電撃座通信 瀧川鯉昇「鯉昇のご利益」20170227

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八代目春風亭小柳枝に入門を果たし前座名として柳若を貰うも、師匠が奇矯な性格であったために数々の辛酸を舐める。入門当時、小柳枝は妻と離婚し、借家人として住まわせてもらっている状態だった。その金をしばしば滞納したために家から追い出される。前座の柳若は、二十代にして師匠と共に野宿することがあった。「スポーツ新聞は写真を大きく印刷しているからインクが多く、体に巻き付けて寝ると暖かい」とは当時得た知恵である。「朝日とか毎日なんて寝ると凍死するぞ」と師匠からは脅されたそうだ。

その後小柳枝は廃業してしまう。柳若は師匠の兄弟弟子だった五代目春風亭柳昇に引き取られ、やがて二ツ目に昇進して愛橋を名乗るようになる。こうした転変の多かった落語家人生をまとめたのが、瀧川鯉昇自伝『鯉のぼりのご利益』である。その刊行と重版を記念した独演会を光栄なことに電撃座で開かせていただけることになった。名付けて「鯉昇のご利益」。

この日の番組は以下の通り。

味噌蔵 鯉昇

粗忽の釘 鯉昇

仲入り

ねずみ 鯉昇

鯉昇落語はマクラも魅力的だが、二度も同じ場所で胃痙攣をおこして救急車で運ばれたという話から「味噌蔵」になだれこんでいく。二本目の「粗忽の釘」は短めに、しかしあっさりではなく濃縮気味の一席となった。トリネタの「ねずみ」は甚五郎がねずみ屋の父子と交わす会話に情があり、お人柄のよく出た会となった。

下の写真は、私が高校生のときに初めてイイノホールで開かれていた東京落語会に行ったときにもらったパンフレットである。偶然ではあるが、このときに二ツ目として出演していたのが、前年にNHK落語コンクールで優勝を果たした注目株の春風亭愛橋こと、後の瀧川鯉昇さんであった。正月に実家に帰った際にこれを拝見して、ぜひご本人にもお店しなければと持参した次第である。

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