街てくてく~古本屋と銭湯、ときどきビール 2018年8月青春18きっぷ旅行・身延線と沼津の思い出

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私はラブライバーではないのだけど。ようこそと言われてちょっと気分がいい。

中学生のように駅名を見て写真を撮ったが、はだかじまはもちろん波高島と書く。身延線にて。

2018年夏の青春18きっぷのテーマは「大回り」であった。

大回り。

つまりここからあそこへまっすぐ行くのではなく、ぐるっと回って路線を乗り継いで、帰ってきたい。体内の乗り鉄成分がなぜか増加し、ひさしぶりに鉄道旅行に駆り立てられることになった。夏休み中の大学二年生に聞くと、行ってもいい、と言う。よし、行くと言ったな、と言質を楯にして、八月中の某日某日、青春18きっぷを手に出かけたのである。五月の大病からのリハビリも九割方済んでいて、体が本調子であるか否かを図るという肚づもりもある。

その朝、半分眠っている子供を急き立てて飛び乗ったのは、タクシーだった。JRの始発に乗るつもりが、少々寝坊してしまったのだ。午前六時ちょうどに新宿駅を出る中央線高尾行きに乗るには、拙宅からだと乗り換えをしているとやや余裕がない。そこでショートカットである。なんとか間に合い、高尾行きに乗ることができた。週末ということもあり、周囲の乗客は半分近くが朝帰りの空気をまとっている。それでも終点に近づくころには徐々に乗客が入れ替わり、高尾駅で乗った七時六分発の甲府駅行きでは、これから山っ、と服装で行っているような人々が大半になった。甲府駅到着は八時三十八分、九時五分発の身延線富士行きが目指す電車だ。この前後は特急ばかりだったので、タクシーを使おうが何をしようが間に合わせる必要があったのである。

身延線は甲府市の郊外をしばらく走る。身延山久遠寺は言うまでもなく日蓮上人が開基した日蓮宗の総本山であり、多くの参詣客を集めている。恥ずかしながら一度も参詣したことがないのでいつかはと思っているのだが、この日は乗ること自体が目的だったので見送る。私たちの前に座っていた親子と思われる女性の二人連れは、御朱印帳を持参していたのでもしやと思っていたが、やはり身延で下りて行った。

身延で降りたい理由はもう一つあって、甲府と富士を除けば、駅の構内に立ち食いそば屋があるのはここだけなのである。頼りになる「全国駅そば選手権」に従って書けば、元は玉屋という独立系の店だったのが、居抜きで静岡県にチェーンを持つ富陽軒に替わっている。NRE化しなくてよかった。カウンターでホームの内外から食べられる駅そばは今や絶滅危惧の恐れすらある。貴重な店なのでぜひ食べてみたかったのだが、今回は連れの子供もいることだし、残念ながら次の機会とする。

車窓から写した「身延そば 富陽軒」いつか寄りたい。

その子供は朝早くに起こされたためか、路線の大半を寝て過ごしている。

このへんまで来ると身延線はほぼ山の中である。単線なので、ときおり長く停まって反対列車の待ち合わせをする。そのたびに子供と一緒に降り、写真をパチリと撮った。四時間弱が過ぎ、十二時二十四分、ついに富士駅到着。すぐに東海道線の上りに乗り、沼津駅まで行く。東海道歩きで何度も通っているのでおなじみの駅だが、子供に千本松原を見せてやりたかったのだ。

ここでも時間短縮のためタクシーに乗り、まずは沼津港へ。日曜日ということもあって思ったとおり人手が多く、何かの演奏までしている。記念撮影だけしてすぐにまたタクシーを呼び、近くの千本松原経由で沼津駅まで戻ってくれるように頼んだ。

千本松原は沼津から東の原のほうまで伸びている長大な松林である。過去には幾度か、伐採によって絶滅の危機を迎えたことがあり、戦国時代のそれは武田勝頼が命じたことにされている。それはどうも濡れ衣らしい。戦後になってやはり都市計画の一環で大規模な伐採が企まれたことがあったが、若山牧水がこれに反対する文章を公けにしたことが知られている。牧水はこの地を愛して終の棲家を設け、夫妻で沼津に葬られた。

