芸人本書く列伝classic vol.9 千原ジュニア『すなわち、便所は宇宙である』『とはいえ、便所は宇宙である』

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すなわち、便所は宇宙である

芸人本の中には一見さんお断りで内輪向けに書かれたファンブックがある。そうではなく普遍性を獲得した作品もある。前者は批評を必要としない本であり、ファンではない人が読んでつまらなかったと怒るのは筋違いだ。その代わり、広く誰にでも薦められるものではないので、後に残ることはない。ブックオフの105円均一棚に置かれるのが似合うのはそういう本である(申し訳ないが、ほとんどの芸人本はこっちです)。後者となると少し事情が違って、その芸人のファンではない人間にも読まれることになる。広く響きわたるべき内容を持っているからだ。できればこの連載では、そういう芸人本を中心に採り上げていきたいと考えている。

今回読んだ千原ジュニア『すなわち、便所は宇宙である』『とはいえ、便所は宇宙である』もやはり批評を必要とするタイプの芸人本であった。

ご存じの方は多いと思うが、これは「週刊SPA!」の好評連載をまとめた本である。千原ジュニアは自室のトイレにノートを置いており、そこで思いついた言葉を書き記す習慣があるというのである。その言葉を紹介し、千原ジュニアの便所における思索の過程を開陳するというのが連載の趣旨だ。語り口調は易しく、親しみやすい。私の苦手な(笑)が多用されているのは、おそらく著者がテレビで視聴者に向けて話しかけるような呼吸で文章を綴っているからではないだろうかと思う。なので連載1回分の量だとつい読み飛ばしてしまうのだが、1冊にまとまると文章は違った表情を見せてくる。するすると流れるのではなく、潜行する方向へと読者を導き始めるのだ。

私が特に惹かれたのは、言葉遊びに関する数々の章だった。これは2つに大別できる。1つは千原が誰に見せるでもなく行っていた1人遊びを公開するものだ。文字通りの気ままな思索を人に見せているわけである。千原がこれを言葉の「甘噛み」と呼んでいるのが実に言いえて妙だ。まるで性欲の口唇期を思わせるネーミングにエロティックな雰囲気さえ漂ってくる。

「甘噛み」の例を1つ紹介しておこう。「アカサカマサヤの気持ち良さ」の章では、こんな風に言葉に淫しているのである(『とはいえ』)。

この前便所でふと思ったんですが、メールを打つ際に母音のA音だけで済む名前の人ってめっちゃ気持ちいいんですよ。例えば、アカサカマサヤ。これだとメールを打つときに全部一発でいけます。あと、ほかにも考えて見ました。

ハラマサタカ

ヤマカワタカヤ

ナカヤマカナ

タナカサヤカ

めっちゃ気持ちええやん(笑)。

これを書いている私はローマ字入力でA音を打つたびに左手小指を駆使することになり、残念ながら親指1本で済ませられる携帯メールほど「気持ち良く」はないのだが、この淫する感じは十分に理解できる。字面だけ見ていると、懐かしのハナモゲラ語みたいでもありますね。

遊びは遊びでも、こうした感覚が自分の中だけではなく外に向けられるようになると少し事情は変わってくる。言葉遊びに関する2種類目の章では、芸人として日々「大喜利」について考え続ける千原が、いかにお題を作り、それにどのような返しをするのかを大胆にも公開している。「大喜利はお題を作るほうが難しい」(『すなわち』)というのは真理をついた言葉で、大喜利に限らず禅問答から入学試験のような四角四面なものまで事情は同じことだろう(大学教師でもあったミステリー作家の森博嗣に、そのことを書いた『臨機応答・変問自在』『同2』という著書があって、集英社新書から刊行されている。お薦め)。自分1人で楽しむだけではなく「お客さん」という不特定多数の対象にそれを共有してもらおうと思った途端に、言葉は不自由なものとして話者を縛るものになってくるのだ。

千原はこの共有ということにおもしろいくらいに固執する。言葉の1つに含まれる意味の分量は人によってまちまちだ。だからある言葉に対して過敏に反応する人がいれば、まったく動じない人もいる。その個人差が少なければ少ないほどマスに向いた言葉ということになる。だが、マス向けの言葉だけで綴った大喜利がおもしろいかといえば、そんなことはないだろうと笑いの素人でもわかる。いかにマスとの接触を絶やさず、同時に自分だけが持つ言葉のセンスという不自由な感覚を保持し続けるかということが芸人にとっての勝負どころなのではないか。

