街てくてく~古本屋と銭湯、ときどきビール 2019年1月・石巻「石ノ森萬画館」と仙台「昭文堂書店」

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石ノ森萬画館にて。いつの間にかおやっさんよりも年上になってしまったよ、猛。

「若林君、今から帰ると僕は二十三時くらいに家に着きますよ。君の場合は何時になるか教えてほしいかい」

「いいですよ。だいたい見当がつきますから。まあ、飲み過ぎて終電コースというところじゃないですか」

「だよねえ。ちなみにさ、それは昨日と同じで東北本線で帰った場合だよ。もし福島で常磐線に乗り換えたとするとだねえ」

「なんでわざわざ常磐線に乗り換えるんですか」

「決まってるだろう、土浦で下りてつちうら古書倶楽部に行くためだよ」

「本は買わないくせに」

「あ、駄目だ。土浦に着いた時点で二十一時を回っているからつちうら古書倶楽部は開いてない。今日はつちうら古書倶楽部には行けない」

「当たり前ですよ」

「いやしかし、ここから山形を回っていくという手もある。山形駅には名店・香澄堂書店があるぞ」

「駄目だ、この人は」

青春18きっぷ消化のために年下の同業者である若林踏氏と各駅停車を乗り継いで仙台までやってきた。巨大古本屋・萬葉堂書店に満足し、せり鍋に舌鼓を打った幸福な杜の都の一夜は明けたのである。

朝方降ったものか窓から見える路面にはうっすらと雪が積もっている。そんな中を出かけようとしているときに、若林氏が爆弾発言を口にした。

各駅停車にはもうこりごりだ。明日の予定もあるから自分は新幹線で帰る。

そんなことを突然言い出されても困るんだよ、若林君。

「突然じゃないでしょ。昨日飲んでいるときにちゃんと言いましたよ。僕は明日仕事の都合があって朝が早いから、悪いけど先に帰らせてもらいますって。杉江さん、上機嫌でわかったわかったって言ってたじゃないですか」

「え、言ってたっけ」

「言いましたよ。それで今日は、仙台市内の古本屋を回るよりは、せっかくだから仙石線で石巻まで行って、石ノ森萬画館を見ようって話まで決まってたじゃないですか。等身大フィギュアの横で僕がライダーポーズをとるから撮影してくれって。ライダー2号ファンとしては僕はそれで思い残すことはないと言ったら杉江さんが、どうして2号なんだ1号じゃないのか、って言い出して僕が、悪いけど1号は過大評価されすぎだと思う、って答えたら杉江さんが、若林君なあ、君にはわからないかもしれないがリアルタイムで観ていた世代としてはなあ、一文字ライダーでたしかに人気は確立されたかもしれないけど基礎を作ったのは本郷猛なんだからそのことを絶対忘れちゃいかんと同じ保育園のキムラ君と語り合った日のことを忘れられないのだ、とか言い出してそのまま夜中まで口論になったじゃないですか」

「だったかなあ」

「だったんですよっ」

というわけで1時間ちょっとかけて石巻までやってきて、石ノ森萬画館にやってきた我々なのであった。とりあえず駅で石ノ森キャラからお出迎えを受けて、さっそく記念写真を撮る。

■好きな石ノ森漫画は『番長惑星』

改めて説明するまでもないと思うが、石ノ森萬画館は故・石ノ森章太郎の功績を讃えるために、故人とゆかりの深い地に創設されたものだ。石ノ森の出身地は現在の宮城県登米市だが、萬画館が建てられた中瀬地域にあった映画館に、自転車で通ってきていた。シャッター商店街化した町を立て直すため、この地にマンガミュージアムを建てるという計画が石ノ森と当時の石巻市長との間で持ち上がったのである。

宇宙船をイメージしたという建物の中は、一階がミュージアムショップ、二階に常設と特別展の展示場があり、そこに行くまでの間にシアターがある。三階は漫画図書館になっており、そこだけならば入場料はかからない。つまり地元の小学生は、入場料200円を払わなくても三階に来て漫画を読み放題ということだ。いいなあ。

この日の特別展は萩尾望都特集であった。シアターは三つの番組が順繰りにかけられる方式になっており、行ったときにちょうど当たったのがアニメ「龍神沼」上映。おお、かつて『マンガ家入門』で技法を細かく分析してもらった作品、石ノ森章太郎の原点ともいえる名作である。

いつまでもいられる空間なのだが、何しろ本日中に東京まで戻らなくてはいけないので、後ろ髪を引かれる思いで外に出る。2012年に石巻に来たときは、石ノ森萬画館は一時休館中だった。3・11の東日本大地震被害の改修が終わっていなかったからだ。地震発生当時、館内にはお客さんがいた。即座に営業終了を決めてお客さんと職員は避難、その1時間後に津波が押し寄せてきたという。中瀬地域の建物はほとんど流されたが、奇跡的に萬画館だけは無事だった。

