芸人本書く列伝classic vol.33 アル北郷『たけし金言集 あるいは資料として現代北野武秘語録』

Share

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存

たけし金言集~あるいは資料として現代北野武秘語録 (一般書)

一口で言うならば、芸人の了見を示した本である。

アル北郷『たけし金言集 あるいは資料として現代北野武秘語録』(徳間書店)は、1997年から7年にわたってビートたけしの付き人を務めた芸人による、「殿」の名言珍言集だ。アル北郷は水道橋博士の同居人として、その公式サイトで連載を持っていたこともあるので、本メールマガジンの読者であればご存じの方が多いはずだ。

身辺の人間から見たビートたけし(北野武)の記録といえば1991年に出た『たけしー・ドライバー 秋山見学者のトホホホ青春記』(角川文庫)や、たけし軍団の正規メンバーによる証言集『我が愛と青春のたけし軍団』(2012年。ガダルカナル・タカ他。双葉文庫)などがある。先行書と本書の違いは、アル北郷が「北野武」の観察者に徹して存在を消し去っていることだ。『たけしー・ドライバー』は煌くばかりのスターである「殿」と、今は何者でもない自分の間にある天文学的な距離を前に、著者が懊悩するところに青春読物としての味があった。『我が愛と青春のたけし軍団』は、芸能界のはぐれ者がたけしによって拾われたことの恩について記した本と言ってもよく、つまりは忠義の書なのであった。本書にはそういう背景の色がなく、たけしの言行が素材そのままで提供されている。敬しつつも茶化す、という語り口が成功しているのは、著者であるアル北郷の手柄である。

紹介されている武勇伝の中では、たけしがダンカンの母親の葬式の弔問に行く話が好きだ(と書いたら、今度はダンカンの妻が癌で亡くなったというニュースが飛び込んできた。偶然の一致に驚くばかりだが、ご冥福をお祈りする)。

葬式はダンカンの実家がある埼玉の斎場で行われる。その日はたまたま年に何度もないオフの日だったのでたけしは、

「じゃーよ、バスでも貸し切って、軍団と宴会がてらワイワイやりながらダンカンとこのお通夜に行くか!」

と宣言する。非常識と怒ってはいけない、芸人の常識は世間の非常識だからだ。ダンカン自身が玉袋筋太郎の父親の葬式で「出棺の前に棺桶を勝手に開け、『後で食べるので、これも一緒に焼いてください』と、アルミホイルに播いた、さつま芋を棺桶に入れようとして」周囲の人間を大いに引かせたことがあるという。

たけしは前日からアル北郷に酒とつまみの指示を出し(なぜか『高い鯖缶』に固執)、お通夜行きは「レジャーである」ということを強調する。そして実際にバスの中でも元気に飲み続け、焼酎のボトルを一人で飲み切ってしまうのである。

「あれだな、どっかよさそうな焼き鳥屋あったら、途中で入っちまうか」

「こうしよう。お通夜はやめて、東京へ引き返して寿司屋で飲みなおすか」

などと、終始ふざけて一行を湧かせながら。

ところで、祝儀不祝儀を巡る芸人のエピソードでは、春風亭柳橋のものが印象に残っている。今は8代目で、先々代の本名を渡辺金太郎といった柳橋である。柳家金語楼とともに落語芸術協会を創設し、自ら初代会長の座に就いた(人気絶頂だった金語楼が副会長に甘んじたのは、一説によると多忙のためだという)。

立川談志が自著で紹介しているのだが、その柳橋の夫人が亡くなったとき、若手の落語家が通夜に大勢で押しかけ、夜っぴいて飲んで騒いでいた。すると、二階に上がっていた柳橋が下りてくるや、「バカヤロウ、花見じゃねえぞ」と一喝したのである。

芸人の常識は世間の非常識、それは百も承知の柳橋も、さすがに騒ぎに耐えかねたのだろう。しかし小言も「花見じゃねえぞ」なら粋なもので、きちんと芸人の了見に沿うている。

その談志の『談志楽屋噺』(文春文庫)には、芸人たちのキツい洒落がもろもろ語られている。たとえば春風亭梅橋になって死んだ当時の柳家小痴楽(初代)は、月の家円鏡(当時。現・橘家円蔵)の母親の葬式に行って、棺桶に向かって「おっかァ起きろ。香典取ろうったってそうはいかねえ」と声を掛けただけではなく、閉じている目の上に「死に顔をよくするんだ」とマジックインクで目張りを入れようという。ここまで来ればさすがに「洒落になんない」領域なのではないだろうか。そういえば吉川潮が『コント馬鹿』(か、もしくはその原型の短篇。芸文社)でゆーとぴあのホープを描いたとき、コンビを解散して半分堅気に戻ったホープが、葬式で騒ぐ芸人たちに怒る場面を書いていたという記憶がある。もう了見が芸人ではないので、芸人の洒落が我慢できない、というエピソードなのだ。つまり、キツい冗談を笑えるのは自分が芸人であるからという弁えがあるからで、すべては痩せ我慢なのである。