近すぎる言葉が「くっつく」ことや、あまりにもわかりやすすぎる言葉について、本書で千原は再三のダメ出しをしている。それが「ほにゃらら」の否定といったことにつながるのである。「ほにゃらら」というのは、一個所が隠されたフリップに書かれた文章を読み上げる際、伏字になっている部分を言い換えるときに誰もが言うアレだ。しかし千原は、「よく考えてみればこの「ほにゃらら」という言葉は、どえらい発明」なので「発明した誰かがおる」はずで無断では使うのはよくないのではないか、と急に気になってしまう。本番3分前という緊迫した時である。急いで「ほにゃらら」に近い完成度で、しかも「替えたことに誰も気づかないぐらいにスーッと耳に入ってくる言葉」を探さなければ、と必死の語彙捜索活動を開始してしまう……。

まことにハラハラさせられるが、こうした「言語中枢の加圧トレーニング」によってしか鍛えられない部位が芸人脳にはあるのだろう。おそらく同じような無駄トレーニングを、言葉やイメージを操る職業のプロは全員が日常的にやっているはずだ。そうしたプロフェッショナルたちに数々のヒントを与えてくれる本でもある。

『すなわち』『とはいえ』の2冊の中で、もっとも現場のルポルタージュに近く、一般読者からは遠いところにあるのは「難しい話」の章だろうと思う(『とはいえ』)。「ちょっと気を引き締めないと喋られへん」と自戒する仕込みの多い話で、読み返すことが可能な文章での表現でも大変なのだから、これをライブで話すのはさらに難しくなるはずである。文章表現で言えばこれは「いかに伏線をさりげなく置くか」という問題につながってくるはずである。

もう少し理解しやすい話が「すべてはバランス」の章で紹介される(『すなわち』)。ここでは千原は最近の携帯電話の色味が「オーシャンブルー」「パールホワイト」「ピアノブラック」といった形容詞句を伴うものになっていることを利用したコントの例を挙げている。それを笑いに転化させるとすれば「ケータイ屋」の話では設定が近すぎる。ではいったいどの程度離せばいいのか、というのがつまり「バランス」なのだ。

これとは別に芸人なりの観点から世の中全般の出来事を評価しなおすという章もあり、たとえば「出来る運転手は札の向きが揃ってる」(『すなわち』)ではタクシーのシステムに対して疑義を呈している。だってタクシーって「客を早く届ければ届けるほど料金は安い。速いルートを選んだ分だけ運転手の取り分が少なくなる。つまり、運転手は努力しないほうが儲かる」というものだからだ。自明に見えることをあえてひっくり返し、「普通ではない経路」から別の結論を導こうというやり方は、逆説のレトリックを駆使しているのである。こんな具合で、対象となるものに対する言葉の選び方や、そこにたどりつくまでに走る距離を変化させることによってさまざまな笑いの機会が生まれるのである。逆に言えば、それをしない芸人は消えてしまってもしかたがないということだ。

「大喜利」芸人としての千原ジュニアが、どの程度条件反射が鋭いのかは以下のようなエピソードで知ることができるだろう。千原は2001年にバイクの事故で死にかけている。幸い命をとりとめICUで治療を受けているとき、ある構成作家が見舞いに訪ねてきたのである。見舞いの品代わりに持参したのは大喜利のお題。千原ジュニアの脳が事故後も正常に動いているかを確かめるためのものだった。

お題は「見舞いに来た人たちが次々と帰っていきます。それはなぜ?」。

千原ジュニアがフリップに書いた答えはこうだった。

【ハンモックで寝ている】

くりかえし書いているように、言葉遊びの部分がおもしろく、また自身の「言語中枢の加圧トレーニング」にも益するところがあるのではないかと思いながらこの2冊の本を読んだ。上に書いたようなこと以外にも「あらかじめ準備した方向へと話を誘導し、確実に落とす技巧」や「芸人に必要とされる態度や挑戦の精神」などについて書かれた個所はたいへんにおもしろかったのである。週刊誌連載なので「2011年は外に出て行く」というような決意表明がなされ、それが実際にはどうなったのか確認されていくという同時進行の企画ゆえの読みどころもある。いろいろな要素があって網羅しきれないし、実際に読んでもらわないと、抜粋紹介で伝えてしまうのはもったいない個所も多々あるのである。特に後輩芸人について書いた「カリカ林」の章の幕切れの鋭さは必読ものだ。そうか、そうくるか、とアドレナリンが噴出するような思いがした。まあ、読んでください。

なお、単行本にはおまけがついており『すなわち、便所は宇宙である』には先輩芸人である水道橋博士、『とはいえ、便所は宇宙である』には放送作家の鈴木おさむとの対談がそれぞれ収録されている。実は博士の対談のほうには、これまで延々と綴ってきた本書の美点が、わずか3つの言葉で要約されているのである。それを紹介してしまえば原稿は一気に書き終えられて楽なのだけど、あえて遠まわりしてみました。こういうのが自分なりの「言語中枢の加圧トレーニング」なのである。

本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。

「芸人本書く列伝」のバックナンバーはこちら。

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