2012年にこの地にやってきたとき、街を臨む日和山に上がって津波の難を逃れたという人に案内してもらい、当時のことを教えていただいた。日和山から見下ろすと、中瀬地域は本当に何もなくなっていて、ぽつんと残った萬画館が、まるで空から降りてきて不時着した宇宙船のように見えたことを覚えている。当時はまだ津波の痕が建物の壁面などにも残されていた。今は「ここまで津波が来た」ということを示す線が市内のあちこちに引かれているが、それが生々しい傷痕の形でまだ刻まれていたのである。そんな中でも、石ノ森キャラクターたちは街の各所で頼もしく立ち続けていた。

駅から萬画館まではバスで停留所一つ分である。それで油断して、帰りは歩こうか、という話になったのだが、港町の、しかも東北の海風を舐めるべきではなかった。数分歩いただけですぐに後悔したものである。しかも平日のためか、あまり飲食店がやっていない。正午をすでに回っている。このへんでご飯を食べておかないと、後がたいへんなのだ。何しろここから東京まで帰らないといけないのだから。鈍行で。いや、それは私だけなんだけど。

「飲食店もそうだけど、古本屋もないねえ」

「ないでしょう、それは。あったらびっくりですよ」

「もし、この街で古本屋を見つけてしまったら、僕は石巻からのメッセージだと受け止めて、おとなしく今日はここに泊まることにするよ。明日の朝、どうしてもやらなくちゃいけないことがあるんだけど、仕方ない。それが石巻の意志なのなら」

「どうしてそうやってフラグを立てるようなことばかり言うんですか」

幸い、古本屋は見つからず、駅前で石巻焼きそばを出す店が見つかって無事に昼食も済ませることができた。石巻焼きそばは茶色い麺が特徴で、店によってはソース後掛けのところもあるそうだが、見つけた店ではそうではなかった。ゴムのような強い腰があって美味しい。

街で見かけた。素敵だけど、009が首を骨折していないか。

石巻焼きそば。これを食べていて一本列車を逃したが悔いはない。

■発車まであと一時間。君はどこに下りたい?

再び仙石線でごとごと帰る。我々が乗ったのは快速で、十五時一分に仙台駅に着くのであった。東北新幹線で帰るとか言い出した裏切り者はどうでもいいのだが、私は乗らなければいけない列車がもう決まっている。十六時六分発の快速である。これに乗れれば自宅には二十三時頃には着ける。逃すと、帰宅が午前様になってしまうのだ。それは嫌なので何度もダイヤを調べる。冒頭の会話はその一幕だ。

仙台駅で一時間ある。これは余裕だ。

「しかし、たいへんなことになるところだったよ」

「何がですか」

「ほら、今日は古本カフェの火星の庭が休みだろう。あそこが開いていたら、寄って行こうと言う気になっただろうからね。一時間というのが危ない。もし三十分しか時間がなかったら、駅から出ようという気にはならなかっただろうけど、一時間あったらちょっと離れたところでも行って帰ってこれるんじゃないかという悪魔の囁きが聞こえてくるからね。一時間なら行ってこれる、一時間なら行ってこれる。一時間なら」

「どうしたんですか」

「若林君。僕たちが泊まったホテル、あれ駅から地下鉄で二駅だったろ。駅と駅の間、そんなに離れてなかったよね」

「そうでしたね。仙台の地下鉄は区間が短い」

「仙台駅から一つ目の駅の青葉台一番町にはね。昭文堂書店という老舗の古本屋があるんだよ。東北大学生御用達の古本屋でねえ。昔はそのあたりに他にも古本屋が密集していたんだけど、今では昭文堂しか残ってないんだよね。最後に残った古本屋かあ」

「もしもし」

「うわっ、今グーグルマップで見ちゃったけど、仙台駅から1.2kmしか離れてないよ。これ、徒歩でも三十分くらいで往復できるよね。いや、違う。三十分は純粋に歩いている時間だから、店に入って古本を見ている分が計算に入っていない。でも、一時間、一時間あるのか。あるのかあ」

「僕が新幹線に乗ったあと、杉江さん絶対に『昭文堂書店にいます』ってツイートするでしょ」

「いや、僕は行かない。行かないんだよ。だって、危険じゃないか」

十五時十分、途中で起きたトラブルのため仙石線は約十分の遅れで仙台駅に到着した。家へのお土産を買うという若林氏と別れて歩き出したところまでは覚えている。

気が付けば私は昭文堂書店の前にいた。いったい何がどうなったのか。今だによくわからないのである。昭文堂書店は大学街の古本屋という風情でよいお店であった。残念ながら、私は何も買えなかったのだけど。

仙台・石巻旅行の収穫二冊。総計二千円也。

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