千本松原にて。最初の東海道歩きのときは靴が悪くて、ここに着いた時にはギブアップ寸前だった。

浜に出て駿河湾にちょっとだけ足をつける。今年の夏は日本の海には入らなかったので、唯一の海水浴である。待たせてあったタクシーで駅前まで戻り、散策。このときタクシーの窓から開いている古本屋を見たのに入らなかったのは実に痛恨事であった。沼津に唯一現存する個人経営の古本屋、平松書店数日後に訪れたときには、営業日のはずなのに閉まっていたからである。沼津が相変わらずラブライブの聖地であることをアピールし続けていることを確認し、短い滞在を終える。

沼津駅には昔複数の古本屋があったはずである。それ以外にも、沼津西武で古本市が開かれており、古本文化が賑やかに花開いた土地でもあった。現在の状況は、やや寂しいものがある。

沼津西武で古本市があったというのは間違いのない記憶だ。なぜならばそこで高額の買い物をしたからである。伊藤晴雨『責めの研究』だ。これは晴雨がお気に入りのモデルお葉と共に追究した責めの数々を書籍化した理論書であり、一九五〇年に部数限定、非売品として若干数が作られた。これを沼津西武の古本市で買ったのだ。たしかそのときはミス連合宿が伊豆で開かれたときで、沼津西武で古本市があるのを聞きつけ、寄り道をしたのだった(川出正樹氏のご指摘で一九九〇年のことだと判明。同行も川出さんでした)。目録を見るとかねてから欲しいと思っていた『責めの研究』が二万五千円で出ている。開市から時間も経っていることであり、きっともう売れてしまっただろうとは思ったが、いちおう受付にこの本を買いたい旨を伝えた。確認するからしばらく待ってもらいたいと言われ、場内をひやかしていると突然。

「責めの研究のかた!」

と大音声で呼ばわれたのである。

ちょっとは長いこと生きているが、代名詞が「責めの研究のかた」になったのはあのときが最初で最後である。この二万五千円は、後に某所で四万五千円の本を買うまで自己最高額の記録になっていた。

さて、沼津からは複数の選択肢があった。その一、熱海で降りて駅前で温泉。その二、湯河原で同じく温泉。その三、御殿場線の山北で温泉。どちらにしろ温泉である。風呂に入りたいのだ。検討の結果、せっかくならばあまり行く機会がないところにしようという相談がまとまり、山北行きが決まった。

御殿場線の車窓からは曇天を通してうっすらと富士山が見えた。身延線、東海道線、御殿場線と、この偉大な富岳を周回するようにして列車に乗っているわけである。そのうちに車内が妙に込んできた。どういう客層なのかは御殿場線の事情に疎いためにわからぬ。眠気も欲してしまい、目指す山北駅につく寸前までうたた寝をした。

山北駅では意外な発見があった。山北鉄道公園でD52の動態展示が始まり、それを機に鉄道のまちというアピールをしようという町おこしが始まっていたのだった。私たちが訪れたその日が、ちょうど一周年の節目であったらしい。ちょっと風呂に入りたかっただけでそんなこととは露知らず、失礼をした。しかしもうへとへとなので、鉄道公園には行かずにさくらの湯という施設に向ってしまう。こちらは天然の湯ではなく、北海道長万部の二股ラジウム温泉から石灰花原石を持ってきた人工温泉なのだという。しかし、露天風呂もあるし、お湯もほどよく熱いしでたいへん気持ちよかった。山梨、静岡、神奈川と三県を渡り歩いた小旅行のおしまいにはちょうどいい。

山間の町、山北。建物の中にさくらの湯があり、その向こうに鉄道公園がある。

山北駅から御殿場線で東海道の国府津まで。お土産でも探そうと国府津でも下車してみたが、駅の周辺には何もなかった。御殿場線のホームから改札までは長い長いホームをえっちらおっちら歩かなければならないので、えっちらおっちら歩いて駅を出て、また無為にえっちらおっちら戻る。こんなことならば沼津で干物でも買ってくるのだった。結局、横浜駅でシウマイを買い、帰途についた。困ったときは崎陽軒のシウマイ。これは間違いのない真理である。

というわけで青春18きっぷの旅行一日目おしまい。この日は古本屋には寄らずじまいである。

もしも何かの間違いで「開運!なんでも鑑定団」に出ることになったら、この『責めの研究』を鑑定してもらいたい。今田耕司に「それで、依頼人は責めなんですか受けなんですか」といじられたい。

今まで気づかなかったが、古本市でこの本を出していたのは沼津地元の平松書店だった。そうか、私は平松書店から本を買ったことがあったのか。

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