については次回もう少し書きたいことがある。講釈のように続いてばかりで恐縮だが、どうかお許しを。

「芸人本書く派列伝」、まずは自分の中にある揺れのようなものを明らかにすることから始めたいと思っている。もやもやが出切ってしまうまで、しばらくお付き合いを願います。

本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く派列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。

「芸人本書く列伝」のバックナンバーはこちら。

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