先のダンカンのエピソードでも、たけしは弟子たちにこう言ったと紹介されている。

「だけど俺たち芸人なんてのは、はたから見たら人でなしなことも平気でやるよな。だからって別に何とも思ってねーだろ。いいとか悪いとかじゃなくて、はなからそういう生き物なんだよな。もうだからよ、選挙権なんかいらねーから好きにやらせてほしいよな」

東京から遠路はるばる埼玉までやって来たバスも、とうとう目的の斎場に到着する。目を赤く泣き腫らしたダンカンに出迎えられたたけしは、その「耳元に顔を近づけ、2分程何やら優しい顔で話」した後、いち早く焼香を済ませ、「おい、俺の酒をバスから持ってこい!」と高らかに宣言したのであった。

湿っぽさを嫌っておおいに騒ぎながら、肝腎なところで弟子への気遣いを忘れない。このさりげなさこそが芸人の取るべき振る舞いであり、含羞の見せ方にファンは惚れるのである。

本書のいちばんの読みどころは、たけしが楽屋や自宅などで弟子と交わす普段の会話が収録されていることだ(1980年代のファンはこうした会話の片鱗を『ビートたけしのオールナイトニッポン』で聞き、弟子たちに心から嫉妬したものである)。その中でおもしろかったのが、さまざまな人物月旦である。それも芸人、タレントとしての「顔」をテレビのモニター越しに見ただけで判断するのだ。

「こいつは社長にたかって、毎晩タダで酒飲んでる顔だよ」

「こいつはチャンスが来た途端に、今まで食わしてもらってたねーちゃん(彼女)を平気で捨てるやつだよ」

その人物評が当たっていたのかどうかは知る由もないが、故・ナンシー関が「タレントが実はいい人だとか、そういう裏の話には関心がない、テレビに映っているときの顔だけがすべてだから」という意味のことを言い続けていたことを私は思い出した。人に見せたいと思っている顔ではなくて、見えてしまっている方が素顔だということである。

こうした態度は、芸人の常識が世間の非常識という覚悟と同じところから生まれているものだ。堅気の人間は営業用の顔の下にプライベートの顔、家に帰ってスーツを脱いでからの顔があるのが当たり前だし、誰もがそうだとして事情を斟酌してもらえる。職場で浮かない顔をしていれば自宅で何かがあったのだろうし、もしかすると病気なのかもしれない。しかし芸人は、世間に向けている顔だけで判断されなければならない職業なのである。そこに1日24時間をずっと芸人として過ごさなければならないという厳しさがつきまとう。たとえその人物が、茶屋酒嫌いで手銭でしか飲んだことがなくても、夫婦睦まじく浮気一つしたことがない男であっても、そういう顔に見えてしまったら「たかり酒の男」「平気で女を捨てる男」なのである。たけしが弟子たちに言っているのは単なる思い込み、決め付けではなく、そういう尺度でしか評価されない世界に自分たちがいるのだ、という確認なのだろう。

せっかくのエピソード集であるので、これ以上の内容紹介は慎むべきだろう。本書は週刊アサヒ芸能連載を元にした本で全体が「素顔編」「酒豪編」「怒髪天編」「”こだわり”と”決めつけ”編」「オープンな下半身編」「過去とツービート編」という章立てになっている。

このうち演芸ファンがもっとも関心を持つのは、最後の「過去とツービート編」のはずだ。2014年になってたけしの「正妻」である兼子きよしが北野オフィス入りすることが発表され、ツービートが本格復活する目も出てきた。人気絶頂期にツービートは開店休業状態になり、解散はしないものの二人がコンビで漫才を披露することは絶えてなかった。以前に本連載の第2回で紹介したビートきよし『相方 ビートたけしとの幸福』でもコンビとしての現在についての言及はあったが、本書では別の証言者の視点からそれが語られることになる。ツービートが10数年ぶりに復活して客の前で漫才を披露したのは、本書の著者であるアル北郷の単独ライブでの出来事だったからである。

楽屋で油断しきっていたアル北郷の前に「”人殺し”のような顔」のたけしが現われ「おい、前説で漫才やってやるからよ、出してくれよ」とすごむ場面は間違いなく本書のクライマックスである。

本書は頭から尻尾までアンコが詰まった鯛焼きのような本で、まえがきとあとがきもいい味を出している。特にいいのが、あとがきだ。週刊アサヒ芸能で本書の元となった連載「決して声に出して読めない たけし金言集」を始めることになり、アル北郷は報告に行ったのだという。それに対してたけしはこう言った。

「じゃーよ、それ、俺がいかにスケベでダメなやつか、しっかりと書くように」

こんなことを自分の師匠に言われたら、その場で泣き出しちゃうかもしれないな、私は。

本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。

「芸人本書く列伝」のバックナンバーはこちら。

Share

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存